西鉄北九州線、最盛期は傍系で事実上一体となって運営されていた筑豊電鉄を含むと、総延長およそ60Km、1日50万人を輸送していた。しかしながら「西鉄北九州線」は2000年11月26日に全廃となり、現在では支線的存在であった筑豊電鉄が、総延長15Km強、1日およそ1万30000人を輸送している。総延長は最盛期の4分の1、輸送人員は僅かに3%弱となっている。
今回は、併用軌道区間の最終日、1992年10月24日に撮影した写真を紹介する。カメラ初心者の中学生の撮影ゆえ、見苦しい点も多々あろうが、四半世紀が経過すればそれも貴重な記録として、ご容赦頂ければ幸いである。
まずは小倉駅前付近の画像から。
647号。後方にモノレールの線路が見えるので、井筒屋と小倉駅前通りの間だろうか。
非冷房更新車の638.魚町電停か?
69号。井筒屋前のカーブの辺りだと思う。映り込んだ若い女性も時代を感じる。もう50代だろう。
走り去る69号。周りを走る車も時代を感じる。
同じ場所で647号。
小倉駅前電停に停車中の620号「お別れメッセージ号」。市の代表駅というのに上屋もないのが、北九州線に対する西鉄の消極姿勢を感じさせる。
今回は、併用軌道区間の最終日、1992年10月24日に撮影した写真を紹介する。カメラ初心者の中学生の撮影ゆえ、見苦しい点も多々あろうが、四半世紀が経過すればそれも貴重な記録として、ご容赦頂ければ幸いである。
まずは小倉駅前付近の画像から。
647号。後方にモノレールの線路が見えるので、井筒屋と小倉駅前通りの間だろうか。
非冷房更新車の638.魚町電停か?
69号。井筒屋前のカーブの辺りだと思う。映り込んだ若い女性も時代を感じる。もう50代だろう。
走り去る69号。周りを走る車も時代を感じる。
同じ場所で647号。
小倉駅前電停に停車中の620号「お別れメッセージ号」。市の代表駅というのに上屋もないのが、北九州線に対する西鉄の消極姿勢を感じさせる。
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