今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日刊新聞創刊の日

2006-02-21 | 記念日
1872(明治5)年の今日(2月21日)は、「日刊新聞創刊の日」。
日本初の日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が創刊されたことによるらしい。
『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)は、1872(明治5)年3月29日(旧暦2月21日)、條野伝平、西田伝助、落合幾次郎が、東京浅草の日報社から創刊した東京最初の日刊紙である。この年は鉄道が開通し、東京大阪間の電信も開通。さらには全国に郵便が施行されるなど、通信手段が大発展を遂げた年であり、『東京日日新聞』以外にも「郵便報知新聞」(栗本鋤雲主幹)、最初の地方紙「峡中新聞(のちの山梨日日新聞」。英国人ブラックの「日新真事誌」など全国で多くの新聞が創刊された。
明治の初期、新聞は、必ずしも日刊ではなかった。東京日日新聞というのはその名から見てもわかるように、「日刊」を打ち出した画期的なものだった。また、1875(明8)年世界初の新聞戸別配達を実施。1911(明44) 年の大阪毎日新聞との合併では、「東京日日新聞」の名を残すことを条件に経営的には「大阪毎日新聞」の傘下に入り、全国紙としての第一歩を踏み出 した。この大阪毎日新聞は1876(明9)年2月、大阪日報として創刊 。 1888(明21)年 大阪毎日新聞と改題 した会社である。 その『大阪毎日新聞』は明治初期には政治色が強かったため経営上振るわなかったが、1889年から穏和な論調に転換、広告収入の増加もあって『大阪朝日新聞』(現『朝日新聞』)と並ぶ関西の有力紙となっていた。その後、1943(昭和18)年1月1日号から『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』が題号を統一し、『毎日新聞』となり、現在に至っているが、その後の拡販競争と経営危機で遅れをとり、現在では朝日新聞、読売新聞に大きく水を開けられているようだ。
因みに、冒頭の記念日「日刊新聞創刊の日」は、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が創刊されたことによる・・・となっている(今日は何の日、毎日が記念日)が、実際には、1870(明治3)年12月(新暦では1871年1月)に創刊された「横浜毎日新聞」が日本初の日刊紙である。それまでの新聞が半紙2つ折あるいは4つ折の冊子体だったのに対し、西洋紙に始めて鉛の活字で印刷された。貿易都市・横浜の経済情報誌で関東一円に読者を獲得。以降、「東京横浜毎日新聞」「東京毎日新聞」と名を変え、1940(昭和15)年まで、存続していたが、現在の「毎日新聞」および毎日新聞社とは全く関係がない。 現在の毎日新聞社の母体となった大阪毎日新聞が東京に進出する際、まず目に付けたのがこの「東京毎日新聞」と名乗っていたものであったらしいが、営業権(のれん代)が高額であった上、かつ経営状況が最悪であったために買収を諦め、東京日日新聞と合同する道を選んだといわれている。 現在の「毎日新聞」および毎日新聞社とは全く関係がない。 現在の毎日新聞が「日本最古の日刊紙」と名乗っているのは、「東京日日新聞」が、1943(昭和18)年に現題号に変更されたことによるもの。つまり、横浜毎日新聞の発行から東京日日新聞の発行までに創刊された日刊紙は現在全て消滅しているからだそうである。
日本では、1615(元和元年)年、大坂夏の陣の報道が瓦版(読売り、辻売り絵草紙)として発刊され、その後瓦版が盛んであったようだが、幕府を批判・中傷するものが多かったため、1673(寛文13)年には出版規制例によって、規制されている。1855(安政2)年、安政大地震の瓦版が多数発行されたがこのときの「安政見聞誌」が有名で、発禁本となるが内容の風刺性よりむしろ、無届出版という統制逃れを敢えて承知で行なったことにあるらしい(作者は仮名垣魯文・二世一筆庵栄寿であったが、魯文は名前を表していなかったため、処罰を免れたという)。そして、幕末の1861(文久元)年、長崎、横浜の居留地で外人の手によって英字新聞が創刊された。これが、日本における最初の新聞である。居留地は治外法権であったため、幕府も取り締まることは出来なかった。
