《8才の子どもの疑問》
【私たちは骨の髄まで社会的な生き物だ。】
【私たちの人生は、人間のコミュニティの内部に居場所を見つけることから成る。】
(「身体はトラウマを記録する」ベッセル・ヴァン・デア・コーク)
これらの言葉をみると、いまも、自分の中の《8才の子ども》が安心する感覚が分かる。
この人は、自分の知識に子どもを合わせるのではなく、子どもの感情に向き合う人だと感じる。
特別支援教育が大好きな人たちに、私は死ぬほど疑問に思うことがある。
幼児期から18才まで、「子ども社会」とは別の「特別な場所」で子どもが育つことに、疑問を持つことはないのだろうか?
分けることは「差別」じゃない、「隔離」じゃないというのをよく聞く。
言葉の定義はどうでもいい。
子どもたちがどう感じて育っているかだろ。
お互いにお互いの「生育環境を知らない」。
お互いにお互いの「子ども時代」を共有していない。
お互いにお互いの「生活世界」を知らない。
それは確かなことだ。
◇
一時期のことじゃない。
幼児から18才まで、その人の人格ができあがる時期のすべてに渡って、「別」の「生活世界」で育った者同士が、どうやって、「同じ社会で生きる仲間」だと、理解しあうのだろう、という疑問。
それに対する、どんな「答え」を自分の中に持てば、子どもを分けることを続けられるのだろう?
いまの時代、子どもを分けなくても、かなりの配慮・対応の術がいくらでもあるというのに。
「私たちは骨の髄まで社会的な生き物だ」と思ったことはないのだろうか?
「私たちの人生は、人間のコミュニティの内部に居場所を見つけることから成る」とは考えないのだろうか?
8才のあの日から、ずっと人生の底にある疑問。
あれから50年近くたつが、ちゃんとした答えを聞いたことがない。
(95につづく)
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