『知的障害者ともに大学で学ぶ』感想文(6)
「遅れ」があると名づけ人たちの学びが、「自分たちには関係がない」と信じて、疑わなかった「大学の知」。人類史上、ただの一度も疑う姿勢がなかった「知」。
偏見や誤解、無知もあふれている一般社会の常識と全く同じレベルの「知」。
それって、もっとも「知」から遠いんじゃないんかな。
その「高等教育の知」を知的障害者にもアクセスさせてあげようという、現在地。
《一緒がいいならなぜ分けた・大学も》。「大学」の「知」の「遅れ」の本質を表す言葉だな。

刑務所の出入りを繰り返す知的障害者に、「ここはいい所だ。ずっとここにいたい」と言わせてしまう社会。
実際、施設で虐待され、「生きる価値がない」と殺されることさえある障害者にとって、「それは違う」「遅れがあるからだ」とは言えない。
「分けて」直そうとするから、何がおかしいかも分からない。どうしたらいいかも分からない。
知っているのは、誰も分けず分けられずに育った子どもたちだな。
こんな愚痴ばっかり書いてないで、私ももっと子どもたちの声を聞こうっと。