村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

あの日から2年3ヶ月

2013年06月11日 18時37分46秒 | 震災・放射能

2011年3月11日のあの日から今日で2年3ヶ月が過ぎた。

まだ2年3ヶ月しかたっていないのに、もう話題すら出てこなくなってきた。

これでいいのだろうか?

あの日俺はこの鉄筋コンクリート製の建屋の中にいて救われた。

海抜約20mの高さにあるこの建物にも津波は襲い掛かってきた。1階の約1mの高さまで海水が浸入してきた。外にいたら俺は今この世に存在していなかっただろう。

多くの亡くなられた方から見たら、それも運なのだろうか?

この入口から海水がどんどん入ってきた光景がいまだに浮かんでくる。膝まで海水につかりながら2階に避難し、そこから見た光景は信じられないものだった。

だんだん復興が進んできて平常の生活が身についてくると、わずか2年しかたっていない大きな出来事も過去のものになってしまうのかもしれません。

しかし、何かの機会にそれを思い出し、その怖さを再認識し、それに備えなければならないのではないだろうか?

「災害は忘れた頃にやってくる」

昔から言い伝えられてきたこの言葉は、今の俺には「あの怖さを忘れるな」と言っているような気がする。


やっぱり楽しいディスクゴルフ

2013年06月10日 18時29分56秒 | ディスクゴルフ

昨日は3週間ぶりにディスクゴルフを楽しみました。

先月まで雲雀ヶ原祭場地の観覧席で午後から楽しんでましたが、草丈がだいぶ伸びてきたので、今月から東ヶ丘公園に戻ってきました。

天気は最高の晴れなんだけど気温がどんどん上がり26℃を超える暑さ。でも、湿気がないのか吹く風はさわやかでしたよ。

集まったのは5名。

ちょっとさびしいですが今の時期いろいろと行事が重なりみんな忙しそうですね。

土曜日から使い始めたスマートフォンのカメラでテスト撮影。しかし、なぜか本体からSDカードにコピーした画像がPCに読み込めないトラブル発生。いろいろと試してみたがダメ。結局前回まで使用の携帯へ赤外線で画像を送りPCに読み込むことができたが、なんか画像が悪いです。

この日の東ヶ丘公園には多くの来園者があり思うように投げることができなかった。やっぱりこれからも来園者に悩まされそうですね。

7月末の相馬野馬追祭が終わるまではここでお世話にならなければならないので仲良くしないとね。

これまで少なかった小さな子供たちが多く来園してました。やっぱりみんな遊ぶところに苦労しているようです。ここの公園の放射線量が下がったようなので来たようなことを言ってました。ディスクを貸してあげると必死に投げまくってましたから、やっぱりフライングディスクを投げるって楽しいんでしょうね。

これからも積極的に話しかけてみよう!!

しばらく行かないうちに愛犬家の集まりも人数が多くなってきたようです。大勢の犬が集まっても喧嘩にはならないんですね。犬へのイメージが違っていたようです。大きさも犬種も違うのに仲良く遊んでましたよ!!

ショットに悩んでいたママも少しずつ安定してきたようなので安心ですね。佐幸さんのロングパットもすごいですよ。佐幸さんは常に俺のはるか後ろから入れてプレッシャーかけまくりだから小心者の俺は3mのパットも外してしまうんですよ。悲しい。

いつもストレスためまくりの生活を送っているので、気持ちいい自然の中で身体を思いっきり動かすって最高ですよね。

うまくコントロールできなくてもいいじゃないですか!!

パットが外れたって、笑って、残念!!でいいでしょう!!

うまくいったら、みんなで「ナイス!!」って騒ごうよ!!

ディスクゴルフをやることができる「うれしさ」とみんなでプレーする「楽しさ」を久し振りに感じることができました。

来週は、福島市スポレク祭ディスクゴルフ大会参加のため、東ヶ丘公園での楽しむ会は中止になります。

次回は23日の午後から東ヶ丘公園で楽しみましょう!!


