田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

ガンバルということについて

2016-09-16 | 日々の暮し

今日の枝豆の花(画像クリックで拡大)

 地域の数種の役員を引き受けたが、様々なことで憂鬱になることが多い。
 布団に入っても、これから先のことを次々と連想して悩んでしまう。
 そうなれば「深夜宅急便」もうわの空。

 カミサンは「考え過ぎ、適当に」というが、それでは納得できない。
 何かをやる時に最初からそんな考えで臨むのは駄目なんだよ。 
 やる以上は、徹底的にやる!
 適当にやるぐらいなら辞める!

 メンタル世界では「ガンバレ」という言葉は禁句のようだ。
 だが、「好きなように適当に」と言われたらどうだ。
 存在意義がないのと同じではないか。
 「居なくてもいいんだよ」と言われているのと同じだ。
 落ち込んでいるときでも「頑張ってや!」と言われたら、「もう少し頑張ってみよう」という気がするものではないか。

 精神科医でないので分からないが、「ガンバレ」という言葉には、素人的には応援の意味もあって禁句にすべきではないと思う。
 要はTPOだろうが、社会には「一律禁句」のような流れ方が強いような気がするが、いかがなものか。


同じく今日の百日草(画像クリックで拡大)