ワニなつノート

《この社会は「入試」を利用して15歳の子に何をしているか?》(その3)



《この社会は「入試」を利用して15歳の子に何をしているか?》(その3)



2020.3.6千葉からの報告。

        ◆

今日も、3人の中学生が、定員が空いている高校から、入学を拒否された。・・・毎年、毎年、私は何を見せられているのだろう。

        ◇


「みんなと一緒に小学校に行こうね。大丈夫だよ」と6歳になる子どもに話しかけ誘う。
子どもは目を輝かせてうなずく。

「待たされ続けた」8歳の子は、私が「だいじょうぶ」と口にしたとき、「いける?だいじょうぶ?」と母親の顔を見上げた。そのときの顔と声を私は忘れない。

そうして幼い子どもに、小学校は大丈夫、中学校も大丈夫。高校も一緒に行こうねと、言い続けてきた。

私の言う通り、小学校も中学校も「大丈夫」なところだった。楽しく学び、遊び、成長できる学校だった。そして15歳まで一緒に過ごしてきた仲間みんなが「高校に行く」という。それが「当たり前のこと」だという。それ以外の言葉を「聞くこと」はない。
だから、高校も大丈夫、一緒に高校に行こうと、言い続けてきた。
だけど。


      ■


さきちゃんは小五のとき、「学校は楽しい?」と聞かれ、「社会と国語が楽しい」と答えた。
勉強は難しくなっているのにどうしてだろうと、母親が尋ねてみる。さきちゃんの答えは明瞭だった。「分からないことが楽しい」。そう、先生が自分の知らないこと、分からないことを、教えてくれる。自分の世界が広がる。しかもみんなと一緒に学び広がり、一緒に成長できる。こんな楽しいことがあるだろうか。

5年生のさきちゃんが教えてくれたことを、私は宝物にして就学相談会で話す。

「分からない授業はかわいそう」という「脅し文句」があるけれど、それは「どうせ分からない子どもなんだから、いても意味がない」という言葉に過ぎないのだと。

さきちゃんの言葉に励まされて、ふつう学級を選んだ親子がいる。さきちゃんの言葉に支えられて高校生になった親子がいる。

千葉市での就学相談会は年に2回あるが、この9年間、いつもさきちゃんと一緒だった。就学相談会の時には、私にとってさきちゃんは「子ども」としてでなく、一番の「同志」だった。

小学校は大丈夫だから。
中学校も大丈夫だから。
だから高校も一緒に行こうと、毎年言い続けてきた。

でも、今日も、私はさきちゃんに嘘をついた。私の中で、純くんは死んだ後にも定員内不合格にされ続ける。だから私はまた嘘をつく。今日は嘘つきだったけど、本当は大丈夫だから。絶対に大丈夫にするから。大丈夫だと言わないと一緒に生きられないから。


      ■


「分からない授業はかわいそう」


「分からない子が高校生になるのはかわいそう」
「意思疎通のできない子は、高校生として生きる価値がない」
「分からない社会にいるのはかわいそう」
だから、どんなに「席」が余っていても「不合格」にするのが「公平・公正」という、この社会。

その先に、「意思疎通のできない人間は生きている価値がない」という犯罪者が現れる。

「やまゆり園の犯人」と同じ「能力観、評価尺度、人間観」をもつ全国の高校校長と教師が、全力で彼の主張と妄想を応援している。


《意思疎通・コミュニケーション能力を、判断の基準にすること、相手の表現を分からない自分を疑うことなく、一方的に相手を排除する考え方》を支持する。
彼らはいう。「同じじゃない。殺していない、と。

それは、私にはこうとしか聞こえない。
「手を下すのは私たちではない。私たちに評価されずに、それでも私たちに認めてもらいたくて、必死にもっと評価されない者を貶めようとする奴だ。私は直接手を下してはいない」。
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