歴代携帯電話

2013年06月09日 11時25分02秒 | 日記

昨日携帯電話を機種変更していて、そういえばこれまで使っていた携帯電話をまだ処分しないで取っておいたのを思い出した。

懐かしいから並べてみます。

1代目 N203

2代目 N207

3代目 N502i この機種からiモードが開始された。

4代目 N504i

5代目 N505iS この機種から携帯にカメラがついた。

6代目は残念ながら破損していたので、その場でドコモショップに処分依頼した。

携帯を変えてすぐに落としてしまいヒビが入り、その部分を瞬間接着剤で補修して1年位使っていたが、一切経山の山頂で死んでしまいました。

7代目 F-08A この機種から防水機能がついて、ワンセグテレビが見られるようになりました。

そして、新しく使い始めたのが8代目になる、SH-06Eです。ついにスマートフォンに変えてしまいました。

携帯会社は最初から変わらずドコモですが、機種はNEC→富士通→シャープと変わってきています。

携帯電話を使い始めてから16年位?ですが、機械の進歩は凄いものがありますよね。やっぱり10年ひと昔は本当ですよ。

携帯で写真が撮れるようになり、それをメールで送れるようになったと思っていたら、携帯からネット検索ができるようになり、テレビが見られるようになり、今ではパソコン並みの機能があるんですからすごいですよ。

これからの進歩にアルコール性痴ほう症気味の俺の頭がついて行ってくれるか心配です。

それにしても太い指で操作するのには苦労するな

やっぱり見栄を張らないで「らくらくスマートフォン」にすればよかったのかな?


世代交代

2013年06月08日 19時49分35秒 | 日記

4年前の6月に雨の吾妻に行って、湿気から死んでしまった携帯の代わりに機種変更した携帯だったが、ついに寿命を迎えそうになってしまいました。

4年間使用というのは長いのか短いのかわかりませんが、慣れて愛着があるものから変えるのにはやはり抵抗がありますね。

でも、壊れてからでは不便なので思い切ってドコモショップへ行ってきました。

あまりにもいろいろな機種があって悩んでしまいましたが、こいつがこれから相棒になります。

使いこなせるかは疑問ですがなんとか頑張ってみます。


多珂うどん3年ぶりに地元小麦で生産か?

2013年06月08日 09時52分08秒 | 南相馬の話題

南相馬市の名産の一つに「多珂うどん」があります。

多珂うどんは、高ライスセンターが栽培している小麦(転作田で)、品種きぬあずまで作っています。こしがあり、つるつるした大変においしいうどんだったのですが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故後、「多珂うどん」は、消費者の安全を図るため、福島県南相馬市で栽培した自社産小麦の使用を断念し、国内産小麦粉に切り替えていました。

地元の小麦で「多珂うどん」を作れる日を願って、高ライスセンターの皆さんは頑張って来たんですね。

新聞に「金麦輝く うどん用粉に3年ぶり出荷へ」の記事が載っていました。

今回は13ヘクタール作付けされ、畑の除染を行いカリウム肥料を施すなど放射性物質に対する防護をして栽培してきたんです。

小麦畑では黄金色の穂が見事に実ってました。

今年の出来はいいようなのでおいしい多珂うどんができるかもしれませんね。

多珂うどんは細麺と太麺の二種類があります。

俺は太麺のもちもちっとした食感がいいですね。温かいものでも冷たいものでもおいしいです。

南相馬市内のスーパーや道の駅でも販売していますので是非一度食べてみてください。

高ライスセンターが育てた小麦「きぬあずま」の新粉で作った多珂うどんを食べられるのが楽しみですね。


毛越寺~厳美渓へ

2013年06月07日 19時46分27秒 | 旅行・温泉

平泉中尊寺の駐車場から約15分程度で世界遺産 特別史跡・特別名勝の「毛越寺 もうつうじ」に到着しました。

意外と近かったんですね。駐車料金は300円。

中尊寺の駐車場を利用すると100円割引になるようですが、後から割引券に気づき使えなかった、失敗!!

