「明けない夜」
(七)―⑪
「社会を捉えなおす」―⑪
環境に関する指標でエコロジカル・フットポイント(EF)というのが
あります。それは「人間活動が環境に与える負荷を、資源の再生産お
よび廃棄物の浄化に必要な面積として示した数値で」(ウィキペディ
ア)、1990年代初期にカナダのブリティッシュコロンビア大学の
ウィリアム・リースとマティス・ワケナゲルによって提唱された指標
で「ある特定の地域の経済活動、またはある特定の物質水準の生活を
営む人々の消費活動を永続的に支えるために必要とされる生産可能な
土地および水域面積の合計」(〃)と定義されている。EFの発表は世
界自然保護基金(WWF)が隔年ごとに発行している『生きている地球
レポート』で報告され、すでに1980年代にオーバーシュート(需
要過剰)になり、つまり負荷が勝るようになって久しい。2012年
版の報告では人が1年で消費する再生可能資源を地球が完全に再生す
るには1.5年かかる。つまり利子で生活するどころか、私たちは自
然資源の元本を食い潰しているのだ。たとえば日本の消費水準で世界
中の人々が生活するとすればもう一つ地球がなければ持続できない。
こうして人間はグローバル経済の下で地球の再生能力を越えた様々な
負荷を与え続けている。当然のことであるが地球の限界を越えた資源
消費や環境破壊はそのまま人間はもちろん地球上のすべての生物に跳
ね返ってくる。つまりもう一つ地球が用意できなければ、いずれ我々
の生活水準が低下するか、さもなければ我々以外の人々の生活水準を
低下させなければならなくなる。すでに自由主義経済の下でグローバ
リズムはゼロサム世界へと推移している。つまり、国家間の経済競争
はそれを支える地球環境を再生不能へと到らしめ、いずれの国家も存
亡のときを迎えることになる。もはやどの国が繁栄してどの国が衰退
するかは問題ではなく、その前に地球そのものが生物生産力を失って
しまうのだ。レガシーエネルギーに頼った近代文明は文明の終焉だけ
でなく生成の源である地球そのものを不毛にする。すでに国連の部会
では気候変動枠組条約を締結した国による会議(COP)で温室効果ガ
スの排出量の規制が話し合われているがほとんど効果が表れていない
。そこで、「世界限界論」を回避するためにはレガシーエネルギーの
供給そのものを国際的(グローバル)な管理の下で厳しく制限し人口当
たりの配給制にしなければならない。それは自由主義経済の終焉、つ
まり近代文明の終焉を意味するが、幸いにも未だ太陽は見放すことな
く我々の生存のために光エネルギーを届けてくれている。「ポスト近
代」は再生可能エネルギーだけによって営まれる社会でなければ永続
性が維持できない。もちろん、原子力エネルギーはそれを充たしてい
ない。
(つづく)