「無題」 (十七)―④

2013-09-28 13:55:27 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



       「無題」


        (十七)―④


 ガカはサッチャンが手渡す「イカにんじん」(福島県の郷土料理)の

小鉢を半身になって受け取りそれぞれの膳に配りながら、

「つまり、ゆーさん、マンガのキャラクターが紙面の中でいくらハ

チャメチャしてもいいけど、原子力技術というのはその紙を破いた

り燃やしたりすることなんでしょ?」

ゆーさんは、胡坐の上に組んだ手をじっと見詰めながら背を丸めた

まま身動ぎもしなかった。その様子を覗き込んだバロックが、

「アカン、ゆーさん寝てはるわ」

置き去りにされたガカは「ゆーさん、ゆーさん」と呼び掛けると、

サッチャンが、

「やめときって!寝かしてあげて」

と言って、奥の押入れから毛布を取り出してゆーさんの背中に掛け

た。バロックは、

「いつもならもう疾うに寝てる頃やからな」

と言った。わたしは、自分の訪問が彼らの生活を乱したかもしれな

いことに少し負い目を感じながら、

「わたしは、こう思うんですよ。人間は自然環境がなければまず存

在できない、つまり自然内存在である。とは言っても文明社会を築

いてそのままの自然の中で生活しているわけではない。つまり、文

明内存在でもある。自然から生まれた人間が文明を生んだ。つまり、

自然、人間、文明という順番です」

するとバロックが、

「自然は人間に先行し、人間は文明に先行する、ちゅうことやね」

「まあ」

わたしは続けた。

「つまり、人間が生んだ文明がどれほど発達しても、文明もまた自

然内存在であるということです」

「文明だけでは生きることはできない」

「そうです。たとえば、自然が海だとすればわれわれは文明という

船に乗っている。船は海の恐怖からわれわれを守ってくれるが、し

かし生存のすべては海にある」

「ふん」

「ところが、船の中で安心した人間はさっきの順番を変えてしまう。

つまり、自然、文明、人間、という風に」

「文明は人間に先行するってこと?」

「それどころか船がさらに大きくなれば、海の上に浮かんでいること

さえ忘れてしまう」

「ええ」

「つまり、順番は、文明、人間、自然と、」

「、ひっくり返っちゃうんだ!」

「そうです、世界観がひっくり返ってしまうんです。そして、それ

を現実の世界に当てはめると、」

「、原発は環境に先行する!」

「ええ、経済を維持するために原発の再稼働が自然環境よりも優先

される」

「海よりも船の方が大事になる」

ガカがふたりの話に口を挟んだ。

「じゃあどうすれば原発を止めさせることができるんですか?」

「たとえば、わたしが道に迷っているとします。自分でも迷ってい

ることが分っている時は有難く人の忠告に耳を傾けますが、間違っ

ているとは思っていないとすれば、おそらく聞き流してしまうかも

しれません」

ガカは、

「出来ないってことですよね」

「ただ一つ方法があるとすれば、」

「、ええ」

「再稼働させてもう一度原発事故が起きたら、さすがに原発はコリ

ゴリだとなるでしょ」

「でも、そんなことになったらこの国も終わってしまうでしょ?」

「多分そうでしょうね。だから、再び同じことが起これば国が亡ん

でしまうかもしれないことを繰り返すほどわれわれは愚かでないと

信じるほかないでしょ」


                        (つづく)


