「三島由紀夫について思うこと」(6)

2020-05-07 14:17:16 | 「三島由紀夫について思うこと」

       「三島由紀夫について思うこと」


             (6)

 そもそも近代民主主義は科学技術がもたらした産業革命による生産

性の向上なしには育まれなかった。したがって、民主主義の否定は近

代科学文明の否定にほかならない。国民から主権を奪えば消費者が不

在になり資本主義経済が破たんするのは明白である。ニーチェは民主

主義を否定したが、それは『幸福』だけを追い求める社会そのものを

「畜群」と蔑んで否定した。彼が説く超人思想とは個人的な投企であ

り、民主主義というよりも近代(畜群)社会そのものの否定である。

 一方で三島由紀夫は同じように民主主義を否定したが、それは「天

皇とは国体のことである」を実践するためで、ニーチェとはその方向

性がまったく異なる。ハイデガーは自著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱで、形而

上学的思惟によると「存在の本質」はニヒリズムに到るが、そしてそ

れは形而上学的思惟の最終結論だが、しかし形而上学的境涯、常にも

のごとの本質を問う者は、つまりニーチェは、更にニヒリズムを如何

にして超えるかを思惟しようとする。そしてニヒリズムから積極的に

抜け出すために付随的に思索された命題が超人思想であり、永劫回帰

説である。はっきり言って私にはどうしろと言っているのかサッパリ

解らない。そして三島もまたニヒリズムの克服するためには天皇を中

心にした伝統文化への回帰しかないと思った。それはニーチェの「芸

術はニヒリズムに対する卓越した反対運動である」に同調している。

しかしそれは理性の限界を意味している。そもそも芸術文化は理性に

よって規定されない。つまり三島の天皇国体論は伝統文化の上で成立

しても論理性はない。本人も天皇の存在を「非論理性」と認めている。

 余談ではあるが、三島由紀夫は超感性、所謂スピリチュアルな世界

にも強い関心があった。彼は自分が生れて来た時のことを覚えている

と自著「仮面の告白」に書いているし、霊能力者としての美輪明宏と

は政治理念がまったく違うのに終生親しくした。さらに、彼の最後の

作品「豊饒の海」は主人公の輪廻転生を軸にして物語が綴られる。そ

れはまさに彼が愛読したニーチェが説いた永劫回帰説へのオマージュ

と言えなくもない。ニーチェによると、永遠の時間の中で世界が有限

であるなら、世界は同じことを永遠に何度も繰り返すと説き(永劫回帰

説)、回帰は何もかもが寸分の違いなくまったく同じように起こるとい

うのだが(同じものの永遠なる回帰)、それは「再生までにはまだゆっく

りできる、と汝らは思っている、――だが間違えてはいけない。意識

の最後の瞬間と新生の明け始めとの間には、〈少しの暇もない〉のだ。

――それは電光石火のように過ぎてしまう。たとえ生物たちはそれを

幾兆年単位で測り、あるいはそれでも測りきれないかも知れないが。

知性が不在になれば、無時間性と継起とは両立しうるのだ。」(ニーチ

ェ「手記資料」122番(第12章66頁) つまり、回帰(転生)は死んだ

後〈少しの暇もな〉く起こると言うのだ。すでに三島由紀夫の霊は再び

未来の日本に転生して小説を書いているかもしれない。

 それにしてもなぜ三島由紀夫は天皇にこだわったのか?そもそも三島

文学の真骨頂は文章の格調の高さにある。その格調の高さは何に由来す

るかと問えば、天皇を中心にした日本古来の宮廷文学に依る。つまり、

三島文学は天皇なしには生れなかった。しかし、彼自身も天皇とは非合

理な存在であると認識している。ただ、これまで記述してきたように生

い立ちから終戦まで、作家三島由紀夫は「死ぬことは文化である」を常

に意識しながら生きてきた。そして、人は必ず死ぬ。自分の意志で生れ

てきたわけではないが、しかし、自分の意志で死ぬことはできる。自ら

の意志によって生きようとする者は自らの意志によって死を覚悟しなけ

ればならない。過去の時代に憧れる者にとって近代社会は想いにそぐわ

ない時代に違いない。高度経済成長を成し遂げた社会はそれとは正反対

の「長生きは文化である」の時代である。それは意志せずに生れそして

意志せずに死ぬことで、生死を自らの意志以外に預けて生きることであ

る。しかし、三島由紀夫は自らの意志によって生きようとして自らを育

んでくれた天皇国体論に自らの死を捧げた。しかし、それは皇国史観の

ために死を賭して訴えたというよりも、どちらかと言うと「死とは文化」

を実践するために国体の在り方を死に場所に選んだのではないだろうか。

それは「長生きは文化」のニヒリズムから遁れるための幻想であること

は充分承知した上で、ニヒリズムへの反対運動としての伝統文化への回

帰を訴えた。ただ、あれほど論理的な思考を重んじる人が論理で躓くと

は思えない。躓くとすれば、已むにやまれぬ感情だとしか思えない。あ

の芝居がかった「劇」で戦後20年を経た民主主義国家日本の主権者で

ある国民が、時代の流れに逆らって「天皇とは国体である」という伝統

文化を受け入れると本気で考えていたとは到底思えない。

                          (おわり)


