田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

「偉い」人は戦場に行かない

2015-08-16 | 日々の暮し

〔セミの声が減った。どこにいるでしょう(画像クリックで拡大)

 戦後70年ということで戦争特番が溢れていて、最後は疲れた。
 戦争は残酷、悲惨なものであることは誰もが知っている。
 そして、戦場に行くのは民衆であり、指導者は常に安全な所から命令を下すことも知っている。
 政府の解釈によって容認される「集団的自衛権」が行使された場合、直接の戦闘任務につくのは政治家でも高級官僚でもなく国民である。

 これはいけないと思った時に政権党や政治家を変えることのできる選挙は大切な制度である。
 「棄権も権利」だという人もいるが、せっかくの権利を放棄してはいけない。

 お盆も終わり、蝉の声も減った。
 依然と暑いが、夏がそろそろ遠ざかろうとしている。

 ちょっと寂しく思うのは歳のせいかも知れぬ。

草退治やら

2015-08-13 | 家庭菜園

〔畑用のズボンには紐をつけて区別〕

 畑作業には古くなったズボンを使用しているが、黒い紐がついている。
 見て直ぐに分かるようにとのカミサンのアイデアだが、確かに便利でいい。


〔草に埋もれたサツマイモ(画像クリックで拡大)

 昨日、サツマイモ周りの草を刈った。
 マルチを使っていないのでびっしりと生えている。
 他の野菜の周りもと思ったが暑いので止めた。


〔こんなもんでいいか(画像クリックで拡大)

 この時期、TV、新聞では「戦後70年」、「日航機墜落30年」等の重い特集が多い。
 人を殺し、殺される戦争は国家の大犯罪である!と戦争体験者が力を込めて語っていた。
 また、人の安全に関わることは念には念を入れた、病的と思われるくらいの点検が必要だ。
 そういうことは、稼働した川内原発についても言える。
 人間の知識、想定を越えることが起こるかも知れぬと恐れを持って向き合うことだ。
 慢心は事故の元である。

お盆の準備

2015-08-12 | 日々の暮し
 お盆前、カミサンは買い物リストを作っている。
 が、メモを忘れて行くことがしばしばある。
 今日も忘れおった!
 ボケたといわれる小生がカミサンもボケたと思う。
 思い出しながら買う。
 家に着いたとたん「小豆、買うの忘れた」で再度出動。


〔昔は田んぼの間を流れる小川だった〕

 ところで、当地ではお盆前日にご先祖様を迎えに線香を持って川まで行く。
 そこで線香に火をつけて家まで戻るのだが、線香の煙に乗ってご先祖様が家の仏壇に到着されるという仕組みだ。
 お迎えは、昔は子どもの役目だったが、今は子どもが減りジシババの担当となっている。

 で、昔、小生が可愛い子どもだった頃(?)、お迎えに行く川は周囲が田んぼでメダカの住む場所だった。
 それが今は、周囲に家が建ち単なる「水路」と化している。
 情緒がない。
 しかし、不満ながらもそこに佇み線香に火をつける小生は、、、。
 調和ある社会環境の変化というものはないものか。

煙草

2015-08-11 | 日々の暮し

〔販売機、灰皿、ベンチと完璧だぜよ(画像クリックで拡大)

 今日、スーパーでカミサンが買い物に手間どっているので、俺は気分転換のために彼女を離れてスーパーの正面入口に出た(いつもは裏口から入っているのだ)。
 で、その正面横に煙草の自動販売機と灰皿、ベンチという光景を目にした。
 俺はかっての「ヘビースモーカー」時代を思い出し、何ともいえぬ気分でボロボロになったベンチに腰掛けたのであった。
 あの頃なら、俺はここで足を組んで煙草を吸っていたに違いない。

 数年前、俺はタバコやめると宣言した。
 しかし、数か月は耐えきれず、コンビニに飛び込み煙草とライターを買い、隠れて吸う日が続いた。
 (俺は小心者だから禁煙実行の証として煙草とライターをカミサンに差し出すという大馬鹿をやってしまったのだ)
 しかし、天は俺に味方した(天は弱者の味方と思っている)。
 不思議なことに、「煙草吸いたい欲求」が何時頃からか無くなったのである。

