三女とすれ違ってばかりいたころ、ふと石川先生の本を思い出しました。
大学生のとき、福祉労働という雑誌で初めて石川先生の言葉を読んで以来、私はずっと石川先生の存在と言葉に助けられて生きてきました。でも私が支えられている一番深いところにあるのは「言葉」ではありません。
先生がたっくんを抱きかかえて髪を洗ってあげているときの二人の姿が、私には永遠のあこがれとしてあります。石川先生とたっくんがお風呂に入っているときの「二人の姿」が、私の生き方の自信の源になってきたのだと思います。
あの時、私とは別の種類の人間がここにいると、感じたような気がします。そう、まるでかぐや姫のように、月の光に浮かび上がる二人の姿が私の目には焼き付いています。
このことは、ずっと自分のなかに大事にしまっていて、先生にもたっくんのお母さんにも話したことはありませんでした。
ホームの仕事をはじめて、子どもたちとの関係がうまくはいかない日が続く中、ふと二人の姿を思い出す日が増えていきました。
そんなころに開いたページに、私に足りないものが書かれていました。何度も読んでいたはずのページですが、今回、「虐待をやめたいと願う親」に寄り添う先生の言葉を読んで、虐待を受けていた子どもにさえ寄り添えない自分を感じていました。
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《虐待への処方》
・・・とりあえずの解決は、力関係の変更にあります。
弱者が、本当の味方を得ることで、自分のほうが強者になったと実感できること。
それが、応急の処置です。
そのためには、殴っている当人の気持ちを、殴られている相手の気持ち以上に、冷静に理解する必要があります。
理解の程度は、次のような基準で、押し量れます。
ア 「抱えている問題や悩みを解決したいができない」という、当人の焦り、いらだちを理解しているか。
イ ときに虐待を後悔したり、虐待の最中に痛みを感じたり、虐待する自分にいらだつ当人の孤立を、どの程度理解できているか。
ウ 自分の問題に精一杯で、虐待しているときづくゆとりもない当人の状況を理解しているか。
① このうち、どれか一つでも理解できる人は、横にいて一緒に考えてゆける理解力をもっています。
へたな説教も、子どもへの配慮も後回し。
殴っている当人の味方に、とことんなってあげることです。
真の味方さえいれば、真の問題の解決には手間取る場合でも、虐待は、ただちに様相を変えます。
孤立してゆとりがないからこそ、つい手が出てしまうのですから。
②理解できても、うまく味方になれそうもない。
そう感じる人は、まず「自分のどこが相手に抵抗があるのか」心から信頼できる人と、相談してみてください。
自分の弱さ、限界、欠点を理解できると、相手の弱さにうまく味方できるようになります。
③三つともできない。
こうなるとやっかいです。
あなたの側に理解できないかたくなさがあるのか。
それとも、相手があなたの想像を超えるたいへんな状況に追い込まれているのか。いったいどのどちらなのでしょうか。
それによって、味方になるなり方も、変わってきます。
まずこの点を確実に見極められる人を味方に誘い込むことが先決です。
④ここに書かれたやり方なんて、とても待っていられない。
もし、生命にかかわるような危険がせまっているなら、一時的に親子を切り離すことが、すべてに先立つかもしれません。
しかし、分離はあくまでも、どちらかに身体的な危険があるときに限ります。
明確な生命の危機以外に、待っていられない事態など存在しません。
⑤それでも、待つことができない。
とすれば、残念ながら、二人の横にいて、二人の状況に耐える許容度が足りないという、あなたの限界です。
至急、この限界を補いあえる人々に援助を求め、味方を増やしていくなかで、自分を育てていくことを真剣に考えてください。
さて、ここまでは、虐待の横にいる第三者の話が中心でした。当事者は、虐待の渦中に何を言われても、受け入れるゆとりがないことでしょう。
ただ、もし、今、自分の虐待に悩んでいるとしたら、それは解決の糸口が見つかりかけている証拠だと考えてください。
勇気がいりますが、なりふりかまわず、味方を求めることです。虐待の責任は、当事者の手を離れています。
真の原因は、虐待する者の無力と孤立を深める状況にあります。
一人だけですべてを背負い込まず、必死に援軍を求めることです。
味方は、きっと近くにいるはずです。
『こども、こころ学 ~寄添う人になれるはず』
石川憲彦 ジャパンマシニスト