拝観料は大人500円。平泉観光も駐車料金や拝観料がかかるから結構経費がかさみますよね。

でも、維持費が大変だから仕方がないのかな?

毛越寺の由来は、

寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされています。

(パンフレットより)

寺名の読みは、

毛越寺はモウツウジと読みますが、通常「越」という文字を「ツウ」とは読みません。「越」は慣用語で「オツ」と読みます。従って「モウオツジ」が「モウツジ」になり、更に「モウツウジ」に変化したようです。

拝観料は払い門を入ると正面に本堂が望め、右手に浄土庭園が広がっています。

中心にある池は、大泉ヶ池と言って東西180m、南北90mあり当時の姿を伝えているそうです。

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。(パンフレットより)

本尊は平安時代に作られた薬師如来を安置しているそうです。

本堂では座禅が行われていました。「静かにお参りください」という表示がされていましたので静かにお参りしてきました。

俺はじっとしていられないから無理だな。でも、全員順番にたたかれているようだったから、居眠りこいても大丈夫なのだろうか?

本堂にお参りしてから大泉ヶ池のほとりを散策しました。池のほとりの所々にベンチがありますが観光客の皆さんが涼んでました。

涼しい風が吹き付けて気持ちいいですね。皆さんのんびり気持ちよさそうないい表情をしてましたよ。

池の東北川に「遣水」という小川が流れていました。

「遣水 ヤリミズ」は、池に水を引き入れるためと造られたものです。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものです。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。

境内にはもみじの木が多くありましたが、なんかちょっと感じが違うと思い眺めていると、なんともみじに花らしいものがついていました。

もみじに花が咲くんだろうか? はじめて気が付いた!!

 

奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営した平安時代当時の姿が復元されたら、きっと日本一の規模になるかもしれませんね。

毛越寺は初めての経験でした。時間があまりなかったのが残念です。ゆっくり散策したいところですね。

毛越寺から次は最終目的地厳美渓へ向かう。

途中に史跡・名称「達谷窟毘沙門堂」の表示が見えたので立ち寄ることにした。

拝観料300円。駐車料金は無料。

坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀った岩屋である。懸崖造りの毘沙門堂は、火災のたびに立て直されてきた。平安時代造像の丈六不動明王像や北限とされる「岩面大仏」も必見。(パンフレットより)

入口には鳥居が3つ立っています。鳥居が立っているってことは神様???

達谷窟の昔話より

昔々、達谷窟に蝦夷の頭 悪路王(あくろおう)や赤頭 高丸が城を造り、女の人や子供をさらったり宝物を奪ったりしていました。みんな困っていましたがどうすることもできません。

あるとき、悪路王らは京の葉室中納言(はむろちゅうなごん)様の娘、ゆり姫さまを誘拐したのです。悪路王はゆり様を窟の奥に閉じ込めました。篭の鳥のようにお姫様を閉じ込めていたので、そこは「かごのひめ」と言われるようになりました。

ゆり姫さまの他の姫さま達は髪を切られていました。悪路王らは逃げ出そうとする姫さまを下の瀧で待ち伏せしました。その瀧は「姫待瀧」と呼ばれました。そしてとらえられたお姫さまの髪を切り大きな石にかけました。髪をかけられた石はかつらのように見えたので「かつら石」と呼ばれました。

悪路王の悪行はとどまるところを知りません。そこで桓武の帝は、坂上田村麻呂公に蝦夷征伐をお命じになられたのです。ところが悪路王ら蝦夷は強く、田村麻呂公は苦戦しました。みんなを助けて守るために田村麻呂公が戦うと戦の神様である毘沙門天様が天から降りてきて田村麻呂公に味方しました。

