今日(2月9日)は「肉の日」。
「に(2)く(9)」の語呂合せ。他に 毎月29日 も「肉の日」 だとか。
肉と言えば、BSE(牛海綿状脳症)の発端は牛に「肉骨粉」を餌として与えたことによるというのはよく知られている事である。 BSEがイギリスで発生して以来、牛への飼料として「肉骨粉」を与えることは禁止になったが、5年前の2001(平成13)年9・11事件の前日、日本で始めてのBSE感染牛が見つかり、大騒動となり、日本での牛肉に対する「食の安全」問題を喚起した。この問題を受け、日本では同年10月から「世界で一番厳しい検査」と言われる全頭検査を実施し成果をあげてきた。しかし、そこへ、アメリカでBSE感染牛が発症した。国内消費量の三分の一をまかなう米国産牛肉が2003(平成15)年12月より輸入禁止処分になったことで、吉野野などの牛肉チェーン店が打撃を受ける様子はメディアで大きく報道され話題になった。
その後の日米二国間での牛肉輸入再開の議論では、「食の安全」を優先し、全頭検査を主張する日本と、30ヶ月以上の牛を主な対象とした検査方法をとるアメリカと議論は平行線をたどったが、結局、日米関係維持の政治的な判断というか、アメリカからの圧力に屈したというか、検査対象牛を「20ヶ月以下」にすることで合意し、昨2005年12月から2年ぶりに米国産牛肉の輸入を再開することになった。この輸入再開に関しては、当時から消費者の「安心」が保証されるかどうかで論議を呼んだ。
その、輸入再開から、間もない今年1月20日に、BSE(牛海綿状脳症)対策で除去が義務づけられている牛の脊柱(せきちゅう)(背骨)が、成田空港で検疫手続き中の米国産牛肉から見つかり、政府は即日、再び米国産の禁輸措置(輸入停止)に踏み切った。米国の強い要請を背景に解禁を急いだ政府への批判が高まるのは当然だろう。牛丼の吉野家も輸入再開にあわせて、この2月から牛丼復活の予定だったが今回の輸入再禁止で販売を中止している。 又、BSE問題の影響で牛肉価格が高騰し、収益が悪化したとして1月27日、焼肉店「大同門」などを経営するファミリーフーズが民事再生法適用を大阪地裁に申請していると報じられた。業界へ影響も大きいだろう。 今後の輸入再開は、アメリカの牛肉処理場の安全管理や検査体制が確認できるまで安易にやってもらいたくないものである。
ここで、日本の牛肉の問題を少し考えてみたいが、わが国の畜産の歴史は浅い。
稲作文明を持った民族が牛を連れて渡来したが、それ以前の遺跡からも牛の骨が出ており、これよりかなり前から牛は入ってきていたらしい。しかし、この時代の牛は農耕、運搬、乳・肉利用、皮革、神事、いけにえなどとして幅広く利用され、血液や食用にならない部分は肥料としても用いられたと言う。 しかし、仏教伝来の影響で度々食肉禁止令が出されて牛の食肉利用は減り、特に桓武天皇(781~806)の食肉禁止令により表面的には牛肉は食べられなくなったためである。
畜産の始まりは新しい。ペルーの来航以後、外国人の居留地で牛肉需要が起こり、東京芝に屠牛所を設けて牛肉の供給が行われている。維新以降の食肉解禁と共に廃用牛を用いて牛鍋やスキ焼が一般大衆にも広まり始めて、明治6~8年頃には地方都市にも屠牛所が作られた。また明治19年には牛肉が軍隊の食糧になり、日清、日露の戦争から帰還した兵士たちにより一般の消費が著しく拡大したという。
