私自身はそうではないからその存在すら疑っていた閉所恐怖症
先日、そんな紳士にお会いする事がありました。
とは言っても、たまたまバスで乗り合わせたのですが・・・。
そのバスは、二人乗りシートが10列ずつほどあるバスでした。
発車定刻までにまだ10分程有りましたが既に窓側の席は一杯で
次々に乗り込んでくる人たちは通路側に順に座っていきました。
そんな中、私が座ったのがその閉所恐怖症の紳士の隣です。
最初数十秒はなんでもなかったのですが
その紳士は徐々に息を荒げて行ったのです。
「ん!?どうしたんだろう?」そう思ったと同時に
「もうだめだ。申し訳ない、席を替わっていただけないですか?」と
その紳士は私に問いかけてきました。
「はい。」そう言って席を交代すると
「申し訳ない。私は狭いところがダメなんですよ。」そう言って申し訳無さそうな顔をされました。
その時は、世間話をして終わらせましたが
今になって考えてみると
私が普段何気なく受け取っている現状も
ある人にとっては耐え難い状況であったり
受け入れ難いものである事であるという事がなんとなく理解できました。
相手のことを考えることの重要さを
乗り合いバスで居合わせた紳士に教えていただいた思いです。
先日、そんな紳士にお会いする事がありました。
とは言っても、たまたまバスで乗り合わせたのですが・・・。
そのバスは、二人乗りシートが10列ずつほどあるバスでした。
発車定刻までにまだ10分程有りましたが既に窓側の席は一杯で
次々に乗り込んでくる人たちは通路側に順に座っていきました。
そんな中、私が座ったのがその閉所恐怖症の紳士の隣です。
最初数十秒はなんでもなかったのですが
その紳士は徐々に息を荒げて行ったのです。
「ん!?どうしたんだろう?」そう思ったと同時に
「もうだめだ。申し訳ない、席を替わっていただけないですか?」と
その紳士は私に問いかけてきました。
「はい。」そう言って席を交代すると
「申し訳ない。私は狭いところがダメなんですよ。」そう言って申し訳無さそうな顔をされました。
その時は、世間話をして終わらせましたが
今になって考えてみると
私が普段何気なく受け取っている現状も
ある人にとっては耐え難い状況であったり
受け入れ難いものである事であるという事がなんとなく理解できました。
相手のことを考えることの重要さを
乗り合いバスで居合わせた紳士に教えていただいた思いです。