今日と明日はリフォーム中のわが家の工事は
ひとやすみ
悲しいかなマンションの小さなうつぎ小屋の工事
は少しずつ荷物を移動させながらすすめていく
ので時間がやたらとかかる
工事、移動休日、また工事とその繰り返しで
荷物さえなければ簡単に終わるのにここまで
時間がかかってしまった
家内は移動しながらさらに荷物の点検をして
不要なものは廃棄しているが次々と懐かしい
お宝が出てきてそれを帰るたびに見せらる
今日はとくに思い出の品が入った紙箱を発見
して驚かされた
現在のマンションには34年前に引っ越して
きたがその時に持ってきた引っ越し荷物の中
にあった紙箱が今日まで開けられないままに
眠っていたようだ
その中のひとつがこれだ
これは34歳の春に志を立ててというより背
水の陣で独立した時に作成した「事業案内」
のパンフレットで当時の名刺とともに紙箱か
ら出てきた
このパンフレットには忘れられない思い出が
あるので余計になつかしくてまさにお宝だ!
当時、独立したとは名ばかりで、若かったし
簡単に仕事などあるはずがない
アルバイトしながら修行を覚悟していた時、
知り合いから
”君のことを紹介したいのでパンフレット
を作るように”と言われた
それがこれだ
一枚の用紙を三つ折りにして裏表に自己紹介
、あいさつ文、仕事の内容、推薦者の写真と
コピーを編集した簡単なものだった
作成にあたっては無名で若輩の自分を知って
もらうためには推薦人が必要だと思った
果たして推薦をしてくれる人がいるだろうか?
そこで会社時代に研修講師をお願いして以来
親しくしていた某研究所のI先生にお願いを
してみることにした
大学の先輩でもあったので引き受けてもらえ
るとばかり思ってお願いに上がったら見事に
断られた!今なら想定外ということだった
”君のことは信頼しているが、これからやる
仕事のことはわからないから遠慮したい”と
いうことだった
以後、I先生のこの言葉は人生の教訓にした
まったくその通りで返す言葉もなくて、自分
の愚かさを恥じた
その後、大学の教授になりマスコミにもよく
登場したI先生との交流は変わらず続いた
さて、推薦してくれる人がいなくて困った!
その時、会社時代につかえていた社長のひと
ことを思い出した
”私で役にたつことがあったらいつでも言っ
てきなさい”
電話をして訪ねたら、ちゃんと写真と推薦文
を書いた原稿用紙が用意してあった
「私でお役にたてるなら・・・」これも以後
自分の人生訓として大事にしている
もう1人の推薦人には関西の有名私大で長く
専務理事をされていたO先生が引き受けて下
さってなんとかパンフレットだけはできた
印刷ができてパンフレットをすすめてくれた
知り合いを訪ねた
多分、20部くらいは持って行ったと思うが
”とりあえず3部だけでも預かっておこう”
と事務的に言われて驚いた
”あんたが作れと言ったからお金かけて作成
したのになんや!”
と心の中でつぶやいたあの時の悔しさが今も
忘れられない
「人に頼るな、人のせいにするな、期待した
自分が甘かった、それより力をつけることだ」
これもその時に得た教訓だった
34歳の春、たった一枚のパンフレットから
スタートした独立ひとり歩きは今年でに72
歳の春を迎えた
社会人として再スタートの決意を書いたあの
頃が蘇ってきてしばし思い出に浸った!
あのパンフレットはまったく使わないままに
いつか処分したが一枚だけ記念?に残したの
だろうと思う
なぜ使わなかったか?
