「高等部は高校か?」改め・その言葉で「迎合させない」ために (その4)
前回、東田さんの本から「引用」したが、急いで「つづき」を書かなければと思った。
彼の言葉を紹介する時には丁寧な説明が必要だと思うのだが、長くなりそうなので、まず「私の考え」を書いてみる。
□
その子が「自分を不幸だ」と感じたのは事実だと思う。「自分だけがみんなと違う」「どうして」「なぜ僕だけ」と苦悩したのも事実。その場所が「ふつう学級」であったことも事実。
それでも、「障害児」が「ふつう学級」にいたからだ、とは思わない。
「自分だけ違う」ことで不幸を感じ、「自己肯定感」が持てなかったのは、「障害児だから」でも「ふつう学級」だからでもない。
「自分だけ違う」、障害の一点だけに焦点を当てる力が圧倒的だったからだ。
それを溶かす力が、その時、その場に足りなかったのだ。
例えば、彼がいた地域では現在も「親の付き添い」は「当たり前」と見なされている。
去年、特別支援学級に入学し、「親の付き添い」と「一日一時間しか授業を受けられなかった」事例は、彼の隣の市である。(同じ千葉県で運動してきた私には、もっとも遅れた地域にみえている。)
実際、彼の場合も転校するまで「親の付添い」があったのは事実である。
彼はそのことを「否定的」には書いていない。
「小学校は普通クラスに在籍しました。僕は多動で、集団生活がまったくできなかったので、授業中も母が付き添うことになりました。」
「母はいつも笑顔で僕の隣にいてくれました。学校で毎日付き添うことがどんなに大変だったか、そのころの僕は知りませんでした」
彼は大好きな母親を悪くは言わない。
私も親を責めるために書いているのではない。
ただ、どんな子どもであれ「親の付き添い」はいらない世界があるということ。
親が付き添いたいと言っても、「大丈夫ですよ。他の子も誰も親がついていないんですから」と言ってくれる担任や校長がいる学校もあるこということ。
そういう学校では、すべての子どもが、そうした「先生たちのまなざし」をみている、ということ。
そういう学校を体験していたら、そのことを彼はどんな言葉で表現してくれただろうと思う。
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