「『なゐ』ことを願う」

2021-03-05 07:09:35 | 従って、本来の「ブログ」

        「『なゐ』ことを願う」

 『なゐ』とは古語辞典によると地震のことらしい。むかしの人

が地震が「ない」ことを願ってそう呼んだのかは定かではないが、

間もなく東日本大震災(2011年3月11日)の発生から10年目

の節目を迎えようとしている。ところで、それに先立つ2011年

2月22日にはニュージーランド、カンタベリー地方でマグニチュ

ード6・1の地震が起こり、都市クライストチャーチでは185人

の死者が出た。そして、その後一カ月もしないうちに三陸沖の太平

洋を震源とするマグニチュード9・0の超巨大地震が起こった。一

部の専門家は、それら二つの巨大地震は無関係ではないと語るが、

もしそうだとすれば、南半球での巨大地震の発生を余所ごととばか

り言ってられなくなる。ところで、今朝ニュージーランド領ケルマ

ディック諸島で5日午前8時28分ごろ(日本時間同午前4時28分)ご

ろ、マグニチュード8・1の地震があったようだ。

NZ北東部の諸島でM8の地震 太平洋広域で津波の恐れ:朝日新聞デジタル

シドニー=小暮哲夫

 再び連動して日本列島を揺るがす大地震が起き「なゐ」こと願う

ばかりだ。


「世界が不安定化している」

2021-02-02 06:49:04 | 従って、本来の「ブログ」

         「世界が不安定化している」

 

 世界各国の社会秩序が不安定化している。これは、世界経済が「

成長の限界」に達し、行き詰まった格差社会の下で豊かさを奪い合

っているからだ。ミャンマーでは軍事クーデターが起き、ロシアで

はプーチン政権に反対するアレクセイ・ナバリヌイ氏の解放を求め

る抗議デモに市民が殺到して、政府は5千人を超える参加者を拘束

したと報道は伝える。そして、それら抗議デモの発端をもたらした

のは、香港の民主化運動であり、そして、近代民主主義政治の元祖

アメリカでの暴徒化したトランプ大統領支持者たちによる連邦議会

への侵入だった。アメリカはそれまでにも黒人差別への抗議デモを

繰り返して過激化していたが、しかし、議会議事堂への侵入は民主

主義政治の破壊にほかならなかった。つまり、今、世界の民主主義

が試されている。

ミャンマー クーデター 背景に“スー・チー氏と軍の緊張関係” | NHKニュース

ロシアデモ、拘束5000人超 ナバリヌイ陣営、闘争継続を強調:朝日新聞デジタル

 世界のこれらの一連の動きは、つまり、プーチン、習近平、トラ

ンプら、もちろんそこに安倍元総理を入れてもまったく遜色はない

が、所謂保守派と呼ばれる既得権に与る者たちに、すでに彼らは多

くを得ているのだが、それでもなお「寡なきを患える」者たちに支

持されたこれらの政治家たちは、決して「均しからざるを患う」民

主主義者の声に耳を貸そうとはしない。しかし一言で言えば、民主

主義とは「均しからざるを患う」ことにほかならない。豊かさをも

たらす自然環境は破壊され、にもかかわらず人口は極限まで増える

とすれば、豊かさは奪い合うかそれとも分け合うかしかないのであ

れば、どう考えてみても、たとえ「右寄(うよ)」曲折はあったとして

も、たとえばトランプ元大統領のような時代に逆行するような人物が

現れたとしても、いずれ世界は豊かさを均しく分け合う方へ、つまり

エントロピーが増大する方へと向かう以外に考えられない。

 そして、何よりも国内政治の不安定化は、かつて第一次世界大戦で

敗戦したドイツが巨額の賠償金を支払わなければならなくなって、経

済的な不満からヒットラー率いるナチスが台頭して近隣諸国へ侵略し

たように、多くの政治家は国内に募る不満を対立国へ向けさせようと

してきたことを忘れてはならない。コロナ禍のあとのコロナ「過」の

世界は破たんした国家財政を立て直そうとしてかつてのナチスドイツ

のように自国第一主義へと向かわせることだろう。それは、すでに天

文学的な債務を抱える我が国にとっても経済破たんの恐慌を予感させ

ずには居れない。すでに金融経済は実体経済とかけ離れてバブル崩壊

前夜の様相を呈している。かつて、スペイン風邪のパンデミックの9

年後に当時の新興国アメリカに端を発した経済恐慌が起こったが、さ

らに情報の進んだ現代では3年も経たずに再現されるだろう。もちろ

んその端を発するのは新興国中国に違いない。


「おことわり」②

2021-01-18 00:57:06 | 従って、本来の「ブログ」

         「おことわり」

 

