一年前の今日、3月15日に避難してから初めて「屋内退避」の自宅に戻ることができました。
さいたまスーパーアリーナが3月31日に閉鎖になるので、あちこちの避難所を訪ねて次の避難先を決めようと思ったのですが、妻の仕事の都合もあり避難先を変えることなく自宅に戻ることを決心したのが28日でした。
29日の午前中に荷物をまとめて車に積み込み、昼食を食べてから退去の手続きをしました。
盗難が相次いでいると聞かされていたので、自宅の状況がどうなっているのか不安でどうしようもありませんでした。さいたまスーパーアリーナの駐車場を出るときの寂しさと不安な気持ちは忘れられませんね。
ナビに言われる通りに走り、岩槻ICから東北自動車道で帰ってきましたが、被災地へ向かう車両でサービスエリアは混雑してました。色々な国の方がバスを連ねて被災地へ向かっていたのを覚えてます。
帰っても食料が手に入らないだろうと思い、本宮ICで高速を降り、開いているスーパーを探しました。大玉村の大型店舗プラントが開いていたので食料品を大量に仕入れることができ助かりましたね。ビールも買うことができましたよ!! ラーメンなどの非常食以外は結構そろっていましたね。
飯舘村を過ぎたあたりに検問所がありましたが、警察車両があるだけで何も言われないで通ることができたんだけど警察は何をやっていたのかな?八木沢峠を降りて市内に向かっていくと人家が多くなりますが、電灯の点いている家はあまり見かけませんでした。ほとんどの家庭が避難している状況だったんでしょうね。我が家の付近も真っ暗な状態でした。これからどうなるんだろうと不安なだけでしたね。
我が家も真っ暗な状態でしたが、元電源を入れると正常に電気製品が動いたので安心でした。灯油も盗難に遭わず200L程ありましたからホットしました。水道は大丈夫でしたが、飲んでも大丈夫なのか不安でしたね。
とりあえず買ってきたもので食事をして、風呂に入りベットに寝ましたが、今まで硬い床に寝ていたせいかベットがフカフカに感じて本当に安眠できましたよ。やっぱり我が家っていいんですね。
次の日からは本当に大変な日の連続でした。本当に帰ってこなければよかったと思ったことが何度あったことか。
これが本当に国から見放された被災地の姿なんだ!!と実感させられました。
食品や日用品は20km以上離れた相馬市まで行かなければ買うことができないし。ガソリンや灯油も販売しているスタンドが少なくガソリンが1L・160円、灯油が1L・110円とバカ高い料金だし。新聞は手に入らないしで、避難しないで頑張っている人たちは本当に大変な生活を強いられていたんだと実感しました。避難所ではわからない辛さがありましたね。「屋内退避」の状態だから外を歩いている人も少なかったですね。マスクや帽子は必需品でした。
「屋内退避」だから自宅にこもっていなければなりませんでしたが、身体の調子が日を追うごとに悪くなるような感じでした。防護服を着て会社の復旧作業をしたり、友人の家族の捜索を手伝ったり、がれきの撤去を手伝ったりといろいろやりましたが、現実を多く見て行くと精神的に参ってきたところがありましたね。
あれから一年、今では過去の思い出となりつつありますが、まだまだ震災や原発事故からは復興できていません。
これからどうなるんだろう?