「あほリズム」
(78)
独居老人の「孤独死」が社会問題になっている。しかし、果たし
て孤独で無い「死」などがあるだろうか?如何なる「死」も孤独で
はないか?縦(よ)しんば、古(いにしえ)の王のように側近たちを
道連れに殉死させたとしても自らの「孤独」から遁れられるわけで
はない。ただ死際だけを他人が看取ったからといってその老人の
孤独が癒されるとは思えない。逆にそのことの方が孤独な人生を
浮かび上がらせはしないだろうか。老人は孤独に死んだのではな
い、自分の孤独を生きてきたのだ。
(79)
社会は人の「死」まで穢してはならない。何故なら、「死」こそは
我々に残された唯一の孤独なのだ。
(80)
たとえ70億の人々に惜しまれながら命を絶えたとしても、或は、崖から
滑り落ちて独り山中で息絶えたとしても、私自身にとっては同じ「死」であ
る。
(81)
「死」 とは我々が生きていて唯一自分に起ると確信できるもの
(82)
我々は社会からばかり「死」を見ていて自分自身の目で自分の
「死」を見ようとしない。
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(78)
独居老人の「孤独死」が社会問題になっている。しかし、果たし
て孤独で無い「死」などがあるだろうか?如何なる「死」も孤独で
はないか?縦(よ)しんば、古(いにしえ)の王のように側近たちを
道連れに殉死させたとしても自らの「孤独」から遁れられるわけで
はない。ただ死際だけを他人が看取ったからといってその老人の
孤独が癒されるとは思えない。逆にそのことの方が孤独な人生を
浮かび上がらせはしないだろうか。老人は孤独に死んだのではな
い、自分の孤独を生きてきたのだ。
(79)
社会は人の「死」まで穢してはならない。何故なら、「死」こそは
我々に残された唯一の孤独なのだ。
(80)
たとえ70億の人々に惜しまれながら命を絶えたとしても、或は、崖から
滑り落ちて独り山中で息絶えたとしても、私自身にとっては同じ「死」であ
る。
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「死」 とは我々が生きていて唯一自分に起ると確信できるもの
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我々は社会からばかり「死」を見ていて自分自身の目で自分の
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