「異感」に思う(改稿)
来年に迫った東京オリンピックでメダル獲得が期待される女子水泳選手
が、突然選手生命を絶たれるかもしれないほどの重病に罹って、オリンピ
ックへの出場が危ぶまれる事態となって、そのオリンピックの開催を準備
している行政のトップが、記者たちの質問に対して「ガッカリした」と答
えたテレビのニュースを見て、私は最初それほどの「違和感」を抱かなか
った。それは、彼は彼女が病気に罹ったことに対して「ガッカリした」の
ではなく、オリンピック全般を取り仕切る担当大臣としての立場から、有
力選手が出場できないかもしれない状況に「ガッカリした」(落胆した)
と言ったまでで、彼女に向けられた言葉とは思わなかったからだ。そもそ
も一番「ガッカリして」いるのは彼女にほかならないのだが、大臣の言葉
が「ガッカリしている」彼女にとって追い打ちをかけるようで相応しくな
いという見方は少し穿っているのはではないかと思う。もちろん、大臣た
る者は在らぬ「誤解」を招かぬように慎重に言葉を選ばなければならない
が、そして今さら彼の政治家としての資質を云々するつもりもないが、そ
れにしても野党が国会審議の場で、些細な言葉じりを捕えて彼を追い込ん
でも国民の共感は得られないのではないかと思った。我々は「曲解」され
て伝えられることの怖ろしさに少し感覚が「鈍感」になっていないだろう
か。
さて、いまや日韓の対立は止まるところを知らないが、先ごろも彼国の
政治家が慰安婦問題への天皇の謝罪を求める発言が物議を醸しているが、
誤解されることを恐れながら言うと、そもそも天皇制に関する他国の覚め
た見方は、「天皇」という言葉を耳にしただけでも「畏れ多くも」思考停
止に陥る日本国民にとっては、他国のいかなる干渉も「異感」に思うに違
いないが、ただ彼国が過去にわが国から受けた国辱の責任を、旧憲法下で
は天皇が国家元首であったことは明白で、つまり彼国が被植民地化の責任
を昭和天皇に求めることは間違っているとは思えない。ただ、昭和天皇は
すでに崩御され、皇位継承者にもその責任が及ぶかどうかは疑わしい。た
だ日本政府が現憲法下での今上天皇の立場を象徴的存在であるからと言っ
て反論するのは、彼国の政治家は敢えて「息子」と名指ししているのだか
ら、彼らの非難に答えていない。ここで天皇の戦争責任を問うつもりはな
いが、その責任が皇位を継承した今上天皇にも及ぶと考える彼国こそ勘違
いしていると言わざるを得ない。そもそも南北朝鮮の分断は旧日本政府が
無関係だとは思わないが、しかし、いずれ彼らが朝鮮統一を実現した暁に
は、日本への非難と同様に、北朝を三代に亘って独裁支配してきた金一族
に対しても、その非人道的行為の責任を問うというのであれば、統一交渉
は間違いなく破たんするだろう。つまり、天皇は許されないが、金一族は
許されるというのはダブルスタンダードであり、一筋縄で南北の統一が達
成されるとは到底思えない。それどころか、統一朝鮮の覇権を巡って再び
戦火を交えることだって起こり得る。
そもそも儒教道徳とは身分道徳であり、それぞれの身分の違いによって
良い悪いが異なる不平等道徳である。つまり、ある行為において「お前は
許されないが、おれは許される」というダブルスタンダード(二重基準)が
生まれる。中国や韓国、もちろん日本も同じで、たとえば役人が政治家の
意向を忖度して正義を歪めるのは序列を重んじる儒教道徳に縛られている
からにほかならない。儒教道徳とは「相対」道徳であって、目上の者(序列
上位者)に対する反意は反道徳的(反儒教的)と見做される。アメリカのジ
ャーナリスト、マルコム・グラッドウェル氏は、かつて頻繁に起こった韓
国の航空機事故を、序列を重んじる儒教道徳の遺産であると書いている。
(マルコム・グラッドウェル著『天才!成功する人々の法則』)1997年
に起きた大韓航空801便墜落事故は、グアム国際空港への着陸に失敗し
て手前の丘に墜落、乗客乗員223人が死亡した。その原因は悪天候や計
器着陸装置の運用停止などのさまざまな不運が重なったことに加え、機長
の判断ミスに副操縦士が異論を挟めなかったことが決定打となった。副操
縦士は儒教道徳の呪縛に囚われて目上の機長の誤りを指摘することができ
なかったのだ。こうして儒教社会の下での正義はその序列道徳によって歪
められる。さて、昨今の韓国による日本政府に対する対応の変化は、簡単
に言えば統一朝鮮によせる彼らの想いが日韓関係よりも優先して主従の序
列が逆転したからにほかならない。そして祖国統一への強い想いは当然祖
国分断の苦々しい過去を想起させずには措かず、そもそもの原因である日
本の統治に対する憤りを蘇えらせたとしても無理もないことだと、我々は
覚悟しなければならない。その上で、かの儒教社会は論理的な社会正義よ
りも情緒的な社会道徳に重きを置き、統一朝鮮問題よりも優先順位の序列
が低下した日韓関係が以前ほど意義がなくなった結果、これまでとは対応
が違うダブルスタンダードも彼らにとっては何の衒いもない応対なのだ。
つまり、立場が変わると言うことも変わるのだ。わが国はかつては韓国経
済を飛躍させるための頼りになる副操縦士だったかもしれないが、統一朝
鮮の蜜月の下はわが国の存在は序列が低下したうざったい隣人に過ぎない
ことを肝に銘じなければならない。そして、もう一つ肝心なことは、彼ら
が展望するその先には儒教思想の宗主国としての「中国」があることを忘
れてはならない。そもそも中朝韓の儒教主義国家から見れば、民主主義国
家たるわが国こそが異端国家にほかならないのだ。
(おわり)