牛肉の消費が拡大するにつれ明治20年代には外国種と在来和牛との交配が検討され始めホルスタイン等の外国種が輸入され改良和牛が育成される。大正元(1912)年から地方の実情に合わせて各県で独自の改良が奨励され、また、大正初期には乳用種と肉用種は完全に分かれる。日清、日露の両大戦により牛肉消費は著しく拡大し、第一次大戦後の好況により一層消費が拡大し、国産牛肉が不足。1917(大正6)年~1921(大正10年)にかけては青島牛肉、朝鮮牛等が大量に輸入されるようになり、1922(大正7)年からこれらに対する免税措置が講じられた。昭和初期の農村恐慌により農業経営は著しい影響を受けたが、そのような中で役肉用牛は田畑を耕す労力や、堆肥生産による金肥(金を出して買う下肥)の節約他自給的農業における価値が高く評価されて有畜農業が奨励された。その後も役肉牛頭数は増え、1939(昭和15)年には206万頭になったという。しかし、1937(昭和12)年の日華事変、1941(昭和16)年には太平洋戦争が起こるなど戦時色が強まり、この時期から飼料事情が悪化し役肉用飼育は減り始め、1944(昭和19)年には完全に行われなくなった。そして、青島牛肉の輸入も止まり、牛は軍隊の食糧として大量にされた。1945(昭和20)年の終戦から1950(昭和25)頃は、1947(昭和22)年の農地解放と自作農創設により農家の生産意欲が極めて高まった。また、1951(昭和26)年頃から統制経済から自由経済への移行が始まり、麦の統制撤廃、化学肥料の利用も増え始め、1953(昭和28)年にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)が締結され、アメリカからの輸入穀物が家畜飼料に使用されるようになり、急速に普及。同じ頃から耕運機の普及、役肉用牛から肉牛生産へ。その後も和牛ブームは続き、1957(昭和32)年には272万頭の史上最高の頭数を記録し、牛肉消費は拡大を続けた。1961(昭和36)年には適地適作、規模拡大と専業化等を柱にした農業基本法ができ、肉牛飼育経営はこれを積極的に取り入れて規模拡大と専業化を進めていった。又、1962(昭和37)年に役肉用牛関係者は、役肉用牛から日本独自の肉牛生産へとその目的が大きく転換。その後の肉牛の改良は肉質を大きく向上させてきた。昭和50年代は経済の安定成長期であり、牛肉の需要が強かったが、畜産物全体では需要の大きな伸びが期待できないとの理由で、生産調整を始め、その反動で子牛価格が高騰、暴落を繰り返し肉牛飼育経営は苦しくなった。牛肉消費面では、国産牛肉の価格が諸外国に比べ高いことが消費者やマスコミから批判の対象にされ、また、アメリカ、オーストラリアから牛肉の輸入自由化を求める要求が強まった。1982(昭和57)年には輸入牛肉の枠を大幅に拡大することでアメリカと合意する一方、国産牛肉対策として1953(昭和28)年から続いた酪農振興法を改正して酪農及び肉用牛の振興に関する法律とし、大幅な増頭を計ることとし、牛肉生産コストは3割程度下げることを目標とした。そして、1991(平成3)年から牛肉の輸入自由化がなされ今日に至っている。
私達が子どもの頃、肉は高くてなかなか食べられなかった。今では、国産の黒毛和牛なども、その後の育成者の努力で、相当安くなってはいるものの、まだまだ、米国産牛とは価格差がある。安心して食べられる国産牛肉が、もう少し安くなってくれると良いのだが・・・。
※仏教伝来と共に肉が食べられなくなり、公に肉を食べだしたのは、概ね明治以降とされているが、関西では余り食べられなかったものの、関東では、明治以前の江戸などでも食肉文化が定着していたことは、私のブログ1687(貞享2)年の今日(1月28日)、犬だけだった「生類憐愍令」を牛馬・猫・魚介類にまで拡大 した日で書いた。
(参考:
全国肉用牛振興基金協会|日本の肉牛の歴史
http://www.nbafa.or.jp/cattle/history02.html
Yahoo!ニュース - 日本のBSE対策
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/bse_measure_in_japan/
