「無題」
(十七)―③
春の静かな夜だったが誰もがその静けさに溶け込もうとはしなか
った。その静けさが逆に目には見えない放射能汚染への不安を乱し
た。これまでと何も変わらない現実こそが恐怖だった。さらに、恃
むべき当局への不信が不安を増幅させた。つまり、目で確かめるこ
ともできず、耳に届くことも信用できない絶対恐怖の中で、彼らは
ただ不安を語り合うことでしか不安から逃れることができなかった。
華やいだ春の訪れの期待や、たわいない人との会話や、それぞれが
興じていた趣味などの習いへの関心を放射能汚染の不安が奪ってし
まった。
わたしはバロックに、
「子どもとか心配でしょ?」
と訊くと、
「ま、ここは大丈夫だと言うから、当てにならないけどね。迷信を
信じるしかない」
当局が発表する安全神話は迷信だと言った。そして、
「嫁さんの母親なんか放射能を霊視するために霊能を高める修行を
始め出したからね」
バロックによると、奥さんのお母さんは何でも霊感が鋭くて、人に
は見えないものが視ることができるらしい。娘のミコさんが化学物
質過敏症を発症させた時には、有害物質が空気中に黒い煙りのよう
に漂っているのを見ることができたらしい。いまやその超能力を放
射能汚染にも生かそうと言うのだ。
「できるんですかね、そんなこと?」
すると、黙って聞いていたその夫であるゆーさんが、
「アホくさっ」
と吐いてから、
「原発の話しに戻るけど、たとえば、交通事故や火事、あえて付け
加えれば原爆が投下さるまでの数多の戦争でさえも、例は良くない
かもしれないが大量虐殺があったとしても、世界そのものに関わり
がなかった。もちろん人間を自然の一部と見做せば殺人も自然破壊
と言えなくはないが、しかし人類が絶滅の危機に瀕することはなか
った。つまり、再生可能だった」
ゆーさんは、うつむいて胡坐に置いた指を絡ませて握り締めた手を
じっと見詰めながら自分に言い聞かせるように語った。なぜか急に
関西訛りが消えていたので誰もが改まった。わたしなんか伸ばして
いた足を慌てて尻の下に折りたたんだ。
「しかし、原子力技術だけはちがう。仮に地球温暖化問題にしても、
どれほどCO2の排出によって温暖化が進んだとしても、たぶん自
然環境再生の可能性、物質還元への可能性は残されているが、原子
力技術は物質を形作る原子核を破壊して存在そのものを破壊する。
しかもその核分裂の連鎖反応は半永久的に続くのだ。それは大気汚
染だとか水質汚染の問題とは次元の違う破壊なんだ。つまり、原子
を破壊してエネルギーを得るというのは自然環境を破壊するだけで
なく、宇宙誕生の摂理、つまりエネルギーから物質が生まれたこと
に逆行する取り返しのつかない行為なのだ。クリーンエネルギーだ
からとか経済的だからとか、たとえ原発がないことによって人類が
絶滅したとしても、実は、そんなことは大したことじゃないんだ。
人類の代わりなんてすぐ現れるだろう。否、そんなものが現れなく
たって構わない。何よりも大事なことはこの物質世界を残していく
ことなんだ。しかし、原子力エネルギーとは原子を破壊してエネル
ギーを取り出して世界を再生不能にしてしまう。多くの優れた物理
学者が挙って核兵器に反対したのはそれが世界の破壊ではなく世界
の消滅に到るからにほかならない。原発は核兵器とは違うというな
ら現地では何を怖れているのか言ってみるがいい。状況はまったく
同じではないか。人間の勝手な都合で奇跡的な存在であるこの世界
を、この世界を生んだ物質を形作る原子を消滅させるようなことだ
けはしてはならないんだ。」
ちょうどその時、
「お待たせーっ」
と、サッチャンがグラスに入った地酒と料理を運んできた。ゆーさんは
地酒のグラスだけを取って一気に呷った。
(つづく)
* 参考までに「日本パグオッシュ会議」のホームページに載せられた
「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1995)のアドレスをリンクします。
当時は米ソによる核戦争の危機が叫ばれていましたので核兵器に
拘っていますが、核兵器を原発に、戦争を経済戦争に置き換えて読
むと改めて原発事故の怖ろしさが分ります。
http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html
ケケロ脱走兵