「無題」 (十七)―⑤

2013-09-24 13:52:56 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



        「無題」


         (十七)―⑤


 バロックの嫁さんが湯から上がってくると、達磨のように動かな

くなった父親を見て、

「お父さん、お父さん!」

と、悟りを会得したかに見えたゆーさんを迷いの世界に呼び戻して

棲家のねぐらへと連れ帰った。わたしは、彼女に囲炉裏で焼いた「

しんごろう」(南会津の郷土料理)が出来たので座って食べて行けば

と言うと、横からバロックが、「こいつ、囲炉裏の煙とかもダメな

んですよ」と、彼女の事情を説明した。彼女は、

「以前はこの部屋にも入れなかったんですけど、だいぶ気にならな

くなりました」

すぐにサッチャンが飛んできて、彼女が運び出そうとする酔いつぶ

れたゆーさんを片方から支えた。そしてサッチャンに礼を言いなが

ら、

「きっと、ここの湯のお蔭よ」

と言って笑った。ゆーさんは迷いの世界に戸惑っているのか意識が

宙に浮いたままで身に収まらず、寝言のようなことばを残して去っ

た。しばらくしてバロックは、さきほどのわたしの話を引き継いだ。

「いま、竹内さんが言ったことは、ここでは理解されるかもしれへ

ん」

わたしは、

「えっ、何のこと?」

「順番ですよ、自然、人間、文明、の」

「ああ、そうかもしれませんね」

「自然環境の重要性を一番知っているのは福島なんやから」

「そうですよね」

「意識の転換が福島から生まれなければ、こんな目に遭った意味が

ない」

「ええ」

「たとえば、今後原発の再稼働が求められたら、福島に残された原

発ほど再び事故が起こった時に被害が少ない地域は他にないわけで

しょ」

「もう誰もいないから?」

「ええ」

「しかし、それって沖縄の基地問題の発想と同じだね」

「ええ、ゴミは一つ所に集めろってことです。実際、もうすでに

地方は東京の植民地なんやから」

「つまり、こういうことですよね。東京の、文明、人間、自然、の

世界観に対して、地方が、とりわけ福島から、自然、人間、文明、

への原点回帰が始まらなければならないと」

「そうでないと福島はいずれ原発のゴミ捨て場にされてしまう」


                         (つづく)


「無題」 (十七)―⑥

2013-09-22 06:18:09 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)
 


       「無題」


       (十七)―⑥


 黙って聴いていたガカが箸を休めて話しだした。

「さっきの海に浮かんだ船の話だけど、・・・」

その時、バロックが消灯された廊下の方を見て、

「あ、誰か来た」

と言った。すると闇の中から一人の男が現れた。ガカは振り向いて、

「あれっ、佐藤さん、どうかしましたか?」

と言って立ち上がった。その初老の男は白髪で銀縁のメガネを掛け

紺の作務衣を纏っていた。

「いやいや、ジャマをして申し訳ない、どうも寝れないので。へへ

へっ、眠り薬でもあればと思ってね」

ガカは、

「いい時に来ました、席が空きましたからここに座りませんか?」

と、ゆーさんが抜けた席を勧めた。その男性は、

「でも、ご迷惑でしょ?」

と言ったが、「3・11」以後は誰もが他人と繋がることを求めて

いた。不安の共有から共通のテーマが生まれて見知らぬ者同士であ

っても震災の話題が他人との仲を取り持った。他人の体験を聴くこと

で自分の不安を慰めるしかなかったからだ。バロックが、

「どうぞ、遠慮なさらずに」

と言うと、ガカに温めのお銚子を注文して腰を下ろした。そして、

「佐藤と言います。ここで読書と温泉三昧してます。どうぞよろし

く」

ガカが彼にバロックとわたしを紹介してくれた。

「佐藤さんはもしかして福島の方ですか?」

わたしが訊くと彼は、

「ええ、浜通りです」

「じゃあ、大変でしたでしょ」

「・・・」

「避難地域なんですか?」

「ええ、まあ」

彼があまり語ろうとしなかったのと、被災地で見た惨状を思い

出してそれ以上は訊けなかった。ガカは、彼に焼けたばかりの

「しんごろう」を皿に取って進めると、

「もうそんなに気を使わないでください。ただ、薬だけもらえれば

それで充分なんですから」

といって、仕方なく受け取りながら、

「じゃあこれ、私の方にチェックしておいて下さい」

と、お銚子と「いかにんじん」を持ってきたサッチャンに言った。

すると、サッチャンは、

「このお通しはサービスですので」

と言うと、彼は笑いながら礼を言った。バロックが地酒のグラスを

傾けながらガカの方を見て、

「な、さっきの話なんだっけ?」

「えっ、さっきの話って?」

「ほら、海と船の話」

「ああ、あれね」

と言ったきり先を続けなかった。佐藤さんはわたしにガカが紹介し

たことを訊ねた。

「それじゃあ、あす東京へ帰られるんですか?」

わたしは、

「ええ、本当は今日帰るつもりだったんですが」

「そうなんですか。で、ご実家は無事だったですか?」

「ええ、おかげさまで」

「そうですか、それは何よりでした」

わたしは、彼の住まいのことを問い返そうとしたが躊躇った。彼が

お猪口に酒を注いで甞めている間、誰もが口をことばを吐くこと以

外のために使った。人は人と一緒に食事をすることで、旨いものと

一緒に相手の言葉も呑み込んで打ち解けることができるのかもしれ

ない。自然と相手が喰えない話はしなくなる。そして思い出の共有が

生まれる。しばらくして、ガカが思い出したように箸を置いて、

「たとえば、海の上の船は沈没したとしても、人間は船の上でなけ

れば生きていけないのだから、自然に還ることは無理だと思う」

わたしは、自分の言ったことが蒸し返されたので、

「もちろんそうですよ」

と、口の中にあるものを呑み込まないまま答えた。すると、ことばと

一緒に食いかけの「しんじろう」の欠片を吹き飛ばしてしまった。


                                   (つづく)


