私は毎日どうやってわたしでいるのだろう。
昨日のわたしと、今日のわたしは、
どうやって、どんなふうに、つながっているのだろう。
わたしは、わたしが、たしかにつながっていると、
どうやって確かめているのだろう。
学校のテストは、答えだけでなく、
「途中」が記述されていないと減点される。
答えが正しくても、過程を説明できないと、できたことにならない、
と教えられる。
そのせいか日常生活でも、言葉で説明できないと、
わかっちゃいない、ように扱われる。
だから、障害のある子たちや言葉を使わない子は、
なんにもわかっちゃいとみなされる。
言葉がないと、何もないとまちがわれる。
言葉でなぜを説明できないと、なにもわかってない、
すべてを当てずっぽうに生きてるようにまちがわれる。
学校では、言葉がないと、
こころがないように扱うくせがつく。
油断すると、言葉を話さない人は感情もないと、
みなす作法が身につきやすい。
相手の感じ方や思考方法がわからないのは、自分の方なのに、
「相手がわかってない」と、すり替える作法がうまくなる。
その一方でアインシュタインやホーキング博士の言葉が、
全く理解できないとしても、彼らが天才だということは疑わない。
自閉症の人が何十年先のカレンダーの曜日を言い当てるとき、
その途中経過がまったくわからなくても、
「他の自閉症とは違う」と、分かったふりもできる。
◇
クリスティーンさんは、思い出せないことが増える自分、
新しいことを覚えていられなくなる自分、
できていたことができなくなる自分が、
自分ではない誰かになっていくことを、恐れた。
怖れ。わからない何かへの態度。
教育という作法はそういうものだったから。
でも、生きていく現実は違った。
クリスティーンさんは、わたしはわたしになっていく、と言い換えた。
わたしはわたし、
あなたの顔を忘れても、今日話したことを覚えていなくても、
明日も、わたしはわたしだと教えてくれる。
私たちは、何かがわかるとかわからないとか、
できるできない、ということについて、
「私自身」の仕組みについて何もわかっていなくても、
「こいつは分かっていない」とみなす態度を身につけている。
◇
人への作法。
自分への作法。
ヘンリーが教えてくれること。
てつろうが教えてくれること。
あさこやリサややっちゃんが教えてくれること。
人は感情の流れを生きている。
生きてきた時間と出会いのなかで、
ことばにできない記憶や体験や感情が、
たったいまを生きるわたしを、支えている。
自分とは違う人生、
人とのつながりをいきてきた人にであうとき、
わたしの感情の流れと、その人の感情の流れを、
向き合う作法をしりたい。
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