平成29年9月25日(月)
鈴懸(プラタナス)
秋の爽やかな空気の下、そろそろ樹木の緑も
色を変え、所々に木の実が見え隠れ、、
足元にもどんぐりが落ちて居ます。
鈴懸の実
大きな、手のひら程の葉っぱに 丸い実が
一杯ぶら下がっています。
足下を探すと、彼方此方に20mm程の実が
細い茎を付けたまま落ちていました。
木の名前は「プラタナス」(鈴懸)
時々吹く秋風に気持ち良さそうに揺れて、、
鈴懸の頃
私が高校1年の頃、大学の先輩に誘われ初めて
「歌声喫茶」へ連れて行って貰いました。
名古屋の伏見に在る「歌声コーラス」という店。
狭い店内には100人以上の客があふれ、一杯の
飲物(大抵はコーヒー)と小さな歌集を手に、
ピアノとアコーデオンの伴奏で司会者(ソング
リーダー)と伴に会場の全員が一緒に唄います。
私は、映画や人伝手で知っては居たものの、、
初めての経験でした。
抒情歌、童謡、ロシア民謡を始めとする世界の歌、
等々、、間に当時の流行り歌(ラジオ歌謡)を
スライドで写し、皆で大合唱です、、、。
当時は全国にも歌声運動の様な物があり、大学生
や地方から都会へ出て来た若者達が集まって来まし
た。今の様に何でもすぐに手に入る世の中と違い、
若者達が何かを求めて、ささやかに頑張っている、
そんな風に見えました。
私の知っている唄も在りましたが、 カルチャー
ショックを受け、辺りの人達や、リーダー、演奏者
を代わる代わる見ているだけでした、、、。
それでも、一度目の休憩の後、少しづつ声を出して
途中、スライドに「鈴懸の頃」と言う、聞いた事の
在るメロデイが流れ、、とても印象に残りました。
名古屋港
鈴懸の実がコロコロ、、、
鈴懸の頃
作詞:清水みのる、作曲:大野正雄、歌:フランク永井
鈴懸の頃は いつも思う
鈴懸の小路で おうた日の
やさしプリンセスの様な面影を
今日もいとしく抱いて 歩こうよ
この歌は1959年、大阪朝日放送のABCホーム
ソング」のラジオ歌謡として、その後NHKラジオ歌謡
として放送され、ヒットした様です。
鈴懸の径
鈴懸の径:鈴木章治とリズムエース
戦時中の1942年、歌手:灰田勝彦が当時としては
軽快な3拍子の軽快なリズムで唄い大ヒットした。
彼の母校、立教大学のキャンパスには「鈴懸の径」の
歌碑が在ります・
1954年クラリネット奏者の鈴木章治が彼のバンド
「リズムエース」で4拍子のジャズ風にアレンジして
演奏、、、、後に日本公演中のピーナッツ・ハコーと
共演大ヒットする、。
プラタナス・ロード
後にハコーはアメリカで「プラタナス・ロード」と
してレコーデイング、ジャズのスタンダードとなる。
今日の1句
秋風や鈴懸の実をささやかす ヤギ爺
※ささやかす ; 静かに揺り動かす
鈴懸(プラタナス)
秋の爽やかな空気の下、そろそろ樹木の緑も
色を変え、所々に木の実が見え隠れ、、
足元にもどんぐりが落ちて居ます。
鈴懸の実
大きな、手のひら程の葉っぱに 丸い実が
一杯ぶら下がっています。
足下を探すと、彼方此方に20mm程の実が
細い茎を付けたまま落ちていました。
木の名前は「プラタナス」(鈴懸)
時々吹く秋風に気持ち良さそうに揺れて、、
鈴懸の頃
私が高校1年の頃、大学の先輩に誘われ初めて
「歌声喫茶」へ連れて行って貰いました。
名古屋の伏見に在る「歌声コーラス」という店。
狭い店内には100人以上の客があふれ、一杯の
飲物(大抵はコーヒー)と小さな歌集を手に、
ピアノとアコーデオンの伴奏で司会者(ソング
リーダー)と伴に会場の全員が一緒に唄います。
私は、映画や人伝手で知っては居たものの、、
初めての経験でした。
抒情歌、童謡、ロシア民謡を始めとする世界の歌、
等々、、間に当時の流行り歌(ラジオ歌謡)を
スライドで写し、皆で大合唱です、、、。
当時は全国にも歌声運動の様な物があり、大学生
や地方から都会へ出て来た若者達が集まって来まし
た。今の様に何でもすぐに手に入る世の中と違い、
若者達が何かを求めて、ささやかに頑張っている、
そんな風に見えました。
私の知っている唄も在りましたが、 カルチャー
ショックを受け、辺りの人達や、リーダー、演奏者
を代わる代わる見ているだけでした、、、。
それでも、一度目の休憩の後、少しづつ声を出して
途中、スライドに「鈴懸の頃」と言う、聞いた事の
在るメロデイが流れ、、とても印象に残りました。
名古屋港
鈴懸の実がコロコロ、、、
鈴懸の頃
作詞:清水みのる、作曲:大野正雄、歌:フランク永井
鈴懸の頃は いつも思う
鈴懸の小路で おうた日の
やさしプリンセスの様な面影を
今日もいとしく抱いて 歩こうよ
この歌は1959年、大阪朝日放送のABCホーム
ソング」のラジオ歌謡として、その後NHKラジオ歌謡
として放送され、ヒットした様です。
鈴懸の径
鈴懸の径:鈴木章治とリズムエース
戦時中の1942年、歌手:灰田勝彦が当時としては
軽快な3拍子の軽快なリズムで唄い大ヒットした。
彼の母校、立教大学のキャンパスには「鈴懸の径」の
歌碑が在ります・
1954年クラリネット奏者の鈴木章治が彼のバンド
「リズムエース」で4拍子のジャズ風にアレンジして
演奏、、、、後に日本公演中のピーナッツ・ハコーと
共演大ヒットする、。
プラタナス・ロード
後にハコーはアメリカで「プラタナス・ロード」と
してレコーデイング、ジャズのスタンダードとなる。
今日の1句
秋風や鈴懸の実をささやかす ヤギ爺
※ささやかす ; 静かに揺り動かす
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