「に(2)く(9)」の語呂合せ。他に 毎月29日 も「肉の日」 だとか。
肉と言えば、BSE(牛海綿状脳症)の発端は牛に「肉骨粉」を餌として与えたことによるというのはよく知られている事である。 BSEがイギリスで発生して以来、牛への飼料として「肉骨粉」を与えることは禁止になったが、5年前の2001(平成13)年9・11事件の前日、日本で始めてのBSE感染牛が見つかり、大騒動となり、日本での牛肉に対する「食の安全」問題を喚起した。この問題を受け、日本では同年10月から「世界で一番厳しい検査」と言われる全頭検査を実施し成果をあげてきた。しかし、そこへ、アメリカでBSE感染牛が発症した。国内消費量の三分の一をまかなう米国産牛肉が2003(平成15)年12月より輸入禁止処分になったことで、吉野野などの牛肉チェーン店が打撃を受ける様子はメディアで大きく報道され話題になった。
その後の日米二国間での牛肉輸入再開の議論では、「食の安全」を優先し、全頭検査を主張する日本と、30ヶ月以上の牛を主な対象とした検査方法をとるアメリカと議論は平行線をたどったが、結局、日米関係維持の政治的な判断というか、アメリカからの圧力に屈したというか、検査対象牛を「20ヶ月以下」にすることで合意し、昨2005年12月から2年ぶりに米国産牛肉の輸入を再開することになった。この輸入再開に関しては、当時から消費者の「安心」が保証されるかどうかで論議を呼んだ。
その、輸入再開から、間もない今年1月20日に、BSE(牛海綿状脳症)対策で除去が義務づけられている牛の脊柱(せきちゅう)(背骨)が、成田空港で検疫手続き中の米国産牛肉から見つかり、政府は即日、再び米国産の禁輸措置(輸入停止)に踏み切った。米国の強い要請を背景に解禁を急いだ政府への批判が高まるのは当然だろう。牛丼の吉野家も輸入再開にあわせて、この2月から牛丼復活の予定だったが今回の輸入再禁止で販売を中止している。 又、BSE問題の影響で牛肉価格が高騰し、収益が悪化したとして1月27日、焼肉店「大同門」などを経営するファミリーフーズが民事再生法適用を大阪地裁に申請していると報じられた。業界へ影響も大きいだろう。 今後の輸入再開は、アメリカの牛肉処理場の安全管理や検査体制が確認できるまで安易にやってもらいたくないものである。
ここで、日本の牛肉の問題を少し考えてみたいが、わが国の畜産の歴史は浅い。
稲作文明を持った民族が牛を連れて渡来したが、それ以前の遺跡からも牛の骨が出ており、これよりかなり前から牛は入ってきていたらしい。しかし、この時代の牛は農耕、運搬、乳・肉利用、皮革、神事、いけにえなどとして幅広く利用され、血液や食用にならない部分は肥料としても用いられたと言う。 しかし、仏教伝来の影響で度々食肉禁止令が出されて牛の食肉利用は減り、特に桓武天皇(781~806)の食肉禁止令により表面的には牛肉は食べられなくなったためである。
畜産の始まりは新しい。ペルーの来航以後、外国人の居留地で牛肉需要が起こり、東京芝に屠牛所を設けて牛肉の供給が行われている。維新以降の食肉解禁と共に廃用牛を用いて牛鍋やスキ焼が一般大衆にも広まり始めて、明治6~8年頃には地方都市にも屠牛所が作られた。また明治19年には牛肉が軍隊の食糧になり、日清、日露の戦争から帰還した兵士たちにより一般の消費が著しく拡大したという。
