「ひどいことを言った」と謝る新人さん。
「あんたはそんな人じゃなか。あんたと私は40年のつきあいやろが」(※)
「22歳」の新人に、「40年」のつながりを感じるお婆さん。
一晩のつきあいで、40年分のつながりを感じたのか。
あるいはただの「ボケ」で、「まだ生まれてないわ」とツッコミを期待したのか。(-。-)
どっちにしろ、お婆さんに救われた新人さんが言う。
「私はこの仕事をしてはいけないと考えました。けれどお婆さんは励ましてくれたんです。もう少し、がんばってもいいんじゃないかと思います。」(※)
◆ ◆ ◆
私も、子どもに助けられたことがある。
その子はホームにきて3か月で高校を辞めた。いくつか仕事もしたがうまくいかず、だんだんと帰ってこない日が増える。
私は心配しながら、イライラしながら、帰りを待つ夜が続いた。
ある朝、玄関で鉢合わせした。酒と煙草の匂い。
手に持った財布を隠そうとするから、つい反応してしまう。
「お金ないって言ってたよね。ちょっとそれ見せてよ」
「取らない?」
取る? 私が? そんなふうに思われてる?
財布には一万円札がいっぱい。
「これ、どうしたの?」
そこで止めればいいのに。「取る?」という言葉に動揺し苛立っていた。「人に言えるお金なの」と追いつめた。
「言えない」事情があることくらい、気づいていた。だから私と顔を合わせないようにしていたことも、分かっていた。気づいていながら、どうにもできない自分にこそ、苛立っていた。
「出て行けばいいんでしょ」
「そんなこと、言ってないだろ」
答えても遅い。言葉じゃない。「居場所がない」と感じれば、出て行くしかない。
出て行く先がないから、ここにきたのに。
《私はこの仕事をしてはいけない》
あのとき、私もそう思った。
(※)「シンクロと自由」村瀬孝生