山好き ojisan の ひねもすだいありー 

あの山この山、山行の備忘録。♪憧れの山に旅して、登って、食べて、飲んで…♪ 心地よい生き方を探しましょ♪

退院、しました〜‼️

2017年11月29日 12時21分51秒 | 日記


入院して21日、手術後19日、
ついに退院しました〜‼️🙌🎉

人生で初めて、これだけ長いこと無為に過ごしました〜〜

ん⁈ 無為ではないかぁ‥ ???
意味は もちろん あったんだ、いや、あったはず‥‥

それこそ、
自分が どれだけ色々な人に支えてもらっていたかが 良くわかったし、
健康である事の大切さも‥‥

看護師さん達の 献身的な仕事ぶりには
感謝してもしきれません。
志が無ければ、とても務まる仕事ではないね。


ささやかな事から、これからも
自分なりに、社会に 恩返ししていきたいなぁ、と
謙虚に思う隊長であります。
本当に、
ありがとうございました。



このブログ記事の 趣旨からは 外れてしまうかもしれませんが
術前、術後、経過について、
自分の覚えとして、簡単に記録しておこうかと思います。

❶きっかけ
遡る事、3年前の春、
ある時 ふと感じた右耳の聞こえの 違和感‥‥
飛行機に乗った時の 気圧の変化に
耳抜きが 追っつかないみたいな感じ⁈
風邪の治りかけの症状かなぁ、と 軽く思っていたんだけど
いつまでも治らず、気になり 街中の耳鼻咽喉科ヘ

診察を受けたものの 異常なし。
気のせいかぁ と しばらく様子を見るも、
いや、やっぱり おかしい。

別の 耳鼻咽喉科へ行き、調べる。
一軒目、異常なし。
納得行かず、また別の耳鼻咽喉科へ。

そこで初めて、ごく僅かだけど 聴力が落ちてる事がわかる。
ただ 原因は勿論 まだ不明、
念のため MRI を撮ることを薦められる。

❷MRI
その耳鼻咽喉科で紹介された 検査医院に出向き、
五年前の 「椎間板ヘルニア」手術以来の MRI。
二度目とあって 格段 緊張はしていなかったものの、
撮影に当たっていた、アルバイトらしき若い検査技師の
オペレーター室越しに漏れてきた 『 あーー 』という、聞こえるか聞こえない程の声を
隊長、聞き逃しませんでした。
一抹の不安‥‥‥

❸発覚
翌日、結果を聞きに‥‥
『 聴神経腫瘍ですね』‥‥‥
担当の医師の、淡々とした声が告げています。
あ、そう。
え⁉️ 腫瘍⁉️ 聴神経⁉️
その瞬間、 『 人生、詰んだな、‥‥』そう思ったのを、
隊長 忘れません。

帰り道、説明された病状を
頭の中で反復しながら、
現実の事とも、自分の事とも 受け止められずにいました。




まだ 発覚間近の ごく小さい状態の聴神経腫瘍

❹某東大病院
担当 医師の、本来の勤務病院🏥が、某東大病院。
2週間後に 治療方針を決めに、紹介状を持って行くことに‥‥

それまでに、知り得ることを調べ、“理論武装”を急ぎます。
そもそも、この病気、かかる確率は 10万人に一人の確率、だとか…
原因は不明なものの、9割の腫瘍が良性で、成長速度も普通は遅い。
因みに 現在の腫瘍の大きさは 径 約18㎜。
治療法は a. 経過観察 b. ガンマーナイフ(放射線治療) c. 開頭摘出手術 など。
ただし、腫瘍のできてる場所が 聴神経に罹っているため
聴力の温存は 長い目でみると期待できず、ましてや 回復は ほぼ不可能。
従って、聴力の残り具合、腫瘍の成長具合、
現在の年齢等を 全て秤の上に乗せ、リスクも含めて
治療を考えて行かなければならない。

悩みつつ、当日を迎えました。

薦められたのは、ガンマーナイフ治療でした。
成長を先ず止める事を優先。
リスクは、今ある聴力を、それによって確実に失う事。

❺最初の決断
しかし、隊長には、その時それを、まだ受け容れられませんでした。
何かを失う決断、って
やっぱり難しいものです。
快癒には向かはなくても、腫瘍の成長具合が遅ければ
病気と折り合いをつけながら 付き合っていけるんじゃないかな、という
経過観察を選んだのです。

それに、本当言うと、
そのお医者さんの事、あまり信じきれてもいなかったのです。

それが、三年前の事。

❻補聴器購入
一年経過し、腫瘍自体の大きさは余り変化なかったものの、
聴力は やはりだんだん弱まり、
補聴器を購入しました。
聴き取りづらい音を選んで拾う、最新 デジタル補聴器です。
25万円也。出費が痛い‼︎

