仮題「心なき身にもあわれは知られけり」(7)

2022-04-24 11:24:31 | 「死ぬことは文化である」

    仮題「心なき身にもあわれは知られけり」


           (7)

 

 「ニヒリズム(虚無主義)」といえばニーチェを思い出さずには居

られないが、しかし「箴言(アホリズム aphorism)」という形式で

書かれた「断片」は門外漢の私には何を言っているのかさっぱり理

解不能だった.。ところが、ハイデガーが宿敵ニーチェの「ニヒリズ

ム」を驚くほど分り易く解説してくれている。ハイデガー著「ニー

チェ」Ⅰ・Ⅱ(平凡社ライブラリー)は、更に細谷貞雄監訳・杉田泰一

・輪田稔らによる優れた翻訳によってその概要くらいなら何とか掴め

ることができる。そこでハイデガーはニーチェの「断片」を拾い集め

てきてニーチェの「ニヒリズム」についての定義を分り易く解説して

くれる。ニーチェは「力への意志」第15巻145頁で、「ニヒリズ

ムとは何を意味するか――最高の諸価値が無価値になるということ

目標が欠けている。《何ゆえに》(という問い)にする答えが欠けてい

る」と書き残しています。すると、ハイデガーはその断片を解説して、

「この短い手記にはひとつの問いと、その問いに対する答えと、その答

えの註解が含まれている。問われているのは、ニヒリズムの本質である

。答えは《最高の諸価値が無価値になるということ》となっている。こ

の答えからわれわれはただちに、ニヒリズムのすべての把握にとって決

定的なことを知らされる。すなわち、ニヒリズムはひとつの過程であり

、最高の諸価値が無価値になり、価値を喪失するという過程である。」

と解説します。

                         (つづく)


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」 (6)のつづきの続き

2022-04-06 08:13:35 | 「死ぬことは文化である」

      仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

         (6)のつづきの続き

 


 かつて、弱冠十六才の平岡公威、のちの三島由紀夫の文才を見い

出した文学者蓮田善明(1904年生)は、鬼畜英米との大戦前夜に

徴兵に応召のかたわら論文「青春の詩宗――大津皇子論」(1938

年11月)を発表した。そこで彼は、戦火が拡大する時代の自らの生

い立ちと重ね合わせて「此の詩人(大津皇子)は今日死ぬことが自分の

文化であると知つてゐるかの如くである。(中略)予は、かゝる時代の

人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。」と語る。彼が

大津皇子を「詩宗」とまで称えるのは『懐風藻(かいふうそう)』に「

詩賦の興るは大津より始まれり」と記されているからにほかならない

 

                        (つづく)


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

2022-04-04 03:57:36 | 「死ぬことは文化である」

    仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

         (6)のつづき


 王位を巡る権力争いは卑弥呼が統治した邪馬台国の時代から幾度

も繰り返されてきた。やがて中国より文字が伝来して編纂された「

日本書紀」(720年) が伝えるところによると、聖徳太子の皇子山

背大兄王(やましろおうえのおう)は皇位継承を巡る争いから蘇我入

鹿に攻められて一族もろとも自害して上宮王家(聖徳太子の一族)は

滅んだ(643年)。そして、皇子を討った蘇我入鹿は中大兄皇子と

中臣鎌足によって宮中で殺害される「乙巳の変(いっしのへん)」が

起こり、また、実権を握る中大兄皇子に謀反を企てたとして孝徳天

皇の皇子有馬皇子が絞首刑に処された。やがて中大兄皇子が天智天

皇として即位して僅か四年足らずで死ぬと皇位継承を巡って皇太子

大友皇子と弟の大海人皇子が争う「壬申の乱」が起こり、敗れた大

友皇子は二十五歳で自ら頸を縊って死んだ。大海人皇子は即位して

天武天皇と号し、のちに皇后のほかに九人の妃が生んだ十人の皇子

と七人の皇女があり皇位継承問題を複雑にした。天武天皇の後継者

は皇后の皇子草壁皇子と既に母(天智天皇の娘大田皇女)を失った大

津皇子に絞られたが、天武天皇が心を許す皇后鸕野讚良(うののさら

ら)の皇子草壁皇子が皇太子に決まった。しかし、天武天皇の死とと

もに大津皇子の悲劇が始まる。天皇の死後わずか一ヶ月後に大津皇

子の謀反が発覚し、もちろんそれは皇后が謀った罠だが、間もなく

皇子は死刑に処された。こうして現人神たちによる皇位継承を巡る

権力争いは讒言(ざんげん)と陰謀が渦巻く魑魅魍魎(私欲のために悪

だくみをする者のたとえ [三省堂新解明四字熟語辞典より])の世界で

あった。


                        (つづく)


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」(6)

