「新陳代謝」の言葉を探していたら「吐故納新 」という言葉に出会いました。
吐故納新とは
古いものを捨て、新しいものを取り入れること。
「吐故」は古いものを吐き出すこと。「納新」は新しいものを入れること。
「故ふるきを吐はきて新あたらしき納いる」と訓読する(三省堂 新明解四字熟語辞典) 。
元々調べていた「新陳代謝」は
新しいものが、古いものと交代して、入れ替わること。
生物学では、生物が外部から養分を摂取して、代わりに老廃物を排出することをいう。
注記 身体や細胞についてのことばであるが、社会的な組織や人事の若返りをさしても使われる。「陳」は、古い。「謝」は、去る・代わる(学研 四字熟語辞典 )。
注記 身体や細胞についてのことばであるが、社会的な組織や人事の若返りをさしても使われる。「陳」は、古い。「謝」は、去る・代わる(学研 四字熟語辞典 )。
今の私には「新陳代謝」より「吐故納新」の言葉の方がピンときました。
自らの力で脱皮する!
さらに向上するには
「自ら古きものを吐き出し新しいものを積極的に採り入れる」
これしかないと確信しています。
その為にも吐故納新に向けての組織内の意思統一を図り
具体的に何から手を付けるか選別し決別する(人力に頼っているものが中心)
更に新たな取り組みをスタートさせ(AI、ロボット中心)
その成果を常に検証し修正を図りつつ全体を向上させる
これを繰り返すことになります。
いつの時代でも「改革」や「変革」には異論が出ます。
「いまが幸せならいいじゃない!」精神でその場に踏み止まろうとする輩が反対ののろしを上げます。
この数十年変わらないことを選んだニッポンがこの有様です。
給料も上がらず
年金も貰えず
生活保護さえはばかられる
そんな現状を招いたのが「新陳代謝」を嫌い「吐故納新」して来なかった私たち自身のありようだったのではないでしょうか?
他人はどうあれ
周囲はどうあれ
先ずは自分が変わる
先ずは自分が矢面に立つ
そんな思いを強くするこの秋なのでした。ナンノコッチャ