「無題」
(十二)―⑥
家に帰って夕飯の用意をしながら、実は、今では暇に任せて朝食
だけでなく夕食にまでも腕を揮った。もちろん、覚えがあるわけで
はないのでPCのレシピを睨みながら、それでも出汁だけは昆布と
削り鰹からとってインスタントには頼らなかった。始めのうちは仕
込みに手こずって時間だけがいたずらに過ぎ、家族の者が待ち切れ
なくなってついにはカップラーメンやら菓子パンなどを摘まみ始め、
いざ出来上がった時には空腹が埋められて箸も伸びなかったが、今
では風呂から上がった娘や妻が順に席に着くころには火から降ろし
たばかりの椀物を出せるまでになった。基本的にテレビはつけなか
った。すでに子どものいる家族の団らんに相応しい番組は久しくな
り、もっぱら芸人たちの弄られんがための大袈裟な振りとそれを笑
いものにする楽屋オチばかりで、そこには笑いに隠れて集団による
ヒエラルキッシュ(序列的)な弱い者いじめが行われていた。抗弁す
れば「誰に言うてんやっ!」と恫喝する。学校でのいじめもまず権
力者である先生が先鞭を着ける。やがて生徒たちは権力者の顔色を
窺いながらその後に続く。いじめとは、目的を共有する者たちが集
まり、ところがその目的を見失うとこんどは集団が目的化すること
から始まる。集団の外へ向かうはずの力が内へと向かう。今の喜劇
人たちは揶揄う相手を見失っているのだ。果たして、我々は無邪気
に笑うためには笑われる者がいなければならないのだろうか?解放
されるためには犠牲が必要なのか?そもそも、お笑いの原点とは、
芸人がバカを演じて社会を嘲笑う転換、弱者が権力者や歪んだ社会
を批判することだったはずだが、今や芸人も社会的地位を得て、イ
ッパシの言論人気取りで弱者を笑いものにするほどりっぱになり、
ところがその一方で、自分たちが身を置く業界の笑えるほど古い体
質は一切口にせず権力には逆らわない。つまり、自らの不道徳は棚
に上げて他人の不道徳を論(あげつら)う。都合の悪いことは隠くし
て他人の不都合を笑う。そんな茶坊主らの作り話を真面目に聴くく
らいなら、家族で語らうことの方がはるかに罪がなかった。当たり
前のことだが、家族という集まりは目的でも手段でもなかった。こ
の前までは「何で?」が口癖だった娘が、今では「お父さん、知っ
てる?」と、学校で習ったことや本で知ったばかりのことを教えて
くれた。すると、こんどは満を持して私が「何で?」と訊く番にな
って、その遣り取りが、つまり誰も傷つけない会話が楽しかった。
その主役だった娘の己然が食事を終えて席を離れると、私は妻に、
商店街の店舗を貸りて商売を始める話を切り出した。妻は、何も言
わずに立ち上がってキッチンに行き、冷蔵庫を開けて缶ビールを手
に取り、私を窺い、
「飲む?」
と、訊いたので私は仕方なく付き合った。以前は、もちろん食前に
嗜んでいたのだが、あるとき度が過ぎてしまい、己然に毅然と叱ら
れてからは、彼女と一緒の食事の時は拙いと気付いて飲まないこと
に決めた。妻は、両手に持った缶ビールの一つを私の前に差し出し
てから自分の缶ビールのプルタブを開けた。そして、投げて置いた
話の続きに戻って、
「それで、上手くいくの?」
と訊いた。私は、
「何っ? ああ、それはわからないさ」
と答えた。すでに夜半は涼しくなり冷たいビールは喉を越えず、た
だ苦いばかりだった。テレビのスイッチを入れると、ちょうどニュ
ースで、宮崎の和牛が口蹄疫の壊滅的な被害を乗り越えて、全国の
品評会で二年連続の日本一に輝いた、と伝えた。映像は伝染病が蔓
延したその当時の、畜産農家がわが子のように手塩に掛けて育てた
牛たちを、病気の拡がりを防ぐために当局が下した全頭殺処分の残
酷な決定に、涙を流して仕方なく従う様子を放送していたが、ただ、
牛たちにしてみれば、病気を防ぐために薬殺されようが、いずれ食
用のためにされようが、どうせ殺される運命には変わりなく、
生産者たちはなぜ殺処分される牛たちだけに悲しみを覚えるのか、
あの時も、そして未だにどうしても理解できず、それほどまでに辛
いのであれば場へも出せない筈ではないか。恐らく、彼らの涙
のわけには、飼育の甲斐なく徒労に終わった自分たちの悔しさが多
分に混じっているからだろうと、勝手な想像をしても、それでもま
だ納得のいく理解を得たわけではなかった。妻を相手にしてそんな
ことを語っていると、秋の夜長がいつの間にか二本目の缶ビールの
プルタブに指を掛けさせた。
(つづく)