「あほリズム」
(336)
朝日新聞がいわゆる従軍慰安婦の捏造記事を認めて謝罪した
一連の顛末は、彼らが戦後左派のドグマティズムに陥っていたか
らではないか。しかし、それは右派新聞とて同じことだ。但し、それ
らの新聞の偏向報道は「国家のため」という大義名分によって仮借
される。
(337)
かつて、数多の同胞を犠牲にして亡国へと導いた指導者たちでさ
えも「国家のため」という免罪符によって英霊として祀られる。つまり、
国家という大船の中で転んだとしても海に投げ出される心配はない。
こうして、やがて「愛国心」こそが国家を傾ける。
(338)
かつて翼賛体制の下でその一翼を担った報道機関は、大本営発表
を検証もせずに報道したが、今日でもその姿勢はほとんど変わってい
ない。つまり、事実よりも「かくあるべし」を求める。
(339)
今や「報道の自由」が脅かされているのは「報道しない自由」
によってである。