以下の文章は「三島由紀夫について思うこと」(5)のつづき  の中に埋め込みます。

2020-05-06 10:53:56 | 「三島由紀夫について思うこと」

 以下の文章は「三島由紀夫について思うこと」(5)のつづき 

の中に埋め込みます。

たとえば、道に迷っている時に人は、さまざまな選択肢の中から迷

いながら一つの道を決めなければならないので、心の中には常に不

安がつきまとう。それどころか新しい世界に進もうとすれば間違い

は避けられないので間違うことに寛容にならざるを得ない。ところ

が、もと来た道を遡るとなるとすでに辿った道であるら迷ったり

はしないので不安も少ない。古きき時代の幻想に還ろうと思って

る人は、すでにその道は決まっているの間違ったりはしない。

ところが、決まった道を戻ろうとする人は戻る場所が分かって

はずなのに道を間違って戻れないことに気付くと苛立ち不寛容にな

る。他に道はないのだから狭量にならざるを得ない。つまり、保守

の不寛容は決まった道を戻ろうとして戻れないことへの苛立

ちが厳粛主義(リゴリズム)を生む。私はこの保守主義者のリゴリズ

ムが厭で方ない。すぐに傲慢かまして怒鳴り散らすのだ。しかし、

もは古き良き時代への道はの中で途絶えて幻想に過ぎないのだ


「三島由紀夫について思うこと」(5)のつづき

2020-05-05 05:26:24 | 「三島由紀夫について思うこと」

「三島由紀夫について思うこと」


           (5)のつづき


 ニーチェは近代科学の発展によって神への信仰が損われ世界はニヒ

リズムに陥ると説き、三島由紀夫もまた西洋科学技術を進取すること

で日本の伝統文化が置き去りにされ、戦後日本の経済繁栄の影にニヒ

リズムを見た。つまり、ニーチェも三島も近代科学文明社会は精神的

支柱を失ってニヒリズムに陥るという認識では一致していたが、しか

し、ニーチェは「神は死んだ」と言って神への回帰を断ったが、とこ

ろが、三島由紀夫は戦後一縷の繋がりが残された万世一系の天皇の下

に日本の精神文化への原点回帰を訴えた。そこに日本人特有の保守的

な原理主義が窺える。たとえば、道に迷っている時に人は、さまざま

な選択肢の中から迷いながら一つの道を決めなければならないので、

心の中には常に不安がつきまとう。それどころか新しい世界に進もう

とすれば間違いは避けられないので間違うことに寛容にならざるを得

ない。ところが、もと来た道を遡るとなるとすでに辿った道であるか

ら迷ったりはしないので不安も少ない。古き良き時代の幻想に還ろう

と思っている人は、すでにその道は決まっているので間違ったりはし

ない。ところが、決まった道を戻ろうとする人は戻る場所が分かって

いるはずなのに道を間違って戻れないことに気付くと苛立ち不寛容に

る。他に道はないのだから狭量にならざるを得ない。つまり、保守

主義者の不寛容は決まった道を戻ろうとして戻れないことへの苛立

から厳粛主義(リゴリズム)が生まれる。私はこの保守主義者のリゴリ

ムが厭で仕方ない。固定化した思考を省みようとはせず大声で喚き

散らすからだ。しかし、もは古き良き時代への道は荒野の中で途絶え

て幻想に過ぎないのだ。

 さて、三島が命を賭して訴えた「天皇国体論」は、一部国粋主義者

から熱狂的な支持を得ているが、自由と民主主義の新しい空気に馴染

んだ大衆には些かカビくさい。そもそも古来より天皇文化とは「風流

《みやび》」を重んじる宮廷文化であり民主主義の対極にある。ニー

チェもそうだが、当然、三島も民主主義を否定している。


「三島由紀夫について思うこと」(5)

2020-05-03 22:55:48 | 「三島由紀夫について思うこと」

        「三島由紀夫について思うこと」

 

              (5)

