天災が発生して大きな被害が出た時、必ず誰かを責任者扱い・“悪者扱い”にする傾向がありますが、それは誤った考え方です。
天災とは、人間の能力だけでは十分に防ぎきれない現象ですから、それによって甚大な被害がもたらされたとしても、誰か特定の人や団体、政党の責任にはなり得ないからです。
【 責任を担うとすれば誰が? 】
そう言う時、必ず 誰かが、
「 どんな天災に対しても充分に備えた施設であるべき 」、
「 人命は尊いのだから 」 という理論を振りかざします。
そして、他の誰かの政策や行動を非難する根拠にするのですが、果たしてそれは“正論”と言えるのでしょうか。
今回の 「福島第一原子力発電所」は 40年前に建設された施設です。
当然、建設計画や承認期間を入れると 45年以上前から始まった企画だったでしょう。
そして、その時点から現在まで、その施設の稼働を許可し続けたのは、その期間に政権与党となった政党ではなく、日本国民自身だったのです。
少なくとも、日本は民主主義国家としての憲法を持ち、その憲法に沿って国の運営がなされています。
という事は、代議士を選ぶのは国民であり、その政策に対して評価を与えるのも国民であれば、40年間の政策が仮に間違っていたとしても、その責任を負うのは 日本国民自身であり、それが民主主義の基本なのです。
ただ、今回の 震災は天災であり、それによって引き起こされた事故は事故であり、人災ではありません。
【 今、誰の健康を一番気遣うべきか? 】
では、今の日本で一番 “健康” を気遣ってあげるべき人達は誰でしょうか?
それは、他の人と取って替わる事ができない仕事を担い、しかもその仕事の進み方で日本だけでなく世界全体に影響を与えかねない仕事を受け持っている方達の “健康” です。
福島第一原子力発電所 の過酷な現場で、自身の健康被害の危険を犠牲にしつつ、いつ終わるとも判断できない業務に精を出している “彼ら” の健康状態についての リポート が出されました。
( 4/22付け NHKニュースより 原発作業員診察した医師語る )
( 4/22付け 産経ニュースより 廊下で仮眠、食事 これが最前線だ )
今でも、決して良いとは言えない環境の中で働き続ける “彼ら” です。
私達は “彼ら”に対して注目しないまま毎日を過ごして良いのでしょうか。
私には、“彼ら”の活動に対して一向に“評価”を与えないまま、“彼ら”の存在
自体を無視したまま 机上で責任問題に熱を上げている現状に我慢できません。
自宅を失い、ご親族を失い、仕事を失い、生活に困窮されている方々が数多く
いらっしゃる事は充分に理解していますし、それに対してしっかりとした保障を国
が行なう事を支持しています。
しかし、やはり、福島第一原子力発電所で毎日奮闘し続けている “彼ら” に対しては、被災しなかった殆どの日本国民は当然の事ですが、被災された方々も含めて全日本国民が 声援 を贈るべきではないかと考えます。
日本国民だけでなく、全世界の人々が “彼ら”に心からの声援を贈る事によって、人々の意識もまとまるでしょうし、それによって 補償問題についての感情的な軋轢も和らぐとさえ思います。
天災とは、人間の能力だけでは十分に防ぎきれない現象ですから、それによって甚大な被害がもたらされたとしても、誰か特定の人や団体、政党の責任にはなり得ないからです。
【 責任を担うとすれば誰が? 】
そう言う時、必ず 誰かが、
「 どんな天災に対しても充分に備えた施設であるべき 」、
「 人命は尊いのだから 」 という理論を振りかざします。
そして、他の誰かの政策や行動を非難する根拠にするのですが、果たしてそれは“正論”と言えるのでしょうか。
今回の 「福島第一原子力発電所」は 40年前に建設された施設です。
当然、建設計画や承認期間を入れると 45年以上前から始まった企画だったでしょう。
そして、その時点から現在まで、その施設の稼働を許可し続けたのは、その期間に政権与党となった政党ではなく、日本国民自身だったのです。
少なくとも、日本は民主主義国家としての憲法を持ち、その憲法に沿って国の運営がなされています。
という事は、代議士を選ぶのは国民であり、その政策に対して評価を与えるのも国民であれば、40年間の政策が仮に間違っていたとしても、その責任を負うのは 日本国民自身であり、それが民主主義の基本なのです。
ただ、今回の 震災は天災であり、それによって引き起こされた事故は事故であり、人災ではありません。
【 今、誰の健康を一番気遣うべきか? 】
では、今の日本で一番 “健康” を気遣ってあげるべき人達は誰でしょうか?
それは、他の人と取って替わる事ができない仕事を担い、しかもその仕事の進み方で日本だけでなく世界全体に影響を与えかねない仕事を受け持っている方達の “健康” です。
福島第一原子力発電所 の過酷な現場で、自身の健康被害の危険を犠牲にしつつ、いつ終わるとも判断できない業務に精を出している “彼ら” の健康状態についての リポート が出されました。
( 4/22付け NHKニュースより 原発作業員診察した医師語る )
( 4/22付け 産経ニュースより 廊下で仮眠、食事 これが最前線だ )
今でも、決して良いとは言えない環境の中で働き続ける “彼ら” です。
私達は “彼ら”に対して注目しないまま毎日を過ごして良いのでしょうか。
私には、“彼ら”の活動に対して一向に“評価”を与えないまま、“彼ら”の存在
自体を無視したまま 机上で責任問題に熱を上げている現状に我慢できません。
自宅を失い、ご親族を失い、仕事を失い、生活に困窮されている方々が数多く
いらっしゃる事は充分に理解していますし、それに対してしっかりとした保障を国
が行なう事を支持しています。
しかし、やはり、福島第一原子力発電所で毎日奮闘し続けている “彼ら” に対しては、被災しなかった殆どの日本国民は当然の事ですが、被災された方々も含めて全日本国民が 声援 を贈るべきではないかと考えます。
日本国民だけでなく、全世界の人々が “彼ら”に心からの声援を贈る事によって、人々の意識もまとまるでしょうし、それによって 補償問題についての感情的な軋轢も和らぐとさえ思います。
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