その子のふつうが育つ (その2)
ヒデやこうちゃんの「ふつう」が育つとは、なんだったか。
なっちややっちゃんが「ふつう」に育つとは、なんだったか。
そんなことを生きている間、ずっと考えている。
ハルときーちゃんは小2から学校に行かずに「ふつう」に育った。
えりちゃんは小1のときランドセルを道に投げ捨て、走って家に帰ったきり学校に行かなかったと話した。中学生のころは気が向くと「適応教室」にきて、その後私の勤めていた定時制に来た。小学校と中学校には通わなかったのに、定時制には休まずに通った。
学校に行かなくてもふつう、学校に通ってもふつうはある。
20代、30代になった彼らの姿に、子ども時代の面影がみえるとき、いつどこにいても「この子のふつう」は育っていたのだとわかる。
幼いころから施設で育った子がホームにきて二年後、伝えてくれた言葉がある。
「小学生のころ、私にはもうふつうの生活はできないんだと思ってた。でも、いまは「ふつう」の生活ができてるでしょ」。
いやいや、ここも「施設」だから世間的には「ふつう」ではないんだけど、と思った。
そう思ってつっこんでみたが、その子は屈託なく笑う。
「施設」という形が、「ふつう」を壊すのではない、らしいと教えられた。
大切なものは、なんだったか。
「ふつう学級か養護学校か」という「場所」の問いに、答えがあるわけではなかったようだ。
家か施設か、という「場所」の問いに、答えはない。
家か病院か、という「場所」の問いに、答えはない。
親がいない子どもにとって施設で暮らすしかないことがある。
病気やケガを治すために病院で暮らすしかないことがある。
どこにいても忘れてはいけない問いは、子どもの「傷ついた心」を知ること。
「ふつうか養護か」という問いではなく、どうやって子どもの「傷ついた心」を知るかということ。
そんなことを思うようになった。
康治が養護学校に入学する時、親子で大切にしたかったものがあった。
それは、転校する時も、自主登校の年月にも、そして康治がいなくなって19年が過ぎる今でも同じように大切なものとしてある。
そのことを私は忘れないでおこう。
たっくんは高校には行かなかった。
親子で大切にしたいものが、そのとき高校とは別にあった。
たっくんがいなくなって20数年が過ぎる。
私がたっくんに教えてもらった「大切なもののありか」は今も変わらない。
そのことを、私は忘れないでおこう。
《子どもの屈辱をわかってやる感覚が、私たちにはまだ備わっていません。
子どもを尊重しその傷ついた心を知るというのは、知的な行為ではありません。
もしそれがそんなものだったら、もうずっと前に世間一般に広まっていたことでしょう。》
子どもを尊重しその傷ついた心を感じられる人たちが、大切にしていたもの、大切にしたいものは、いつも同じだった。
そのことを、私は忘れないでおこう。
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yo
トモくん母
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