「あほリズム」
(783)
かつて三島由紀夫は自身の「戦後語録」(1945年9月16日)に、
「日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう」
と記した。日本的非合理とはもちろん天皇のことだ。
ところで、近代社会とは合理の基に築かれる。《非合理》社会とは
《非》近代社会にほかならない。つまり、彼は終戦から百年後、20
45年頃には近代社会は行き詰ると思っていた。
世界とは《生成》であり、《生成》とは不断に変遷する無常なもの
であるとすれば、《生成》としての世界は不合理の世界にほかならな
い。果して、25年後(終戦から百年後)に近代科学文明社会に行き詰
ったわれわれは、再び原始の不合理の世界の下で《日本的非合理》の
詔勅に導かれて、世界文化に貢献することができるだろうか?
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