「無題」 (十六)―⑥

2013-10-24 03:59:54 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



       「無題」


       (十六)―⑥


 わたしたちの原発事故問題に対する姿勢は、かつて、わが神国が

欧米列強のアジア植民地化に対抗するために、大東亜共栄圏の美名

の下になし崩しに隣国を侵略して植民地支配し、ミイラ取りがミイ

ラになった過去の歴史を、この国のナショナリストたちが戦後「体

制」を変えてなかったことにしようという独善と何と似通っている

ことだろう。しかし、体制が変わる度に歴史認識も変わるとすれば

何といい加減な国であるか。原発事故では、安全神話が崩壊すれば

想定外だったと詭弁を弄し、そもそも「絶対安全」とは想定外の余

地などないことを言うのだが、体制が変わると早々に避難者を置き

去りにして原発事故の終息宣言が出され、いずれ舌の根が乾かぬう

ちに福島原発の事故は大地震による天災だったと書き換えられるに

違いないが、経済を優先させるために原発そのものの是非は議論さ

れないまま看板だけを書き換えて再び新「安全神話」の下になし崩

しに再稼働を求める姿勢は、かつての被植民地の人々の抗議に耳も

貸さず、不都合なことはなかったことにしてしまうオポチュニスト

たちの手によって、またしても新「安全神話」は崩壊するに違いな

い。つまり、過去の過ちから目を背ける是を過ちと謂う。

 

                                   (つづく)


「無題」 (十六)―⑦

2013-10-24 03:56:32 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)


         「無題」


         (十六)―⑦


 作業服を着替えたバロックが奥さんからわが子を預かって泣く子

を抱えてテーブルに着いた時には、わたしの缶ビールはすでに缶だ

けになっていた。バロックはゆーさんにわたしが見学に来た経緯を

説明した。わたしはゆーさんに、

「オーガニックにこだわった店をやりたいんです」

と言うと、

「ふーん、しかしそんなん東京にはいっぱいあるやろ」

「できたら百円均一でやろうと考えています」

「えっ、そらあかんわ。そんなもん誰が出すか」

ゆーさんが言うには、無農薬だと生産は極端に減る。さらに病気や

害虫にやられると売り物にならない。だからみんな化学肥料を使っ

たり農薬で駆除したりして収穫を増やそうとしているのに、収穫が

少ないのに単価が安いとなれば誰も売ってくれないと言うのだ。し

かし、わたしも長年その道で飯を食うてきたので、そんなことは今

更言われなくても判っていた。たぶん、いまスーパーで売られてい

る袋売りのキューリやナスビなどは一本づつのバラ売りになるだろ

う。キャベツならカットすることになる。ただ、核家族化した東京

の家庭では三本も四本も袋に入ったキューリやナスビ、丸ごとのキ

ャベツなど大概は使い切れずに最後には野菜専用の冷暗室の中で屍

になって火葬場へ送られるのを待っているのだ。それどころか、東

京の単身世帯の数は著しく増加して、すでに一世帯の平均家族数は

二人を切ってしまった。さらに、共働きが増えその上に嗜好が多様

化して、同じ家で暮らしていてもこんな風にみんな一緒に夕餉の席

に着くことなどあるかないかというほど個食化が進んでいる。もは

や彼らは面倒な自炊は諦めてコンビニ弁当かファーストフードで簡

単に済ませている。ところが、それら加工された食物にはどんな食

材が使われているのかわからないし、何が添加されているのかもよ

くわからない。実際、わたしは職場で数え切れないほど偽装表示さ

れた食品を見てきた。だから言うのだが、今や食べ物は「安かろう

旨かろう、ただし危なかろう」の時代なのだ。

                                    (つづく)


「無題」 (十七)

2013-10-12 08:33:17 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



          「無題」


          (十七)


