ワニなつノート

心がゆれるということ



心がゆれるということ




先週、「人権啓発」の講演が終わった。
私はまったく売れてない芸人のようで、ひとつも笑いが取れずすべりまくった感じだった。

「人権」なんて、日ごろ考えていないことを、人様にしゃべってはいけない。
もう二度とやることはないとおもう(・.・;)


       ◇


でも、講演の中身を考えるなかで、ひとつ大切なことが分かった(o|o)


ホームで出会った子のなかで、関係をつくれないままいなくなった子がいる。
その子たちのことを思い出しながら分かったこと。

それは、「彼女を迷いなく受け入れる自信ができたら、そのときはこの仕事をやめるときだ」ということ。



新しい子がホームに来ると、いつも1~2カ月は迷いの森に入る。
それでいいのだと、分かった。

同じ家で、他人同士が一緒に暮らすということ。
お互いに、探り合うということ。
安心するのは、意思や知識ではない。
安心するのは、感情だから。

お互いに、お互いの感情の流れは、どんな川のようなであるか。
川の流れをよむには、時間がかかるということ。

時間がかかるということは、それまで心は揺れるということ。
敬意と警戒のあいだを揺れるということ。
大丈夫と大丈夫じゃなかったら…のあいだを揺れるということ。
安心と不安のあいだをゆれるということ。

ブランコが揺れるように
心が正常に動いているということ。
生きているということ
お互いに弱いひとりの人間として、
他人として出会いが始まることに、
怖れと敬意と、期待と不安があるということ。

まだ、関係ができていない、ということ。
まだ、途中、だということ
理解の遅れが、お互いにある、ということ

心が揺れない、としたら、それは強さではなく、
相手への敬意と恐れが足りないということ。

心が揺れない、というのは、心が固い、頑な、であるこということ。
柔軟でないということ。
相手の気持ちを推し量る気持ちが薄いということ。


だから、私は初めての子どもと暮らすときに、
迷いや不安がなくなったら、
そのときはこの仕事をやめようとおもう。
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