2022-03-27 15:17:46 | 「死ぬことは文化である」

    仮題「心なき身にもあわれは知られけり」 

 

       (6)

 

 24歳の若さで死んだ大津皇子は、「日本の歴史」2巻 直木孝

次郎著(中公文庫)によると謀反の罪で「死刑に処された」と記され

ているが、自殺したとする説もある。現存する日本最古の漢詩集

『懐風藻(かいふうそう)』によれば、大津皇子は「状貌魁梧(じょう

ぼうかいご〈大きくりっぱ〉)にして器宇峻遠(きうしゅんえん)、幼

年より学を好み、博覧にしてよく文を属(つく)る。壮に及びて武を

愛し、多力にしてよく剣を撃つ」とある。つまり「姿は男らしく、

大人物の器で、学問がよくできるうえに武術にもひいでている、と

いうのである」(同書) また「詩賦の興るは大津より始まれり」とま

で言われ、つまり和歌や漢詩などの文芸が盛んになったのは大津皇

子から始まったというのだ。

 何れにせよ皇位継承を巡る対立から死を選ばざるを得なかった大

津皇子への哀惜の想いから姉の大伯(おおく)皇女が、「大津皇子の

葬られた二上山をのぞんで作った歌は、千年ののちもなお人の心を

うつ悲痛なひびきをたたえている。」(同書)

 以下は大伯皇女の歌、

 

現身(うつそみ)の人なる吾や明日よりは二上山を同母弟(いろせ)とわが見む

磯の上に生える馬酔木(あけび)を手折らめど見すべき君が在りといわなくに

         

 ところで、これは前にも記載しましたが、二十四歳で死んだ大津

皇子が残した最後の句は、


 百伝ふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴫を今日のみ見てや雲隠りなむ

 
 ですが、私はこの句を読んで以下の西行の句を思い出さずに居られ

なかった。


 心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋夕暮れ

 
 そもそも西行法師という人は、俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)

と言い、鳥羽院の院御所を警備する北面の武士として仕えていたが

、二十三歳の時に出家して、「その際に衣の裾に取りついて泣く子

(4歳)を縁側から蹴落として家を捨てたという逸話が残る。」(ウィ

キペディア)ほどその想いは固かった。私の記憶しているところで

は、「佐藤義清」はなるほど武士というだけあって、状貌魁梧(じょ

うぼうかいご)とまでは言わないが、上背のある逞しい体躯をしてい

たようで、何よりもあの時代に放浪を繰り返しながらも七十三歳ま

で長生きしたことからも頑丈な人のようだったが、ところが、もち

ろん歌から受ける印象によるのだが、「西行」と聞くと何となくひ

弱なイメージしか思い浮かばない。さて、大津皇子の辞世の句がな

ぜ西行の句を思い起こさせたのかはよく分らないが、ただ、共通す

ることばは「鴫」だけですが、何となく西行が詠う「(立つ) 鴫」と

は大津皇子が読んだ「池に鳴く鴫」にちがいないと直感した。もち

ろんそんなことはどんな解説書にも書かれていないが。新古今和歌

集を編纂した後鳥羽上皇が書き残したことばが残されていて、

「西行はおもしろくてしかもこころ殊にふかくあわれなる、ありが

たく、出来しがたきかたもともに相兼てみゆ。生得の歌人とおぼゆ。

これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可

説の上手なり」(『後鳥羽院御口伝』) 

 今さら西行の歌の「上手」をとやかく説明するつもりは更々ないが

、歌人の彼が「詩賦を興した」大津皇子を知らないはずがないではな

いか。ただ、なぜ彼が「佐藤義清」という俗名を棄てて出家したのか

は親友の死や失恋など諸説あるようだが、しかし彼の歌を素直に読め

ば、腑に落ちる。つまり「ニヒリズム(虚無主義)」にほかならない。

 

                           (つづく)


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」(5)のつづき

2022-03-04 02:36:21 | 「死ぬことは文化である」

  仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

          (5)のつづき


 絶対的な存在である神の子孫として降臨した天皇は代を繋ぐごと

に世俗化することは避けられない。皇室は絶対的な神の血統を穢さ

ないために近親婚を繰り返すほかなく、しかしそれは生物進化論に

逆行した退化ではないだろうか。神へと繋がる皇国史観の下では時

代を経るごとに神から遠ざかることになる。神なき後の世界はひた

すら相対化された穢れた世界にほかならない。「真の世界」は古(い

にしえ)にしかない。こうしてわれわれは絶対者が君臨する伝統文化

へ回帰しようとするが、決して理想を将来に求めようとはしない。

ところが、サルから始まった人類進化は、サルへと回帰するわけに

はいかないので、未来にしか人類の理想を求めない。

                     酔ったので(つづく)