「真理とは幻想である」
(6)
われわれの理性が存在の《真理》を掌握することができないとす
れば、その結果、理性がわれわれに「生きることは意味がない」と
囁いたとしても、それほどあやまった判断だとは思えない。ただ、
それはあくまでも理性的判断であって、しかし、われわれは理性に
よって命を得たわけではない。そもそもわれわれが生れて来ること
に理性はいっさい関与していない。だから理性はわれわれの生死に
口を挟む権利はない。つまり理性とは生きるための手段でしかない
。ところが、目的を見失った者は手段にすがり、そして手段が目的
化する。世界とは無常に遷り変る生成であり、われわれが為し得る
ことはただ命を繋ぐことだけだと理性がささやくとき、われわれは
無限のニヒリズムに陥る。しかし、理性が追い求める「真理とは幻
想である」とすれば、われわれは生死を合理的判断に委ねるべきで
はない。生きて在るものとはそもそも不合理な存在なのだ。
(おわり)
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