 三島由紀夫がニーチェに共感を覚えるのは、「真理とは幻想であり」

「芸術は真理よりも多くの価値がある」という命題である。つまり、

われわれの理性は存在の本質に的中せずに「神が死んだ」後の世界は

「ニヒリズム」に陥り、そこで芸術こそがわれわれを没落から救って

くれるとニーチェは言う。そして作家三島由紀夫もまた《芸術》、つ

まり伝統文化を失った社会は回帰すべき原点を失いニヒリズムに到る

と考えた。時あたかも東西文明の衝突であった「大東亜戦争」のあと、

日本の伝統文化は西欧合理主義に取って代わられ、伝統文化を失った

社会は「死ぬことは文化である」とは正反対の「長生きすることは文

化である」へと、ただ無為に生きることこそが「幸福」であるという

ニヒリズムが蔓延した。三島由紀夫は言う、

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このま

ま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ま

しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっ

ぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的

大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人た

ちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」( 「果た

し得てゐない約束――私の中の二十五年」より一部)


                         (つづく)

 

 


「三島由紀夫について思うこと」(4)

2020-05-01 02:39:50 | 「三島由紀夫について思うこと」

      「三島由紀夫について思うこと」


             (4)’

 1945年(昭和20年)8月15日、ポツダム宣言の受諾によっ

て日本の敗戦が決定すると、20歳の三島由紀夫は「死は文化であ

る」を実践する機会を失った。彼は入隊検査で撥ねられて召集され

なかった。しかし、もしも入隊していれば「その部隊の兵士たちは

フィリピンに派遣され、多数が死傷してほぼ全滅した。」(ウィキペ

ディア[三島由紀夫])  彼は「特攻隊に入りたかった」と真面目につぶ

やいた、と父親は述べている。(平岡梓著[倅・三島由紀夫]) そして自

身のノートに「戦後語録」として、「日本的非合理の温存のみが、

百年後世界文化に貢献するであらう」と記した。日本的非合理とは

もちろん天皇のことだ。ただ、戦中までは神州不滅だとか八紘一宇

だとか煽っていたマスコミを始め多く知識人たちが、敗戦になると

忽ち掌を返すようにやっぱり自由だ民主主義だと言い始めたことに

失望した。当然のことながら天皇制と民主主義は相反する。しかし、

今だに多くの国家主義者たちは天皇と言いながら民主主義を支持す

る矛盾に気付いていない。私はとにかく国家主義のリゴリスティッ

クなヒエラルキー(厳格な上下関係)にだけは堪えられない。やっとヒ

エラルキー社会から解放された自由を失いたくない。はっきり言って

伝統文化は不自由すぎる。

 三島は、戦後はもっぱら文筆に励んだ。「仮面の告白」「潮騒」

「金閣寺」など立て続けにベストセラーを発表し、ノーベル賞候補

にも名が挙がった。私の個人的な感想だけれど、彼の作品は、確か

にやまと心を甦らせる自然描写や個性的な人物の説得力のある心理

分析は新鮮で巧緻だが、たとえば「金閣寺」に登場する跛(ちんば)

の男が不幸を逆手にとって女性の同情に訴えて思い通りに操るなど

というのは、余りにも障害者の心情を理解していないし、つまり、

そんな強かな障害者はいないし、さらに言えば、吃音のひどい主人

公が美しいもへの嫉妬から金閣寺に放火したというのも牽強付会の

感が否めない。ただ我々は彼の優れた文章力で納得してしまうが。

たぶん三島は犯人の従弟僧が割腹自殺したことに、但し未遂だった

が、強い関心があったに違いない。

 ところで、私は三島由紀夫がニーチェを愛読していたということ

を知って書き始めたのですが、ここまで三島由紀夫のことばかりに

なってしまいましたが、それは彼が切腹をしてまでも訴えたかった

ことがどうしても理解できなかったからですが、しかし、彼が生れ

てきた戦争に明け暮れた時代や家庭環境、更には養ってきた思想や、

たぶん超感性のようなものまで辿れば或る程度理解することができ

るのかもしれませんが、ただ、それにしても何故あれほど天皇に執

着したのかがいまひとつ理解できません。たとえば、ニーチェは「

神は死んだ」とキリスト教世界を切り捨てたが、それでは三島は敗

戦後の天皇の人間宣言をどう受け止めたのか。

ニーチェは「神の死」の後の世界はニヒリズムに陥ると言いました

が、まさに我々は科学技術文明の下でただ安楽に生きることだけを

追い求める家畜、ニーチェの言う《畜群》に違いないが、それでは

惟神之道我々をニヒリズムから救ってくれるのだろうか?そもそ

も死を賭して訴えたからといって「あめつち動かす」ことなど叶

わぬと三島由紀夫いちばん知っていたはずなのに。

                         (つづく)