「結果が原因を創りだす」

2011-02-04 12:59:56 | 「パラダイムシフト」
        「結果が原因を創りだす」


 いつの日曜日の朝日新聞の書評だか忘れてしまったが、どうして

も頭から離れない言葉が記されていたので、この度ネットで調べて

みたら、易とも簡単に見付かった。それは、柄谷行人氏が書評した

「量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う」大澤真幸[著]

についての記事で、「そこでは、いわば、結果が原因を創(つく)り

だす」と書かれていた。ただ、もう一つピンと来なかったので、つ

まりそれに相応しい事例が思い浮かばなかったのと、その本を買う

金銭的な余裕も、読む時間的な余裕も、更には自分の知的な余裕

もなかったので、脳裏に付箋をしたまま放っていた。

 すると、先ごろチュニジアで民主化を求めるデモが起り、デモは

反政府運動へエスカレートして全国に拡大して、遂には大統領が国

外退去するという事態にまで拡がり、所謂「ジャスミン革命」が起った。

そしてその原因はというと、一人の青年が野菜の路上販売したところ、

販売の許可を得ていないことを理由に警官が商品を没収した為に青年

は抗議の為に焼身自殺をしてしまった。それに対して市民は抗議デモ

を起こして、警察はデモを弾圧をもって封じようとしたが、返って国民の

怒りに火をつける結果となり軍部からも見放されて独裁政権が倒され

てしまった。恐らく、青年は自分の焼身自殺が革命にまで繋がるなど

とは全く思わずに死んだ筈だ。だから、青年の焼身自殺がこの革命の

大きな原因であるとは到底思えない。

 チュニジアはベンアリ大統領が西欧社会との繋がりによって長期

に亘って強権支配を布いてきたが、ここに至って経済の低迷による

国民の不満が充満していた。だから、もしも一人の青年が焼身自殺

しなかったとしても、「ジャスミン革命」に至る原因はあらゆる所

に存在したかもしれない。そう考えていた時に付箋をした上の言葉

が甦ってきた。そうだ「結果が原因を創りだした」のではないか。

 以下はその書評の全文です。

「量子力学以前の物理学では、観察者を超えた、超越的な視点ある
いは超越的な何かが仮定されてきた。たとえば、相対性理論も光速
を一定と仮定することで成り立っている。ところが、量子力学がも
たらしたのは、そのような超越的視点がもはやないという認識であ
る。光子や電子は、粒子であり且(か)つ波動である。しかし、そ
れらを同時に知ることができない。観察するかしないかで、そのあ
り方が変わるからだ。そこでは、いわば、結果が原因を創(つく)
りだす。といっても、観察者に問題があるのではない。対象そのも
のが不確定的に存在するのだ。

 本書は、このような科学認識のあり方を、古代から中世・近代を
経て今日にいたる知的変容において考察するものである。というと、
科学史の本のように聞こえるが、そうではない。むしろ、著者が指
摘するのは、自然科学に生じたのと類似した事柄が、ほぼ同時期に、
他の領域でも見いだされるということである。一例をあげよう。精
神分析と物理学は無縁である。が、著者によれば、フロイトの前期
の仕事「トーテムとタブー」と後期の「モーゼと一神教」との関係
は、同時代の相対性理論と量子力学との関係と同型である、という。
つまり、それらは「関係の類比」において結びつけられる。

 このように、それまで縁遠かった事柄、たとえば、絵画、数学、
神学、生理学、経済学、国家論、革命政治などが「関係の類比」に
よって結びつけられ、それを通して新たな意味が見いだされる。さ
らに、そうした諸領域の核心に、社会学が存することを忘れてはな
らないだろう。著者が専攻する社会学は、まさに観察者が対象とす
る現実から離れて存在しえないことを自覚した学問として始まった
のである。本書の表題が示すのは、そのことだ。とはいえ、本書の
醍醐味(だいごみ)は、むしろ、これら異質なものたちの思いがけ
ない遭遇と、それがもたらす新鮮な光景にある。読者は、本書を楽
しみつつ読むうちに、自(おの)ずと世界が違って見えてくること
を感じるだろう。」
http://book.asahi.com/review/TKY201011230140.html

何と、この本の著者によると「自然科学に生じたのと類似した事柄

が、ほぼ同時期に、他の領域でも見いだされるという」のだ。だか

ら、量子力学を認識した観察者の視点で社会を見れば、「結果が原

因を創りだす」ことなど何も不思議なことではないというのだ。つ

まり、一人の青年の焼身自殺が「ジャスミン革命」を引き起こした

のではなくて、国を変えなければならないという国民全体の切羽詰

った想いが一人の青年を焼身自殺へと向かわせたのかもしれない。

それは謂わば「結果が原因を創りだした」と言えるのではないだろうか。




                          (つづく)
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