 ただ、止めた今も、地域の集まりで誰かが「タバコ、吸いや」と箱を差し出したら吸う。
 続けて何本でも吸う。
 だが、その場を離れれば吸いたいとは思わない。

 病院へ行って禁煙などと大そうな話もあるが、俺の場合、無料でそうなった。
 しかも、小遣いの減るペースが減ったから家計の支出も少しは減ったはずだ。
 だが、家族の誰も褒めてくれないぞ(それで当たり前と思っておる)。

 余命を考えれば、趣味趣向を全うしなければ面白くない。
 家の中なら、もういいか、また、吸いだすかもな!
 火の始末はきちんとするぜ。

畑の草と戦った

2015-08-10 | 愛犬ハナ

〔毎年、同じ場所でコボレ種から育つヒマワリ(画像クリックで拡大)

 何やかやと用事があって菜園とはしばらく縁遠くなっていた。
 それでも、カミサンが時々、畑に花や野菜を採りに行くので現状を見にいく。
 草ボーボー。
 歩く道もないではないか。
 カミサン、隠れている「ヘビ」を踏んで卒倒する可能性もないではない。


〔トマトなど惨憺たるありさま。救出必要(画像クリックで拡大)

 で、午後、せめて道を確保すべく刈払機を持って畑へ。
 暑っ~。
 途中、冷水を持って陣中見舞いにきたカミサンが草の中の野菜を採って家に戻った。

 その後も一人ぼっちで頑張り、最低限の目標を達成。
 オレは根性があるぜぃ、偉い!
 
 家に戻ればカミサンから、「この暑い時に、アホと違うか」と言われた。
 今更、利口にはなれないので言われるがまま。
 昔、男は黙ってサッポロビール・・・・・なんてCMがありましたね。


〔草の中から採ったトマト(画像クリックで拡大)


〔同じく草を掻き分け採ったネギとゴーヤ(画像クリックで拡大)

長寿番組にしみじみとするTV守りの半日

2015-08-09 | 日々の暮し

〔長寿番組の「笑点」〕

 朝から老人クラブのボランティア作業に出動。
 帰宅してから同クラブの「お知らせチラシ」を配る。
 これで午前が終わる。

 帰宅後、長崎の原爆式典をニュースで観る。
 安倍首相、挨拶に「非核三原則」を入れたという。
 広島の時は「積極的平和」推進、安保法制実現などイケイケドンドン的姿勢が勝って、そんなことは頭になかったのかな。


〔奈良県代表の天理高校、敗戦〕

 その後、甲子園では県代表の天理高校が負けて残念。


〔序盤から戦いに突入〕

 「NHK杯囲碁トーナメント」を観る。
 今日は序盤から戦いが始まり面白かった。

 その後は「笑点」。
 これは驚異的な「長寿番組」だ。
 オッチャン、オジイチャンばかりの出演だが、やはり「噺家」の腕なのだろう。
 今風の人為的な意毒々しい笑いが薄っぺらく思える。
 視聴者はいいものは観る、捨てたもんじゃない。

 などと、TV守りの半日でした。

今日も一時、雷さま来襲

2015-08-08 | 日々の暮し

〔水に映る百日紅(画像クリックで拡大)

 夕方、激しい雷。
 雨も一時激しく降る。
 が、一時間ほどでジ・エンドとなった。
 今夜は少し寝やすくなるかも知れぬ。


〔古井戸の覆いも濡れホッと一息(画像クリックで拡大)

 明日は、長崎に原爆が投下された日だ。
 それと、、、安保法制はやっぱりイカンな。

ついに雨が!

2015-08-07 | 日々の暮し

〔夕方。南の空に雲が湧く(画像クリックで拡大)

 夕方、遠くから雷の音。
 やがて雨が降り出す。
 カラカラの畑や屋根に久しぶりの水分だ!