            ②

 

 実は、どうしてもスマホを持たなくてはならなくなって、それな

ら記事をスマホに適した字面に改めようと思いましたが、一言で言

うと、ニュースや評論などの出来事には強いが、エッセイや思索を

綴るツールとしては向いていないと実感しました。もしかしたら私

が使い慣れていないだけかもしれませんが、なんか足元だけを見て

歩いているようで、つまり全体が見えなくて、読んでいてイライラ

する。たぶん私のブログは一行15文字のスマホには向いてません

、諦めました。そこで、元通りのノ―ト型に戻すことにしました。

これからも、これまで通り文章だけの記事を載せて行きたいと思い

ます。

                       ケケロ脱走兵

 


「言葉のひびき」 (3)

2021-01-17 12:45:52 | 従って、本来の「ブログ」

         「言葉のひびき」


            (3)


 さて、漢字のことを取り上げながらその創始国である中国に触れ

ないわけにはいかないが、断わるまでもなく私は漢字の専門家では

ないので何一つ確信を持って言えないが、と言うのも、すでに中国

は漢字を簡体字に簡略化していて、それがどこまで漢字文化を継承

しているのかすら知らないのですが、ただ、そもそもの漢字の始ま

りは権力者によって重用されたことからによるのは間違いないだろ

う。そして漢字は日常で使う「話しことば」とは異なって儒教道徳

に従った「何か高尚な」言葉として使われ、封建時代の武家社会に

おいて厳格さを重んじる言葉として広まった。ここでニーチェの言

葉を引用すると、このような言葉の「ひびきの魔力」に憑かれると

、「きまりきったひびきに仕付けられた習慣は、性格に深く食い入

るからだ。――やがて人々は、このひびきにぴったり合った言葉や

言い廻しや、ゆくゆくはまたそうした思想さえも、身につけるだろ

う!」と「没趣味な横柄な」「言葉のひびき」がやがては覇権的な

思想を育むと言うのだ。それは我が国の武家社会においても同様で

、王朝社会が「ひらがな」文化とするなら、武家社会は「漢字」文

化を養った。やがて近代化へと転換した社会の下であまりにも乖離

した言文の一致を求めて「書き言葉」を改めるまでは「没趣味な横

柄なひびき」の「書き言葉」が高尚な言葉と看做された。

                        (つづく)


「言葉のひびき」(2)のつづきの続き

2021-01-17 04:19:47 | 従って、本来の「ブログ」

            「言葉のひびき」


     (2)のつづきの続き


 そもそも「ことば」はおおよその動物と同様に「話しことば」か

ら始まった。しかし「書き言葉」は人間だけが使う高度な情報伝達

段として進化した。過去の記録は将来の展望に生かされ、詳細な

「書き言葉」によって人間は過去と未来を想像することができるよ

うになった。たとえば、「2011年の3月11日」という日を思

い起こす時、或は「2021年7月23日」はどんな日なのか、そ

れらはこうして書かれた言葉がなければとても同じ日としての認識

を共有することはできないし、認識の有しない者に伝えることもで

きないない。ただ、固定化された「書き言葉」は変動する世界を捉

えることができない。一方で「話しことば」は言葉として残らない

が目の前の現実を捉えることができる。ニーチェが指摘するように

「書き言葉」が高尚な言葉として「話しことば」に取り入れられた

時、実際、我々の「書き言葉」である《漢字》は高尚な言葉として

採り入れられたのだが、しかし、《漢字》ばかりの「話しことば」

は固定化して現実にそぐわない窮屈な言葉になってしまい、訂正で

きない不自由な言葉になってしまう。差し詰め今なら《カタカナ》

英語に違いないが、ところで、何だ!《エビデンス》とは?、たと

えば、私が過去に書き残したこのブログの記事を読み返して見た時

に、その的外れな「書き言葉」に絶望的なほど自己嫌悪を感じるの

はそれが書き残された固定化した言葉であるからに違いない。

 ところで、タイミング良くと言うべきか、政治のトップである菅

総理の記者会見が官僚たちが書いた「書き言葉」をただ読むだけの

想いが伝わってこない「話しことば」だと不評だが、それは固定化

した冷たい「書き言葉」が時々刻々と変化する社会状況にそぐわな

いからであり、もしも、それがお役所言葉なら諦めもするが、主権

者から選ばれた代表たる首相の言葉だとすれば、なんと「没趣味な

横柄な」(ニーチェ)言葉であるかと言わざるを得ない。

                        (つづく)