10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
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よっぱのときどき日記



3月11日がやってきて、あの日から1年が過ぎました。
テレビなんかを見ていても、僕が受けた被害はたいしたことなくて、被災地には住んでいるけど被災民ではないんだということを再認識したこの数日間だった。

とはいえ、自分の生きてきた約50年の中で一番へこたれそうになった1年間でもあった。





1時過ぎから書き始めて 2時40分に書き終えた。


忘れず、引きずらず、強く生きていけますように


黙祷


PS. 式典での陛下のお言葉よかったですね。1年間の被災地訪問にも頭下がりますね。

膝をついて被災した方々にお言葉をかけておられたことに賛否両論ある(「陛下にあそこまでさせてはいけない」など)ようです。だけど僕は、ああされたことでどれだけの人々が力づけられたかを考えたら、とてもよかったのではないかと思います。

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今日は盛岡に日帰りでお仕事。
仙台から約200km、普通ならノンストップで行っちゃう距離なんだけど、今日はどうにもこうにも走りきれない。

結局、2回も休憩入れて約3時間もかけて行ってしまった。



なんだか、頭(おでこからこめかみにかけて)が重いような痛いような違和感と、背中のダルさというか倦怠感というか…


一箇所現場へ行って、雪の中にゴロンと寝転がって機械の再取り付けと調整を行い。
お客さんの所へ行って、作業報告。


あと3軒のお客さんに顔出しして挨拶。

3時過ぎに高速に乗って盛岡を出た。




本当なら、水沢か北上あたりで高速を降りてあと数軒顔出しすべきところなんだろうと分かりながらも、ちょっと無理…



相変わらず自分に甘く、仙台に向かってしまう。

それでもやっぱり一気には走れず、現在2回目の休憩中。





今日から糖尿の薬が増えて、風邪の薬も変わって抗生物質も増えたりしたけどたけど、やっぱり影響あるのかなぁ…




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「証拠品還付通知書」という「わら半紙」と

「還付請書」という表紙が付いたノンカーボン6枚にわたる押収品目録の2枚目、これには「還付品目録」という表題がついている


とともに段ボール2箱分の証拠品が還ってきました。



「もういらないや!」ってものも結構あるのですが、「皮の手帳」や「名刺入れ」「名刺ファイル」などどうしても還してほしかったものもいくつかあります。



で、その川の手帳なのですが安物の紙で「証拠品番号」と「持ち主」や「発掘場所」などを書いた「のり付きのもの」が張り付けられていて丸々1年以上も経過したものですから剥がれなくって大変でした。




そりゃぁ こちらも悪いのだからなんとも言えないけど、個人の財産なのだからもう少し簡単に(きれいに)剥がれるようなものにならないのかねぇ…

結局アセトンで拭いたらあれもこれも皮の艶はなくなっちゃうし… 




やな感じ



ま、悪いのはこちらですけどね…


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