ワニなつノート

ワニたこ・2010年秋 (その1)

ワニたこ・2010年秋 (その1)

《yoさんへ》


講演会の翌日から金沢に向かい今日戻って来ました。講演会の日は遅くまでありがとうございました。ワニなつブログも読ませていただきました。

「就学運動と自立生活運動」 
これは、とても古くからあってまだまだこれからの課題だと私は思います。14日のMさんの講演と21日のhideさんの講演。私にとってこの二人の講演によってほんの少し何かが進んだように思います。

30年前。障害のある子ども達が普通学校に行く事はただただその将来を信じるしかありませんでした。23年前たこの木を始めた時、「子ども達どうしの関係づくり」と言うテーマに込めた
子ども達自身がつくる世界をただただ保障していくことだけを懸命にやって来ました。そして子どもが大人となっていく中で信じてきた事が、大人となった子ども達によって表現され始めました。たこの木がこれまで取り組んできた「自立生活支援」。

「自立生活」とは決して目標ではなくその人が置かれた状態であることを、つい最近になって気づきました。yoさんが言うように彼ら自身が作ってきた世界。

Mさんが10年前「僕は障がい者なの?」と不思議そうに私に聞く姿は、いつも私の目の前にあります。しかし、「支援を使えば誰にだって一人暮らしができるよ」と語る彼も又、11年と言う自立生活の中で生み出した言葉のように思います。

K2の人たちが語る時に会場の人たちをじっと見ていたhideさん。yoさんとやり取りを始めたら、yoさんの方身体を向け座っていた彼。それだけで多くの物が語られたと私は思います。

今回、hideさんの状況も知らずに依頼し、後に気づいた今日のhideさんの状況の中で、今回の講演会を迎え、本来彼が潜り抜けてきた学校時代から今につなげようと思いましたが、それは決してバラ色の生活でもない事をしっかりと見せていただきました。でも、一方で彼自身の生活である事も見せてもらいました。そして、それらすべてが彼そのものであることを、実感を持って聞く事ができました。

「自立生活運動」と言う身体当事者から始まった運動は、「入所施設から地域生活」を勝ち取る事が「自立生活」なのだと思います。彼らにとって「自立生活」とは勝ち取る物であり守る物だと思います。その歴史とも付き合ってきた私としては、それはそれなりに理解しているつもりです。なので彼らにとって「養護学校」と言うのは地域の中にあるので「普通も養護もどうでも良い」となるのは彼らの論理だと思います。

でも、養護学校が地域での選択の場ではないとしてきた私にとっても、それはとても違和感のある物で、獲得目標としての「自立生活」と言うのにも違和感があります。彼らは地域で生まれ地域で育ち地域で暮らし続ける。そんなあたりまえのがあたりまえではないから「あたりまえの生活」と力説しなければならない状況。一方で障害の故に「取り残されていく子ども(人)たち」がいて、何とかしなければとがんばる人たちの多くは障がいを持つ子どもの親たちと言う状況。

昨日、石川で講演をしたのですが、集まった人たちの半分は親たち。残り半分はガイドヘルパーを担う事業所の人たち。しかし、事業所の内半分は親たちが作った事業所。自立に向けてがんばればがんばるほど、結果親が作った世界に乗っかるしかない現実。

それでも、たこの木の想いやこれまでの取り組みを聞く中で、残り半分の事業所の人たちは親とは少しはなれたところで事業を担いつつ、普通学級でやってきたことの延長線上に24時間の当事者の暮らしがあるし、そこをいかに支援するかすなわちどう親と離れ自らの暮らしを自らが支援を使い作っていくか? そのために親の立場と支援の立場で何を担うのかをあれこれ語って来ました。

「就学運動と自立生活運動」
私の中では、子ども達との付き合いの中で何の疑問もなくつながっているのですが、あまりの疑問のなさに周囲に理解されない思い、すなわちyoさんの言うと頃の「違和感」が何なのかをまだまだ言葉にできていません。でも、そのあたりは今回の講演をきっかけとし、残り4回の講座の中で少しでも言葉にできればと思います。ありがとうございました。
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