❼この夏の発覚
更に一年経過。
何回か、それまでにも、補聴器が拾う音の調整をしてきていたのですが
夏頃、どうにも 聞こえが悪くなり、
故障か、と 補聴器購入先に持ち込み、調整をして貰うことに。

ところが、顔馴染みとなっていた ショップの店員さん、
応対して調べてくれているうちに、
どうも表情が芳しくありません。

一旦 奥に引っ込んだ後、しばらくして出てくると
「 えー、っと 補聴器の故障ではありませんねぇ‥‥」
「 右の聴力が、どうも ほぼゼロ に‥‥‥」
隊長、ピン と きました。
いよいよ、次の決断をすべき その時が来たんだと‥‥

❽再検査
そういえば 最近では、耳鳴り が確実に大きくなっていたし
夜道を歩いていて まっつぐ歩いているつもりなのに
ふと気付くと大きく左右にぶれていたり
歩きながら左右に視線を巡らすと それ以上に🌀ぐるぐると視野が回って見えたり、と
今考えると かなり悪化しているのは明らかでした。
ただ、1日単位で比較すると
そこに明確に 悪化した事の線引きをすることが出来ず
ズルズルと過ごしてきて しまっていました。

効果がない補聴器は 取り敢えず してもしょうがない、
すぱっと外しました。

問題は、どのタイミングで再検査するか?
色々と抱えていた仕事もあったけど、
恐らく再検査 ⇒ 具体的な治療 という流れに、
今回はそれ程 躊躇する時間は無いように思われます。

9月中旬、やっと仕事が一段落したところで
造影剤をつかったMRIを撮ることができました…





白く大きく脳幹側に広がっている腫瘍


❾再決断
数日後、結果と治療法を相談しに、
重い気持ちで出かけます。
担当医は 以前の医師から M 医師に変わっていました。
「 腫瘍の大きさは、径4㎝弱。」
「 脳幹側にも拡がり圧迫している状態で、
  はっきり言って、経過観察の時期は もう過ぎてます。」
「 成長の速度の早さから言って、私は開頭手術での摘出を薦めます。」
「 僕じゃなくても、9割以上の医師が そう考えると思います。」
説明を聞きながら、だんだんと自分の中で決心が固まっていくのがわかります。
「 もし、今日、摘出手術をお願いしたとしたら、実際の手術は いつぐらいになりますか? 」
「 ここではオペ出来ないので、僕の病院(某 日本医大)で 執刀します、
  次のオペは、11月9日。症状がこれ以上 悪化したら、途中 割り込ませることも
  出来なくはないけど… 」
「 大丈夫、最善を尽くします。」
「 … … 結構です、では その予定でお願いします… 」

1か月半のウェイティング、今 抱えている仕事も そのタイミングなら
会社へも最小限の迷惑で済ませられるはず…

担当の先生の真摯な説明にも納得できたし、
すべての条件が、それを後押ししているように感じられました。

❿手術
不思議なのは、手術までのひと月半、
堰を切ったかのように 日一日と症状が顕著になっていった事。
日中でも目眩・ふらつき が頻繁になり
顔面の感覚(右側)に違和感が感じられるようになり、
一番応えたのは、味覚障害
手術前の数週間には 何を食べても味が感じられなくなり、辛かったぁ。

本当にギリギリのタイミングだったのか、
それとも 手術を決断した事で、身体の抑止力が弱まったか、
無理しないでもいいと 身体が判断するに至ったのか…
誰かわかる人がいたら 教えて欲しいものです…

会社を休む間にしなくてはならない仕事をこなしたり
お願いして振り分けたりして迎えた 手術の日の朝、
案外と穏やかに手術室へ向かう自分がいました。
「 今から麻酔薬が入っていきます… … … 」

⓫術後
おかげさまで、腫瘍の95% は 摘出でき、
後遺症も、右目の「まばたき」に支障を感じたり、
右の口端での吸い込みに不自由を感じる程度の顔面麻痺が少々。
それも今後のリハビリと時間が解決してくれるだろうと
前向きに考えています。




耳の後ろ、医療用ホチキスで丸く止めたところが
開頭したところ…


全面復帰には、あと1、2週間はかかりそうですが
徐々に体力も戻していかないとね。
椎間板ヘルニアの時にも、
復帰山行で 陣馬山~( 裏高尾縦走 )~高尾山で
『 鉄人復活 』をアピールした隊長ですから
何か きっとやらかしてくれることでしょう!!
乞う、ご期待!!

ありがとうございます!!