紹介者と自分とがかけ離れすぎて恥ずかしか
った、当時、かなり有名な経営者だったので
迷惑をかけてはいけないと思った
あれから今日まで二度とパンフレットは作成
したことがない
あのパンフレットと名刺に当時の自分の思い
を三行コピーにして印刷していた
これは後日、ブログで紹介したい
今日はここまで。
ひとやすみ
悲しいかなマンションの小さなうつぎ小屋の工事
は少しずつ荷物を移動させながらすすめていく
ので時間がやたらとかかる
工事、移動休日、また工事とその繰り返しで
荷物さえなければ簡単に終わるのにここまで
時間がかかってしまった
家内は移動しながらさらに荷物の点検をして
不要なものは廃棄しているが次々と懐かしい
お宝が出てきてそれを帰るたびに見せらる
今日はとくに思い出の品が入った紙箱を発見
して驚かされた
現在のマンションには34年前に引っ越して
きたがその時に持ってきた引っ越し荷物の中
にあった紙箱が今日まで開けられないままに
眠っていたようだ
その中のひとつがこれだ
これは34歳の春に志を立ててというより背
水の陣で独立した時に作成した「事業案内」
のパンフレットで当時の名刺とともに紙箱か
ら出てきた
このパンフレットには忘れられない思い出が
あるので余計になつかしくてまさにお宝だ!
当時、独立したとは名ばかりで、若かったし
簡単に仕事などあるはずがない
アルバイトしながら修行を覚悟していた時、
知り合いから
”君のことを紹介したいのでパンフレット
を作るように”と言われた
それがこれだ
一枚の用紙を三つ折りにして裏表に自己紹介
、あいさつ文、仕事の内容、推薦者の写真と
コピーを編集した簡単なものだった
作成にあたっては無名で若輩の自分を知って
もらうためには推薦人が必要だと思った
果たして推薦をしてくれる人がいるだろうか?
そこで会社時代に研修講師をお願いして以来
親しくしていた某研究所のI先生にお願いを
してみることにした
大学の先輩でもあったので引き受けてもらえ
るとばかり思ってお願いに上がったら見事に
断られた!今なら想定外ということだった
”君のことは信頼しているが、これからやる
仕事のことはわからないから遠慮したい”と
いうことだった
以後、I先生のこの言葉は人生の教訓にした
まったくその通りで返す言葉もなくて、自分
の愚かさを恥じた
その後、大学の教授になりマスコミにもよく
登場したI先生との交流は変わらず続いた
さて、推薦してくれる人がいなくて困った!
その時、会社時代につかえていた社長のひと
ことを思い出した
”私で役にたつことがあったらいつでも言っ
てきなさい”
電話をして訪ねたら、ちゃんと写真と推薦文
を書いた原稿用紙が用意してあった
「私でお役にたてるなら・・・」これも以後
自分の人生訓として大事にしている
もう1人の推薦人には関西の有名私大で長く
専務理事をされていたO先生が引き受けて下
さってなんとかパンフレットだけはできた
印刷ができてパンフレットをすすめてくれた
知り合いを訪ねた
多分、20部くらいは持って行ったと思うが
”とりあえず3部だけでも預かっておこう”
と事務的に言われて驚いた
”あんたが作れと言ったからお金かけて作成
したのになんや!”
と心の中でつぶやいたあの時の悔しさが今も
忘れられない
「人に頼るな、人のせいにするな、期待した
自分が甘かった、それより力をつけることだ」
これもその時に得た教訓だった
34歳の春、たった一枚のパンフレットから
スタートした独立ひとり歩きは今年でに72
歳の春を迎えた
社会人として再スタートの決意を書いたあの
頃が蘇ってきてしばし思い出に浸った!
あのパンフレットはまったく使わないままに
いつか処分したが一枚だけ記念?に残したの
だろうと思う
なぜ使わなかったか?
紹介者と自分とがかけ離れすぎて恥ずかしか
った、当時、かなり有名な経営者だったので
迷惑をかけてはいけないと思った
あれから今日まで二度とパンフレットは作成
したことがない
あのパンフレットと名刺に当時の自分の思い
を三行コピーにして印刷していた
これは後日、ブログで紹介したい
今日はここまで。