仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(2)のつづき
『まず、その一つはこれまでにも何度も繰り返されてきた「邪馬台
国論争」です。』と言いながら、色々と調べているうちに多分素人の
私の意見などこれまでに何度も専門家たちの間で検証されてきたに違
いないと思うと途端に情熱が冷めてしまってつづきを記す気も失せて
しまいましたが、そもそも「卑弥呼」も「邪馬台国」も中国の歴史書
『三国志』の「魏書」の巻に「倭人」の条に記述されていることから
その存在が知られることになったが、その『三国志』は西晋の陳寿に
よって3世紀末に書かれたが、そのわが国では漢字が伝来してのちに
8世紀始めになって太安万侶(おおのやすまろ)によって編纂された日
本最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」には「卑弥呼」も「邪馬台
国」もいっさい記述されていない。つまり、「魏志倭人伝」に「卑弥
呼」「邪馬台国」の記述がなければそれらは日本の古代史上存在しな
かったことになって、その後いわゆる「空白の4世紀」といわれるお
よそ350年もの長き時を経て突如姿を現す所謂「大和朝廷」が名前
が似ていると言う理由で「邪馬台国」の後裔であると考えるのはあま
りにも短絡的だと思わざるを得ない。もしも漢字の伝来とともに「魏
志倭人伝」が伝わっていたとすれば、記紀は何故いっさい「卑弥呼」
「邪馬台国」に触れなかったのだろうか?それは自分たちとは繋がり
のない祖先だったからではないか?古代史に於いて350年の長きに
わたって同じ支配体制が継続された例は目まぐるしく支配者が変わっ
た中国を見てもまずあり得ないのではないか?我々はおそらく「空白
の4世紀」をワープ(Warp/「歪める」)し過ぎている。
(つづく)