 その温泉旅館は、古くから名湯として知られ一時は効能を求めて

遠くからも湯治客が絶えなかったらしいが、なにしろ不便な上に湯

に浸かること以外にこれと言って暇を潰す施設もなく周りにはおも

しろい景色があるわけでもなく、ただ「無為」を求める者には何も

かもが揃っていたが、次第に人気の温泉街に客を奪われて、今では

地元の者が一日の垢を落としに寄るくらいに寂びれ果てていた。代

を継いで源泉を守ってきた老いた当主も連添いに先立たれてからは

励みを失くし、子や孫たちには早々と後を継ぐことを拒まれ、せめ

て湯だけは残したいと誰ぞ想いを託すべき者がいないかと夢にまで

見るようになっているところへフラーッと一人の男がやってきた。

その男とはもちろん「ガカ」のことだが、ただ彼は、すでに自分の

中に在る絵を写し出すための言わば手段としての景色を求めていた

ので何もこの地へのこだわりはなかったが、首を伸ばした老人の目

に留まり、ただし暇には絵に専心することを条件にやむなく湯守を

引き受けた。とは言え、引き受けたからには何とか客を増やせる術

はないものかと思案を重ねた末に、長逗留してくれる湯治客を当て

込んで退屈しのぎに本でも読んでもらおうと考えていると、今や電

子書籍の時代で、「これだ!」と思って早速手続きをしてタブレッ

トを取り寄せ「読書温泉」と名付けてホームページを立ち上げると、

すぐに問い合わせがあって、あの原発事故が起こるまでは引退した

当主を再び呼び戻すほどに湯治客が逗留していたが、いまは被曝を

怖れたすべての客が早々に部屋を引き払って元の寂れた温泉旅館に

もどってしまった。

「これだけはどうすることもできませんから」

ガカは、自分の本分に専心できることからそんなに落ち込んではい

なかった。われわれは貸切状態の温泉に浸かってから、囲炉裏のあ

る板の間で呑み直した。

                                (つづく)




「無題」 (十七)―②

2013-10-08 12:13:45 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



         「無題」


         (十七)―②


 毎日の関心がもっぱら放射能汚染に向けられていたので話しは自

ずから原発事故のことになった。わたしは、ガカが持ってきてくれ

た缶ビールのプルタブを開けながら、

「もう原発はムリでしょ?」

とつぶやくと、バロックの義理の父である「ゆーさん」が、

「どうせまた喉元過ぎればだよ」

と言って、一気にビールを喉に流し込んだ。

「プッファーッ!やっぱりビールは風呂上りに限るなあ」

すると、バロックが、

「せやけど、ゆーさん、放射能は喉元過ぎても熱いまんまやで」

「たしかに、ウンコになっても放射能をまき散らす」

わたしは缶から口を放して、

「じゃダメじゃないですか!」

「まあ、それが自然な考え方やけど」

「自然じゃダメですか?」

「だって科学文明というのは自然に逆らって成り立っているんやか

ら」

「ま、そうですけど」

「そもそも機械文明はエネルギーがなければ何の役にも立たない」

「ええ」

「それじゃあ、原発に反対する者は文明社会を捨てることができる

のか」

「なんでそんな極端な話になるんですか」

「確かに極端やけど、原発反対を訴える者はそこまで覚悟してない」

「もちろんそうですよ」

「しかしな、電気代を上げると言うと挙って猛反対するんじゃそも

そも脱原発なんて実現するはずがない」

「値上げを認めろと言うのですか?」

「もちろん!いまの倍になっても仕方がない」

「そんなことになったら、日本はメチャクチャになりますよ」

「そうなんや、ほんとはメチャクチャになるはずなんや。ところが、

何もなかったようにこれまで通り暮らそうとする」

「つまり、原発に依存しながら原発に反対するのはおかしいと言う

のでしょ」

「反対するのならこれまで通りの生活、つまり経済優先を改めない

限り脱原発なんてまた喉元だけの話で終わってしまうよ、きっと」

「だけど、経済だって大事でしょ」

「じゃあ、お金と命とどっちが大事なんや?」

「そりゃぁもちろん命ですよ」

するとバロックが、

「生存は経済に先行するやな」

と、口を挟んだがゆーさんは続けた。

「そもそも原発の是非を議論するときに経済問題を持ち出すのは間

違ってると思う。脱原発が経済リスクであることは判り切ったこと

やないか」

「原発リスクと経済リスクは同列に語れないと言うのですか?」

「だって、経済リスクは原発リスクまでもたらさないが、原発リス

クは経済リスクさえももたらす。それどころか、再び事故が起こ

れば経済どころか国家存亡のリスクまでもたらすやないか」

すると、またバロックが、

「つまり、原発リスクは経済リスクに先行するってことやろ、ゆー

さん」

ゆーさんは、バロックのことばに頷いてから、缶を逆さにして残っ

たビールを喉元に流し込んだ。

                         (つづく)




「無題」 (十七)―③

2013-10-07 05:58:27 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)