牛肉の消費が拡大するにつれ明治20年代には外国種と在来和牛との交配が検討され始めホルスタイン等の外国種が輸入され改良和牛が育成される。大正元(1912)年から地方の実情に合わせて各県で独自の改良が奨励され、また、大正初期には乳用種と肉用種は完全に分かれる。日清、日露の両大戦により牛肉消費は著しく拡大し、第一次大戦後の好況により一層消費が拡大し、国産牛肉が不足。1917(大正6)年~1921(大正10年)にかけては青島牛肉、朝鮮牛等が大量に輸入されるようになり、1922(大正7)年からこれらに対する免税措置が講じられた。昭和初期の農村恐慌により農業経営は著しい影響を受けたが、そのような中で役肉用牛は田畑を耕す労力や、堆肥生産による金肥(金を出して買う下肥)の節約他自給的農業における価値が高く評価されて有畜農業が奨励された。その後も役肉牛頭数は増え、1939(昭和15)年には206万頭になったという。しかし、1937(昭和12)年の日華事変、1941(昭和16)年には太平洋戦争が起こるなど戦時色が強まり、この時期から飼料事情が悪化し役肉用飼育は減り始め、1944(昭和19)年には完全に行われなくなった。そして、青島牛肉の輸入も止まり、牛は軍隊の食糧として大量にされた。1945(昭和20)年の終戦から1950(昭和25)頃は、1947(昭和22)年の農地解放と自作農創設により農家の生産意欲が極めて高まった。また、1951(昭和26)年頃から統制経済から自由経済への移行が始まり、麦の統制撤廃、化学肥料の利用も増え始め、1953(昭和28)年にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)が締結され、アメリカからの輸入穀物が家畜飼料に使用されるようになり、急速に普及。同じ頃から耕運機の普及、役肉用牛から肉牛生産へ。その後も和牛ブームは続き、1957(昭和32)年には272万頭の史上最高の頭数を記録し、牛肉消費は拡大を続けた。1961(昭和36)年には適地適作、規模拡大と専業化等を柱にした農業基本法ができ、肉牛飼育経営はこれを積極的に取り入れて規模拡大と専業化を進めていった。又、1962(昭和37)年に役肉用牛関係者は、役肉用牛から日本独自の肉牛生産へとその目的が大きく転換。その後の肉牛の改良は肉質を大きく向上させてきた。昭和50年代は経済の安定成長期であり、牛肉の需要が強かったが、畜産物全体では需要の大きな伸びが期待できないとの理由で、生産調整を始め、その反動で子牛価格が高騰、暴落を繰り返し肉牛飼育経営は苦しくなった。牛肉消費面では、国産牛肉の価格が諸外国に比べ高いことが消費者やマスコミから批判の対象にされ、また、アメリカ、オーストラリアから牛肉の輸入自由化を求める要求が強まった。1982(昭和57)年には輸入牛肉の枠を大幅に拡大することでアメリカと合意する一方、国産牛肉対策として1953(昭和28)年から続いた酪農振興法を改正して酪農及び肉用牛の振興に関する法律とし、大幅な増頭を計ることとし、牛肉生産コストは3割程度下げることを目標とした。そして、1991(平成3)年から牛肉の輸入自由化がなされ今日に至っている。
私達が子どもの頃、肉は高くてなかなか食べられなかった。今では、国産の黒毛和牛なども、その後の育成者の努力で、相当安くなってはいるものの、まだまだ、米国産牛とは価格差がある。安心して食べられる国産牛肉が、もう少し安くなってくれると良いのだが・・・。
※仏教伝来と共に肉が食べられなくなり、公に肉を食べだしたのは、概ね明治以降とされているが、関西では余り食べられなかったものの、関東では、明治以前の江戸などでも食肉文化が定着していたことは、私のブログ1687(貞享2)年の今日(1月28日)、犬だけだった「生類憐愍令」を牛馬・猫・魚介類にまで拡大 した日で書いた。
(参考:
全国肉用牛振興基金協会|日本の肉牛の歴史
http://www.nbafa.or.jp/cattle/history02.html
Yahoo!ニュース - 日本のBSE対策
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/bse_measure_in_japan/