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槍穂 展望の山、再び‼️ 蝶ヶ岳(下巻)

2017年11月08日 11時28分59秒 | 北アルプス
さて、その晩は、この時期としては珍しいくらいの暖かい夜で、
風もほとんど無く、
一人、テントの中で、
誰にはばかる事なく
手足を伸ばし放題
朝まで 大いびきをかくこともなく過ごしました‼︎
✳︎注 私のテントは、完全防音なのです ( ⇦嘘‼︎ )
イヒヒ

夜中、
一度だけテントから⛺️顔を出してみましたが
残念!月明かりがまぶしすぎて、
星は思っていたほど見えませんでした‥

あ、そうそう、
山小屋は その晩 三人で一つのお布団だったとか なかったとか‥
テントのありがたみを享受させていただきました、イヒヒ
苦労した甲斐があった‥




四時をすぎたあたりから、
ザワザワと 外で人が動き出します。
ご来光🌅と、モルゲンロート

期待が高まります‥

さすがに明け方なので、
アウター2枚にダウンを着込み、さあ、臨戦態勢オッケー👌
どこからでもかかってらっしゃい‼️
(もちろん誰も かかってきませんが‥ )





おっ⁉︎ 富士山、見えてるじゃん‼︎


反対側の穂高岳方面には、
きれいに 雲海が広がっています。



お兄ちゃん‼︎






おっ‼︎ 出ました‼︎




ひとしきり 眺めていると、
一緒に眺めていた周りの人波が、さーっと反対側に動き出します。


モルゲンロートにみんな期待してるんだねー

しかし、この朝 これ以上焼けることはなく‥‥‥‥ 残念‼︎





今頃、あの “涸沢村” では、
やっぱり モルゲンロートを巡って、大騒ぎなんだろうね〜 (笑)

さて、それじゃあ、簡単に朝食を 済ませて、
行きましょうかね〜

当初、自分的には ピストンで三俣に戻るつもりだったけど
昨日お兄ちゃんと話したら 上高地へ下るつもりみたいなので
まぁ、それはそれで いっか!

テントと荷物は 残したまま、
“蝶槍”までピストンして、。
槍穂の展望を 満喫してきましょう‼︎



前穂、奥穂、涸沢岳、北穂、キレットに 槍ヶ岳と
山や の憧れの、オールスターが 揃い踏み。


片や、乗鞍岳に 木曽の御嶽山も‥








いつの間にか 雲海はきれいに消えて
上高地( たぶん徳沢のちょっと先 )まで、見通せます。


常念岳をバックに、手前のとんがりが“蝶槍”っす。
その手前が、隊長っす‼︎ ププッ
怪傑ハリマオ、かいっ‼︎ ( 古っ )



どこまでも青い、ぴーかんの空。
最高っす‼︎








お兄ちゃん、決まってるなぁ〜



幕営地に戻り、テントを撤収、さぁ、徳沢へ向けてGo‼︎
ん⁉︎ 気づいたら、一番ビッケ‼︎ (笑)





槍穂の展望も、これで しばらく見納め、っす‼︎


実は隊長、
11月早々に、例の聴神経腫瘍の摘出手術を受ける事に決まりました。
え⁉︎ 手術⁉︎
そう、開頭手術‼︎

この時は まだ それほど、と 正直思ってましたが
今、実は これを病室で書いています。
えーっ‼︎ 病室でー⁉︎

そう、もう看過できなくなっていたんです。
めまい、ふらつき、味覚障害 ‥‥‥


中途半端は嫌だし、直径4センチもの腫瘍、

潔く、明日、
“まな板の鯉”に なって、取り出してもらいます。

また 来シーズン、
こうして 山ブログを 書いていられる事を願って
元気でいられる事を、
生きていられる事を ‥‥‥ 願います。
神様、
どうか お守りください‥‥‥‥



奇しくも、
日本のお山の、ナンバー1、ナンバー2、ナンバー3 が
並んで見えていました。







徳沢へ、戻って来ました。
黄葉は、もうここでも 始まっていました。







ここは、日本で、もっとも気持ちのいいキャンプ場の一つ。
いつか、ここに、キャンプする為だけに来るのも、いいね‼︎









いつもは 疲れ切って、惰性で歩く、
上高地までの 帰りの道も、
いつまでも 気持ちよく 足が動くのでした
( と、言う事にしといて下さい、イヒヒ )









お兄ちゃん、お疲れ様でした〜‼︎

帰り、凄い人出でしたが、何とか松本までの切符もゲット!
今、こうして書いていながら
松本で、予約していた 帰りの「あずさ」の時間まで、
美味しい地元料理に ありついたのが、
随分 昔のことに思えます。
右聴力は 諦めたから、
せめて 味覚と、ふらつき、めまい、は
治りますように‥‥‥


じゃ、行って来ま〜す




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