毘沙門天様のおかげで田村麻呂公は悪路王を征伐し、ゆり姫さまはじめ多くの人々を救い出すことができたのです。

坂上田村麻呂公は、戦に勝ったお礼に悪路王らが住んでいた窟にお堂を立て百八体の毘沙門様を祀り、毘沙門堂と名付けました。

これが達谷窟毘沙門堂の始まりです。これ以後人々は毘沙門様を拝み、田村麻呂公に感謝して幸せに暮らしたとさ。

今から一千二百年以上前のお話です。

神式にお参りしていいのか、仏式にお参りしていいのかわからないから、ただ手を合わせてきました。

階段を下りて先に進んでいくと「岩面大佛」が岩壁に掘られていました。

義経(よしつね)公のご先祖にもあたる源義家(みなもとのよしいえ)様が、この地方でたびたび起こった戦で亡くなった者を弔うために彫ったものと伝えられているそうです。

「姫待不動尊」その中には大きな不動明王像がありました。

昔話にあった「姫待瀧」のかたわらに「姫待不動尊(ひめまちふどうそん)」としてまつられてあったのが、この不動明王(ふどうみょうおう)だそうです。 そもそも「姫待不動尊」は智証大師(ちしょうだいし)という方が祀ったもので、奥州藤原氏二代の基衡(もとひら)公が再建したとも言われてます。 しかし、長い年月の間にそのお堂も壊れてしまったため、 江戸時代に達谷の西光寺(せいこうじ)の境内に移されたということだそうです。 全国でも大きい部類に入る不動明王は、岩手県有形文化財に指定されてます。

平泉の歴史はやはり奥深いものがありますね。

そこからいよいよ最終目的地「厳美渓」です。

時間も遅くなってきたせいか観光地なのに意外とひっそりとしていましたね。

ここの駐車場は300円です。あまり見るところがないので300円でも高いような気がしますよ。

厳美渓はきれいな渓谷が続いているのでゆっくり散策したら気持ちがいいでしょうね。

渓谷沿いに遊歩道があったらいいといつも思うんですが?

東屋には有名な「かっこうだんご」があります。

篭の中にお金を入れて合図すると、篭が引き上げられお金と引き換えに団子が下りてきます。

結構売れているみたいですね。

でも俺は体のために食べたいのを我慢してしまいましたよ!!

ブログでは三日もかかってしまいましたが、実際には半日の行程です。

忙しく巡った世界遺産の旅でしたが、みちのくの歴史に触れることができました。

おいしい出張をありがとう!!


世界遺産 中尊寺へ

2013年06月06日 20時17分07秒 | 旅行・温泉

芭蕉館」で平泉わんこそばをたらふく食べた後はいよいよ世界遺産の平泉中尊寺へ。

世界遺産に登録されたせいか月曜日なのに多くの観光客でにぎわっていますね~!! 

でも運よく一番近い第一駐車場に駐車することができました。駐車料金は1回400円です。

修学旅行なのか中学生や高校生の姿が多いですね。

中尊寺への参道は急坂の始まりです。

この参道の坂は月見坂と言ってそのいわれをちらっと聞きましたが忘れてしまいました。月見をしながら歩いたような話をしていたような気がします。

参道の両側には杉が植えられていますが、その杉は江戸時代に平泉を治めいてた伊達藩によって植樹されたそうです。

樹齢は350年ほどになっているそうで、その歴史の重みみたいなものが感じられますね。

暑さを感じるくらいの日でしたからこの杉木立にさえぎられた参道を歩くのは気持ちがいいですよ。

でも、以前からこんなに急な坂だったっけ? かなり急に感じるのはやっぱり年のせい?