         「無題」



          (十七)―③


 春の静かな夜だったが誰もがその静けさに溶け込もうとはしなか

った。その静けさが逆に目には見えない放射能汚染への不安を乱し

た。これまでと何も変わらない現実こそが恐怖だった。さらに、恃

むべき当局への不信が不安を増幅させた。つまり、目で確かめるこ

ともできず、耳に届くことも信用できない絶対恐怖の中で、彼らは

ただ不安を語り合うことでしか不安から逃れることができなかった。

華やいだ春の訪れの期待や、たわいない人との会話や、それぞれが

興じていた趣味などの習いへの関心を放射能汚染の不安が奪ってし

まった。

わたしはバロックに、

「子どもとか心配でしょ?」

と訊くと、

「ま、ここは大丈夫だと言うから、当てにならないけどね。迷信を

信じるしかない」

当局が発表する安全神話は迷信だと言った。そして、

「嫁さんの母親なんか放射能を霊視するために霊能を高める修行を

始め出したからね」

バロックによると、奥さんのお母さんは何でも霊感が鋭くて、人に

は見えないものが視ることができるらしい。娘のミコさんが化学物

質過敏症を発症させた時には、有害物質が空気中に黒い煙りのよう

に漂っているのを見ることができたらしい。いまやその超能力を放

射能汚染にも生かそうと言うのだ。

「できるんですかね、そんなこと?」

すると、黙って聞いていたその夫であるゆーさんが、

「アホくさっ」

と吐いてから、

「原発の話しに戻るけど、たとえば、交通事故や火事、あえて付け

加えれば原爆が投下さるまでの数多の戦争でさえも、例は良くない

かもしれないが大量虐殺があったとしても、世界そのものに関わり

がなかった。もちろん人間を自然の一部と見做せば殺人も自然破壊

と言えなくはないが、しかし人類が絶滅の危機に瀕することはなか

った。つまり、再生可能だった」

ゆーさんは、うつむいて胡坐に置いた指を絡ませて握り締めた手を

じっと見詰めながら自分に言い聞かせるように語った。なぜか急に

関西訛りが消えていたので誰もが改まった。わたしなんか伸ばして

いた足を慌てて尻の下に折りたたんだ。

「しかし、原子力技術だけはちがう。仮に地球温暖化問題にしても、

どれほどCO2の排出によって温暖化が進んだとしても、たぶん自

然環境再生の可能性、物質還元への可能性は残されているが、原子

力技術は物質を形作る原子核を破壊して存在そのものを破壊する。

しかもその核分裂の連鎖反応は半永久的に続くのだ。それは大気汚

染だとか水質汚染の問題とは次元の違う破壊なんだ。つまり、原子

を破壊してエネルギーを得るというのは自然環境を破壊するだけで

なく、宇宙誕生の摂理、つまりエネルギーから物質が生まれたこと

に逆行する取り返しのつかない行為なのだ。クリーンエネルギーだ

からとか経済的だからとか、たとえ原発がないことによって人類が

絶滅したとしても、実は、そんなことは大したことじゃないんだ。

人類の代わりなんてすぐ現れるだろう。否、そんなものが現れなく

たって構わない。何よりも大事なことはこの物質世界を残していく

ことなんだ。しかし、原子力エネルギーとは原子を破壊してエネル

ギーを取り出して世界を再生不能にしてしまう。多くの優れた物理

学者が挙って核兵器に反対したのはそれが世界の破壊ではなく世界

の消滅に到るからにほかならない。原発は核兵器とは違うというな

ら現地では何を怖れているのか言ってみるがいい。状況はまったく

同じではないか。人間の勝手な都合で奇跡的な存在であるこの世界

を、この世界を生んだ物質を形作る原子を消滅させるようなことだ

けはしてはならないんだ。」

ちょうどその時、

「お待たせーっ」

と、サッチャンがグラスに入った地酒と料理を運んできた。ゆーさんは

地酒のグラスだけを取って一気に呷った。                         
                                   (つづく)

 * 参考までに「日本パグオッシュ会議」のホームページに載せられた
   「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1995)のアドレスをリンクします。
   当時は米ソによる核戦争の危機が叫ばれていましたので核兵器に
   拘っていますが、核兵器を原発に、戦争を経済戦争に置き換えて読
   むと改めて原発事故の怖ろしさが分ります。
   http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html      

                                  ケケロ脱走兵