〔庭で雨を呼ぶカエルの親子(画像クリックで拡大)


〔降ってきた。もっと降れ!(画像クリックで拡大)

 えっ?もう止んだ?
 何だ!根性のない奴ら!
 この調子じゃ明日も暑い思いますよ。

戦争は悲劇の源

2015-08-06 | 日々の暮し

〔雲がでてきた。適度な雨が欲しい〕

 今日、広島は70回目の原爆忌を迎えた。
 そもそも戦争がなければアメリカの原爆投下もなかったはずだ。
 戦争こそが悲劇の源である。
 「核兵器なき世界」が今だに実現しないことは「世界大馬鹿事」の一つだろう。


〔夏空の下の甲子園(TV画像)〕

 同じく今日、猛暑の甲子園で第97回全国高校野球選手権大会が始まり、王貞治氏(75)が元プロ野球選手としては史上初の始球式を行った。
 「一本足打法」の現役選手時代を思い出し懐かしかった。

 試合開始を告げるサイレンの音に「夏」を再認識させられる。
 今年もTVの前に座って野球を観ることができることに感謝。
 それにしても、外は暑い。

いうのも嫌だが暑ちぃ

2015-08-03 | 日々の暮し

〔連日、エヤコンと扇風機がフル稼働〕

 地球はどうかなっちまったのか。
 何たる暑さの続くこと!
 部屋はエヤコンと扇風機がフル稼働している。
 越冬ならぬ越夏する動物が出てくるかも知れん(笑)。
 越夏する場所を教えて欲しいものだ。

 この暑い中、認知症についての講演を聴いてきた。
 昨日のことを日記に書き記すのは予防の一つとのこと。
 ならば、ブログを書くというのもそれなりの予防効果がありそうだ。
 皆さん、ネタに窮しても何とかひねり出して頑張って書き続けましょう。
 
 明日は早朝から地域行事の世話役として出動することになっている。
 朝から暑いんだろうなあ。
 救急車のお世話にならぬよう気を付けてやりますわ。


安物腕時計

2015-08-02 | 日々の暮し

〔安価な腕時計。だが、示す時刻は高級品と同じだぁ~〕

 会社生活を辞めて数年間はその当時の腕時計を使っていた。
 その後、電池が駄目になったが、近くに時計屋がなく、面倒だから時計をポイ。
 携帯の時計機能を使えばいいのであって、現に今までそうしてきた。

 しかし、地域の会議の最中、ポケットから携帯を取り出して時刻を見るというのは「早く終われ」と催促しているようで失礼なことと気付いた。
 で、ホームセンターで980円の時計を買う。
 サラリーマン時代に戻ったような気がした。

 ン万円の腕時計ではないが、示す時刻はそれと同じである。
 組織から解放されると、意識的に自分の短・中期の「時間管理」をすることが「生活の輪郭」を崩さない一手段ではなかろうか。

 たかが時計で、そんな大そうな話にこじつけるんじゃないよ!
 ごもっとも。

竹取り爺さん

2015-08-01 | 日々の暮し

〔細めの竹を貰いに行く(画像クリックで拡大)

 今年は寺の当番に当たっているところ、「施餓鬼法要」なるものが近づいている。
 何しろ、輪番制の当番だから細かいことが分からず、先人の書き残してくれたマニュアル書が頼りだ。

 竹が要ると書いてある。
 写真付きの説明書には、高さ2メートル程度で先端に笹を残した竹1本、及び竹ひごを作る竹筒とある。
 で、竹藪のある村人に電話して竹をもらいに行った。

 笹を残す竹は使うまでにはもう少し日があるので今日は「竹ひご」用のものを切る。
 枝を払い、持てる長さに切りつつ・・・暑い、、、水、、、ビールでもいい、、、冷えたスイカ、、、。


〔すぐにこれだ。不死身の奴ら(画像クリックで拡大)

 帰途、我が菜園の横を通ってショック。
 少し前に草刈りしたはずなのにジャングルではないか。
 ヘビがいても分からぬから気を付けて歩くようにとカミサンに忠告する。
 大丈夫、大丈夫と強気だが、以前、ヘビを見て大声を出していたことをしっかりと覚えているぞ。

 この猛暑、草刈はもう少し控えようと思います。