参道の途中に「東物見台」という見晴らしの良いところがあります。

以前来たときにはここからの展望はもっとよかったと思いますが、今は木々が伸びていますね。

東北自動車道や新幹線等が整備されて近代化された光景が広がっていました。

以前訪れた時に団体客を案内するガイドさんの説明を聞いたのを思い出しました。

衣川という川と北上川が流れていてこの下で二つの川が合流します。その合流地点付近が武蔵坊弁慶の立ち往生の地とされているそうです。

源義経が兄の源頼朝に追われ、藤原3代秀衡を頼りに平泉に身を寄せるが、秀衡が病死すると、4代泰衡は頼朝の圧力に耐えかねて義経の居住を攻め込み自害に追い込みます。その時の戦いで、弁慶は並み居る敵兵を次々と倒すが、ついには無数の矢を受けて薙刀を杖にして仁王立ちのまま息絶えたと言われています。その場所は川の流れが変わり当時とは場所が変わっているそうですが、この地なんですね。

江戸時代に平泉を訪れた松尾芭蕉は、平安時代に繁栄を極めた平泉の当時の栄華が無くなり田野となって広がる光景を見て

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

と詠んだんですかね。

参道の途中には数多くの御堂が立ってます。「峯薬師堂」は目にご利益のある薬師様ですから目が悪い人はお立ち寄りください。というので進んだ老眼が少しでもよくなるようにお願いしてきました。

それにしても絵馬やいろいろなものが目でした。ちょっとやりすぎではないのかな?

まずは中尊寺の「本堂」にお参りします。

「中尊寺」というのはこの山全体を言うそうです。本堂は山の中心となる建物で明治42年に再建されています。

御本尊は阿弥陀如来で、参拝は掌を合わせて「南無何弥陀仏」と心の中でお唱えすればよいそうです。

心の平安をお祈りしてきました。

このコンクリート製の覆堂の中に金色堂があります。この覆堂が完成したのは1990年だと言うから23年前になりますがもっと前だったような気がする。これが完成して間もない頃に来たような気がするな?

そして、いよいよ金色堂への参拝です。

館内は撮影禁止なのでパンフレットの写真です。

阿弥陀如来の仏国土(浄土)を表す仏堂建築です。同時に、金色堂は藤原氏四代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)の遺体及び首級をそれぞれ安置した霊廟であり、今なお地域における精神的な拠り所ともなっています。屋根板を除く全ての部材の外面には黒漆が塗られ、金箔が押されています。また、建物の部材に用いられた東南アジア産の紫檀・赤木、螺鈿に用いられた南海産の夜光貝などは、12世紀に国内外の広い範囲に及ぶ交易・交流が行われていたことを示しています。金箔の装飾、蒔絵・螺鈿などの漆芸・金工の意匠・技術を尽くした金色堂は、 徹底した輝光の荘厳であり、「無量光」とされる阿弥陀如来の極楽浄土を表現ししています。(パンフレットより)

覆堂を出て金色堂が収められていた旧覆堂へ向かう途中に「松尾芭蕉翁」が立っていました。

五月雨 降り残してや 光堂

金色堂に参拝した芭蕉は、鎌倉北条氏によって建てられたと言われている覆堂の中で、朽ちかけた金色堂がかろうじて光を投げかけている光景をみて、光堂と詠んだんでしょうね。

かなり久しぶりに訪れた平泉中尊寺。

世界遺産に登録されてから、さらに観光地化したような気がしますがやはり歴史の重みみたいなものが身体全体で感じられます。

この頃、神社仏閣や博物館みたいなものが好きになってきたような気がする。

やっぱり年なのかな?

次は庭園のきれいな毛越寺へと続きます。

 


平泉わんこそば

2013年06月05日 18時18分08秒 | 美味しかったもの

月曜日の宮城県大崎市での用事が早く終わったので、世界遺産に登録された平泉まで足を延ばしてみることにした。

平泉に行くのは何年ぶりだろう? 以前、一関遊水地記念緑地で開催されたみちのくオープンの帰りに「厳美渓」に寄って以来行っていないような気がするから、平泉の中尊寺に行くのは10年以上ぶりということになるのかな?

