3.11の大震災発生から後7日で1年を迎えます。
14:46の震災発生から津波・原発事故に見舞われこの一年間は本当に気の休まる日はありませんでした。不安がつのりストレスから体調を崩しそうになったことも多くあります。気持ちが弱くなりすぐに涙がこぼれるような事も多くあったような気がします。この地に生活しているとなぜか気持ちが沈みがちになってきます。先週もそうですが、この町から離れて飯舘村を過ぎるとなぜか気持ちに安心感みたいなものが出るような気がします。なぜでしょうね?
南相馬市でも多くの人々が地震・津波で被災し、原発事故で避難を余儀なくされています。
住宅被害は、全23898世帯中1635世帯(津波1162世帯・地震18世帯) 全世帯の6.8%が住まいを失ってしまいました。
人的被害は、死者631人 行方不明者7人 負傷者 59人 市民の0.89%の人が命を落としてしまいました。
現在の避難者は、人口71494名 市内居住者43514名 市外避難者 26210名 現在でも36.7%の人が避難をしている状況です。
私の友人も津波の被害で住まいを失ってしまいました。この写真のところには、うっそうと茂った木々の中に大きな住宅が2軒並んでいました。
今まで木々にさえぎられて見えなかったのできずかなかったのですが、震災後に行ってみた時にはこんなにも海が近かったのかと実感しました。あのうっそうと茂った木々は今では大きなモミの木が3本と欅の木が2本残るだけです。その木々と一緒に住宅と父親と母親の遺骨が流されしまいました。母親は前の年の暮れに病気で亡くなりまだ納骨を済ませていませんでした。父親は私らが行くといつもニコニコと話をしてくれる優しい父親でした。でもいまだに行方不明のままです。妻の遺骨を抱きながら流されてしまったのか遺骨も見つかりませんでした。一緒に捜索と流されたものを探し回ったのですが、写真が見つかるくらいで何もなくなりました。写真も周囲1km位に散乱していたのでどこまで流されたのか想像もできないくらいでしたね。今ではきれいに片づけられあの面影は失われつつあります。友人も仕事の都合で遠方に行ってしまいましたが、地元に帰ってくるかはわからないと言ってます。
その右隣は3世代が一緒に暮らす家族が住んでました。息子が結婚して新潟の勤務先から地元に帰ってきて間もなく被災してしまいました。ばあちゃん・母ちゃん・嫁さんの3世代の女性が被災してしまいました。嫁さんだけが行方不明でした。嫁さんは新潟出身でその両親が震災直後から捜索に来ていました。毎日毎日同じところを歩き回り「必ず見つけるまで帰らない」と探し続けていました。その姿を毎日見るたびに涙がこぼれてきました。でも結局見つからないままです。「原町に返さなければよかった」といった言葉が忘れられません。
最近、一周忌を前に告別式をする人が増えてきました。私の友人もあきらめることができずに1年間は待ってみると言ってます。まだまだ踏ん切りがつかないようです。でも、一周年を境として気持ちの変化が生まれてくるかもしれませんね。
私も会社で仕事をしていて地震が発生するとなんか嫌な気持ちになります。なにかトラウマがあるのかもしれません。
一年が過ぎ、早く気持ちの切り替えができるといいですね。