「無題」 (十七)―⑦

2013-09-19 13:33:49 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



        「無題」


        (十七)―⑦



 わたしは、口からこぼれたものを拾って囲炉裏に捨てながら、

「何も船を棄てて海へ飛び込め、じゃなかった、自然に還れなんて

言うつもりはないさ」

人は意図しない結果から気持ちとは裏腹に思わぬ方に流されてしま

うことがしばしばあるが、わたしは体裁の悪さを繕うために多少ム

キになった。

「ただ、自然環境を無視して生きて行けないと言っているだけだ」

すると、ガカは、

「それは分ってますよ。しかし、経済を無視してやっていけないの

も事実でしょ?」

黙って聴いていたバロックが、

「つまり、どっちも大事で、そのバランスが問題なんとちゃう」

すると、佐藤さんも、

「私もそう思う」

と言った。そして、

「たとえば原発問題にしても廃止か推進かの二者択一ではうまく行

かないと思う」

「ええ」とガカが答えた。佐藤さんは、

「ここに居た人が言ったように原発を止めればきっと経済はメチャ

クチャになってしまう」

「なんだ、聴いてらっしゃったんですか?」

「すみません、廊下で盗み聞きしてました」

ガカは、

「それどころか事故処理に掛かる金や被災者への補償を考えただけ

でもキリがないですよ」

すると、バロックが、

「それじゃあ、原発を再稼働させるしかないと言うのですか?」

「ただ、再稼働させるにしても絶対に事故が起きないという保障が

なければならない」

「そんなのあるわけないでしょ、現に余震だって頻発しているんだ

から」

「やっぱり問題はそれなんですよ」

「それって?」

「原発はメルトダウンが起こると取り返しがつかないんですよ」

わたしは、

「そんなの分ってたことじゃないですか」

「ま、そうなんですけど。ちょっと整理しますと、原発を再稼働さ

せると環境リスクが高まり、停止させると経済リスクが生じる。再

稼働を求める人々は環境リスクを疎かに考え、脱原発を求める人々

は経済リスクを侮る。私は、意見の異なる者同士が互いのリスクを補

い合わないと社会がバラバラになってしまうと思うんですよ」

わたしは痺れが切れて、

「じゃあどうするべ?」

「やっぱり、地震大国の日本では原発は無理かもしれません」


                               (つづく)


「無題」 (十七)―⑧

2013-09-11 06:27:52 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



                 「無題」


                 (十七)―⑧



 個々の生き物が支配されている強い感情は恐怖である。そこで生

き物たちは恐怖から遁れるために群れを求める。生きるとは恐怖か

ら遁れることなのだ。群れは個々が恐怖から遁れるために形作られ

た手段である。群れに身を潜めることで恐怖が共有分散され、そし

て恐怖そのものが対象化され認識、つまり理性がもたらされた。社

会を繋ぐ言葉は叫び声から生まれた。だから認識を共有できない異

質な他者は恐怖をもたらす。他者に対する反発や憎悪やはその元を

辿れば恐怖心に到るに違いない。世界は恐怖によって回っているの

だ。近隣諸国が未だ反日感情を抱くのは過去の植民地支配の屈辱的

な恐怖が甦ってくるからだろう。彼らは過去にわが国から恐怖を与

えられた。それに対してわが国は彼らの恐怖心を取り除く努力をし

てきただろうか。つまり、認識を共有しようとしてきただろうか。

他者との信頼だとか友好だとかいう関係は恐怖の「少ない」関係の

ことである。恐怖を拭えずに信頼など築けない。そもそも生きるという

ことが恐怖や不安から遁れることだとすれば、なんと今やこの世界は

無神経に人々を恐怖に陥れていることだろう。放射能汚染が恐怖で

あることは言を俟たないが、それ以上に恐怖を感じるのは関係者が自

分たちの利権を守るために被害を被る国民とは認識を共有しようとせ

ずに、強権によって原発の再稼働を決めようとしていることだ。たぶん、

原発の廃止は甚大な経済的損失をもたらすのだろうが、それさえもそ

もそも原発が抱えていた問題であったはずだ。少なくとも、未来を失う

かもしれない原発事故の恐怖に怯えながら今を楽して生きるよりも、

今を耐え忍べば未来への憂いが失われることの方が、この国で群れ

て生きるわれわれは、より恐怖から遁れることができるのではないだ

ろうか。

                                   (づづく)