まずは、昼食に何を食べるか考えながら、高速道路を使わないで国道4号線を北上しました。

一関市街を通り過ぎて平泉中尊寺までもう少しという道路沿いに懐かしい看板が見えた。20代の時だから約30年前?にバドミントンクラブの旅行で訪れた時にみんなで昼食を食べた「平泉わんこそば 芭蕉館」。あの時はみんなでわんこそばを何杯食べられるか競争したっけ!! 懐かしいのでわんこそばを食べることにしました。

30年も前の事だから店舗内がどうなっていたかはわからないな?でも、店内は古さを感じさせなくきれいで清潔感がありますね。

おすすめメニューは4種類。わんこそばは2種類。特は天ぷらの盛り合わせとフルーツが付きます。欲を出して特を頼んでしまいました。

わんこそば特は2400円。30年前は1200円くらいだったような気がする。

御膳には「平泉わんこそば」の由来が書かれているパンフレットがついてきます。

御膳には、天ぷらの盛り合わせ(大エビ、シイタケ、カボチャ、ピーマン)、フルーツ(グレープフルーツ)、漬物セット、各種薬味がのっています。薬味は豊富で、鮪の山かけ、なめこおろし、筋子、ねぎ、鰹節、のりがありました。めんつゆもたっぷりあるのでいろいろな薬味でそばを楽しむことができます。

そばは、12杯のお椀が2段で24杯です。盛岡のわんこそばはつゆが入っていますがこちらは入ってません。この椀からつゆと薬味を入れた椀に移して食べるのが「平泉わんこそば」です。こちらの方がそばを楽しみながらゆっくり食べられるからいいですね。以前は食べ放題だったような気がするが、今は1段12杯までサービスだそうです。

絶対におかわりするという気持ちで挑んだのですが、この量で撃沈しました。欲張った天ぷらの盛り合わせが悪かった。30年前は4段食べたのにやっぱりじじいになるとダメですね。

久し振りにおいしく懐かしいそばを頂きました。

そこから平泉中尊寺へ。腹が満腹状態だから腹減らしに良い運動になりそうです。

明日に続きます。


鳴子温泉

2013年06月04日 19時56分56秒 | 旅行・温泉

日曜日に一泊の出張で宮城県大崎市まで行きました。

約束の時間よりかなり早めについたので鳴子温泉まで足を運んでみました。鳴子温泉は初体験になります。

行き当たりばったりで入ったのは「ホテル亀屋」さん。ホテルのあっちこっちに亀がいますよ。

立ち寄り入浴は11:30~15:00、入浴料600円。15:00ちょっと前でしたが入れていただきました。

風呂の入口に「温泉番付」が張られていて、鳴子温泉は東の横綱になったようです。

温泉評論家個人の番付ですけどね。

鳴子温泉は温泉郷で一か所ではなく温泉が広がっているようで、その温泉ごとに泉質が違うようです。

この日の男湯は「亀の子」、女湯は「鶴の子」という露天風呂が付いた風呂でした。

建物は年数がたっているようですが比較的清潔に管理されているようです。

泉質は、

ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉 低張性中性高温泉(旧泉質名:含食塩-重曹泉)

効能は、

神経痛/筋肉痛/関節痛/五十肩/運動麻痺/関節のこわばり/ うちみ/くじき/慢性消化器病/痔疾/冷え性/病後回復期/疲労回復/健康増進

中に入るとややタールのような臭いがします。

ホテル亀屋さんの温泉は、皮膚の表面の軟化させ、皮膚の脂肪や分泌物を乳化して洗い流すと言われており「美人の湯」とも言われているようです。

温泉の落ち口からは温泉がチョロチョロと流れています。源泉かけ流しで温泉の温度が高いので調整しているようです。その上にはやっぱり亀です。

天気がいいので露天風呂の方が気持ちいいですね。

俺の他にお客さんがいないので本当に静かでのんびりできていいですね!!

露天風呂に入りながらの目線で写真を撮ってみました。

目の前にはみどりの木々と青空が広がっています。

温泉の色は、色白の俺の足が赤茶色に見えます。(ちょっとサービスしてみました。)

やっぱり温泉は最高ですよね。

後は古川駅前のホテルに入って飲むだけです。