『知的障害者ともに大学で学ぶ』感想文(5)
『知的障害者ともに大学で学ぶ』を読んで分かったことは、まだ「大学は知的障害者と学ばない」という防衛姿勢だった。
私にとって新鮮だったのは、その「守り方」が、小学校と同じだと気づけたこと。
『公開講座を大学で開催することの意義は、知的障害者が大学の《知》(高等教育)にアクセスできること』という言葉がそれを示している。
「一人の学生として入学させることは認めないが、たまにならアクセスさせてあげる」という姿勢。
かつて障害児が「教育不可能」とみなされ、「就学猶予免除」された理屈と同じ。障害児を分けて、学校を守ろうとした人たちと同じ。
そして、障害児がふつう学級に入るようになると、今度は必死で「交流」教育でとどめようとする防衛姿勢。
「大学で教育を受ける機会がないのは知的障害だけ」
それは差別だから、機会を増やさなければならない。
でも、大学の知を「理解」できっこないでしょう?
だから、「交流」程度でごまかす「知」が、高等教育の知と言ってるようにしか聞こえない。
「一緒がいいならなぜ分けた・大学も」だな。
□
そうして何を守っているのだろう。
何を怖れているのだろう。
「高等教育の知」は、知的障害者の知は、人類の社会交流システムや平和のための知と、無縁であると信じているらしい。
保育園⇒小学校⇒中学校⇒高校⇒大学と、「知が高まる」と思われている順に、「社会交流システム」は下降している。
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