「無題」
(十七)―④
ガカはサッチャンが手渡す「イカにんじん」(福島県の郷土料理)の
小鉢を半身になって受け取りそれぞれの膳に配りながら、
「つまり、ゆーさん、マンガのキャラクターが紙面の中でいくらハ
チャメチャしてもいいけど、原子力技術というのはその紙を破いた
り燃やしたりすることなんでしょ?」
ゆーさんは、胡坐の上に組んだ手をじっと見詰めながら背を丸めた
まま身動ぎもしなかった。その様子を覗き込んだバロックが、
「アカン、ゆーさん寝てはるわ」
置き去りにされたガカは「ゆーさん、ゆーさん」と呼び掛けると、
サッチャンが、
「やめときって!寝かしてあげて」
と言って、奥の押入れから毛布を取り出してゆーさんの背中に掛け
た。バロックは、
「いつもならもう疾うに寝てる頃やからな」
と言った。わたしは、自分の訪問が彼らの生活を乱したかもしれな
いことに少し負い目を感じながら、
「わたしは、こう思うんですよ。人間は自然環境がなければまず存
在できない、つまり自然内存在である。とは言っても文明社会を築
いてそのままの自然の中で生活しているわけではない。つまり、文
明内存在でもある。自然から生まれた人間が文明を生んだ。つまり、
自然、人間、文明という順番です」
するとバロックが、
「自然は人間に先行し、人間は文明に先行する、ちゅうことやね」
「まあ」
わたしは続けた。
「つまり、人間が生んだ文明がどれほど発達しても、文明もまた自
然内存在であるということです」
「文明だけでは生きることはできない」
「そうです。たとえば、自然が海だとすればわれわれは文明という
船に乗っている。船は海の恐怖からわれわれを守ってくれるが、し
かし生存のすべては海にある」
「ふん」
「ところが、船の中で安心した人間はさっきの順番を変えてしまう。
つまり、自然、文明、人間、という風に」
「文明は人間に先行するってこと?」
「それどころか船がさらに大きくなれば、海の上に浮かんでいること
さえ忘れてしまう」
「ええ」
「つまり、順番は、文明、人間、自然と、」
「、ひっくり返っちゃうんだ!」
「そうです、世界観がひっくり返ってしまうんです。そして、それ
を現実の世界に当てはめると、」
「、原発は環境に先行する!」
「ええ、経済を維持するために原発の再稼働が自然環境よりも優先
される」
「海よりも船の方が大事になる」
ガカがふたりの話に口を挟んだ。
「じゃあどうすれば原発を止めさせることができるんですか?」
「たとえば、わたしが道に迷っているとします。自分でも迷ってい
ることが分っている時は有難く人の忠告に耳を傾けますが、間違っ
ているとは思っていないとすれば、おそらく聞き流してしまうかも
しれません」
ガカは、
「出来ないってことですよね」
「ただ一つ方法があるとすれば、」
「、ええ」
「再稼働させてもう一度原発事故が起きたら、さすがに原発はコリ
ゴリだとなるでしょ」
「でも、そんなことになったらこの国も終わってしまうでしょ?」
「多分そうでしょうね。だから、再び同じことが起これば国が亡ん
でしまうかもしれないことを繰り返すほどわれわれは愚かでないと
信じるほかないでしょ」
(つづく)