仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(8)のつづき
さらに、
『第二節Bの文言は次の通りである――これら三つのカテゴリー
で世界を解釈することはもはや許されず、この洞察のあとで世界は
われわれにとって無価値となり始めるということを一旦われわれが
認識したときには、われわれはこれらによせるわれわれの信はどこ
から由来するのかと問わざるをえない。これらへの信の廃棄宣言を
することが可能であるまいかと試みてみよう。われわれがこれら三
つのカテゴリーを無価値化してしまえば、それらを万象に適用しえ
ないということが立証されても、それはもはや万象を無価値化する
根拠ではなくなる。結論。理性のカテゴリーへの信がニヒリズムの
原因である。――われわれはまったく虚構された世界に関係するカ
テゴリーを基準にして、世界の価値を測定してきたのだ。
*
最終結論。われわれは今までさまざまな価値によって、最初は世
界をわれわれにとって貴重なものたらしめようと試み、最後にはそ
れらが世界に適用されえないことが証明されたとき、同じそれらの
価値によって世界を無価値化するに至ったが、これらすべての価値
は、心理学的に検算してみれば、人間的な支配形象の維持と昂揚の
ための有用性の特定の遠近法的展望の帰結であり、それらが誤って
事物の本質のなかへ投影されただけのことである。自分自身を事物
の意味と価値基準として設定することは、相も変わらず、人間の途
方もない素朴さである」。』
(ハイデガー著「ニーチェ・Ⅱ」平凡社ライブラリー、3ヨーロッパ p328『新たな価値定立』)
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