「あほリズム」
(110)
いずれ我々の社会から「自然権」なるものは忘れ去られることだろう。
それは誰かに奪われてそうなるというのではなく、我々自身が棄て去
るのだ。
(111)
果たして私は私自身の信奉者であっただろうか?もしかして誰か
の考えにただ追随して生きていただけではなかっただろうかか?
そもそも「生きること」とは自分自身を生きることであるなら、自分の
考えで生きること以外に自分の「生き方」などないのではないか。
たとえ自分の考えが自分以外の人に認められないとしても。
(112)
我々は何時だって新しい時代を待ち望んでいるが、ただ古い時代
を温めるばかりでは新しい時代を知ることが出来ないのではないだ
ろうか?新しい時代は新しい人の新しい考えによって生まれるとす
れば、新しい考えは古い人々の千の非難や嘲笑に耐えなければな
らないだろう。果たして私は千の批判や嘲りに耐え得る自分の考え
を持っているだろうか?もしかして新しい考えを批判したり嘲笑うだ
けのただの臆病者ではないだろうか?
(110)
いずれ我々の社会から「自然権」なるものは忘れ去られることだろう。
それは誰かに奪われてそうなるというのではなく、我々自身が棄て去
るのだ。
(111)
果たして私は私自身の信奉者であっただろうか?もしかして誰か
の考えにただ追随して生きていただけではなかっただろうかか?
そもそも「生きること」とは自分自身を生きることであるなら、自分の
考えで生きること以外に自分の「生き方」などないのではないか。
たとえ自分の考えが自分以外の人に認められないとしても。
(112)
我々は何時だって新しい時代を待ち望んでいるが、ただ古い時代
を温めるばかりでは新しい時代を知ることが出来ないのではないだ
ろうか?新しい時代は新しい人の新しい考えによって生まれるとす
れば、新しい考えは古い人々の千の非難や嘲笑に耐えなければな
らないだろう。果たして私は千の批判や嘲りに耐え得る自分の考え
を持っているだろうか?もしかして新しい考えを批判したり嘲笑うだ
けのただの臆病者ではないだろうか?