「ポリヴェーガル理論」と「ふつう学級」
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8歳のときから、「ふつう学級」にこだわってきて、気がついたら六十を過ぎていた。
とりあえず六十を一区切りとすれば、私の人生を決めたのは、分けられた「8歳の記憶」だった。
「分ける」ことは、子どもの「一生」に影響を与える。
それは、「教育」の選択の話ではなかった。
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六十を機にもう一つ確かめられたこと。
私が知りたかったことは、「教育」の中ではなく、「ポリヴェーガル理論」という「神経生理学」のなかにあった。
そこで、今年の就学相談会の前に、『教育について話さない就学相談会』の話を書いてみたい。
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たとえば、いつも話す「小夜さんの、子どもを分けてはいけない4つの理由」の「1」。
『子どもというのは、もともと分けたがっても、分けられたがってもいないのです。』
『ポリヴェーガル理論臨床応用大全』という本には、この言葉の「神経生理学」的な説明があふれている。
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『私たち人間は、この世界に生れ落ちたときから、人とつながる配線を生まれながらに持っている。』(461)
『赤ちゃんは、哺乳類として人とつながりたいという強い衝動を持つ。しかし、早産や疾患を持つ赤ちゃんは、こうした生物学的命題に挑戦する環境に放り込まれる。NICUにおいては、母親と生まれたばかりの赤ちゃんをつなげる生物学的に意図された二人のダンスは、無礼にも中断される。』(483)
『私たちは、生存、「健康、成長、および回復」のために、この他者とつながる力に依存し、それがあるために相互関係を持ってコミュニケーションをとることができる。』(461)
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「私たちは互いにつながり合うように配線されている」んだから、保育園でも、小学校でも、まず「つながり」の安全を保障することを抜きにしてはいけないのです。
アメリカでは、NICU(新生児集中治療室)を、「NIPU」(新生児集中育児室)と名づけ直そうという提案もあるようです。
たとえ、命を救う「治療」のためであれ、親子の「つながり」がどれほど大切か。
まして、保育園や小学校で、子どもたちの「つながりの安全」がどれほどかけがえのないことか。
(つづく)