叔父が亡くなった。10月29日のことだったらしい。
享年75歳。
昨日(2日)の朝、既に仕事に出た後で母から携帯に電話があった。
「今日お通夜で、明日の朝10時から葬儀をするとのことで、本当の身内だけで送ってあげるので来れるなら来てやって欲しい。」
そんな内容の電話だった。
おっちゃんは母の兄で、おばあちゃんと住んでいたので、小さい頃はよく遊びに行った。
僕が学園前というか登美ヶ丘の団地に住んでいた頃は、おっちゃんとおばあちゃんは玉造に住んでいた。
遊びに行くと買い物カゴを渡されて乾物屋さんとかにお遣いに行ったものだった。名前を言って欲しい物を言うと、オバちゃんがハイハイと入れてくれてお金を払わずに大丈夫なのが不思議だったっけ。
僕の家族が転勤で団地を出る時、おっちゃんが団地の家を買い取っておばあちゃんと移り住んだ。
それが僕が小学校4年生の時だから、おっちゃんはあれから39年間をあの家で暮らした。
僕が小学校6年から中学校の頃は、長い休みになると一人で奈良に出かけて何日も世話になった。映画館にも連れて行ってもらった。いろんな所へ連れて行ってもらった。
声が大きくて、明るいおっちゃんだった。
おばあちゃんを看取り、生涯独身で過ごしたおっちゃん。
たった6人での見送りとなったが、皆が心から見送った。
子供の頃から知っているというご住職が、最後の挨拶で涙ぐんで下さった。
そんなおっちゃんだった。
おっちゃんは、49日が明けたら秋には萩が綺に咲き誇る京都のお寺に眠る。
おっちゃん、ありがとうございました。
大人になってからは、ほとんど遊びにも行かなくてごめんなさい。
安らかにお眠り下さい。
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