しかし、新聞という定期刊行物の出現は、幕府の長年とって来たジャーナリズム排除の政策転換を方向ずけられた。長崎・横浜に新聞が出現した翌年、幕府自らが翻訳新聞を次々刊行することになる。その大部分は、横浜の群小の英字新聞の翻訳であった。刊行の狙いは尊皇攘夷派に国際情報を周知させ、開国の正当性をPRすることにあったが、尊王攘夷派の脅しによって市販を中止している。
1868(慶応4)年2月から5月幕府と新政府の対立が最終局面に入る。新政府は、2月23日京都で「太政官日誌」をを創刊し、政府・官軍の上位下達のメディアとした。その翌日幕府の柳河春三(やながわしゅんさん)らが、「中外新聞」を創刊した。これが、日本人自らによる最初の新聞であった。「中外新聞」に続いた20紙余りも、その殆どは幕臣が刊行するものであった。これらは、佐幕派や幕府を心情的に支持する江戸っ子達の間でよく読まれ、特に、「中外新聞」や福地桜地(ふくちおうち)の「江湖新聞」は千部前後を江戸を中心に東日本の地域で売ったという。しかし、上野で彰義隊が官軍に討たれるに及んで、いずれの新聞も廃刊させられ、ことにラディカルな論陣を張った福地は官軍に逮捕されあやうく処刑されるところであった。
東日本の治安が解消し、新政府の全国支配が確立した1869(明治2)年3月、新聞の発行が解禁となり、翌年、最初の日刊紙「横浜毎日新聞」が創刊されたのである。この「横浜毎日新聞」をはじめ、明治初期に創刊された新聞は民間新聞であったが、大部分は、中央、地方の行政当局の支援を受けていた。東京で最初の日刊紙である『東京日日新聞』も、大蔵省が一府県につき三部づつ買い上げたそうだ。これらの政府の御用新聞は政府による支援にもかかわらず、読者の関心は高まらない。この停滞を破ったのが、明治7年の英国人ブラックによる「日新真実誌」による、民選議員設立建白書スクープであった。この建白書は、政府の有司専制を抗議した板垣退助らによって左院に提出されたものであり、政府機関の機嫌を損ねることが予想されたにかかわらず、社主のブラックが敢えて掲載したのは、上位下達のメディア化して沈滞した新聞経営の回復を図る狙いを持ってのものだった。以来、民衆も政府の発表ジャーナリズムから脱した新聞を歓迎し、購読するものが増えていった。
新聞には、「大(おお)新聞」と「小(こ)新聞」がある。「大新聞」は紙幅が広く、文語体で書かれた政論中心の新聞である。「東京日日新聞」などがこれに当たる。これに対し、「小新聞」は艶種(つやだね)、警察種、忠君種、孝行種、などを連載、センセーショナルな事件を談話体の文章でつづる、ルビ付きの新聞であり、その種の末尾に「是だから嘘は顕(あら)はれ易いものに違いありません」といった勧善懲悪的な説論をつけるのが常であった。「大新聞」には娯楽がなかったのに対し「小新聞」には言論が見られないなど双方に、欠陥はあった。
やがて、「大新聞」が衰退する中で、娯楽活動中心の「小新聞」が着実に成長していった。明治7年に東京で創刊された「読売新聞」、明治12年に大阪で創刊された「朝日新聞」が「小新聞」を代表する有力紙として成長していく。しかし、まだ、新聞には、絵も写真も入っていなかった明治7年~9年頃、新聞記事を錦絵に仕立て、絵草紙屋から出版することが流行した。これを、「錦絵新聞」という。
つまり代表的なものが『東京日日新聞』と「郵便報知新聞」で大きさは今の週刊誌2頁大、題材は殺人事件や色事、孝行美談、珍談、奇聞などが中心で今日的に言えば写真週刊誌に似ていなくもない。その最初は、1872(明治5)年に創刊された東京で最初の日刊紙『東京日日新聞』の記事をもとにした錦絵のシリーズである。本紙の題号をそのまま掲げた落合芳幾(よしいく)の絵による錦絵版『東京日々新聞』が1874(明治7)年8月頃に発刊されると、これにならうように月岡芳年が描く錦絵版『郵便報知新聞』、小林永濯が絵筆をとった『各種新聞図解』などが現れ、あいついで約40種類の錦絵新聞が東京、大阪、京都などの都市で発行された。特に、゛『東京日日新聞』を担当した画家落合芳幾(よしいく)の絵は写実的で殺伐な光景が原色で生々しく描かれ人気を博したという。
私も、一度、京都で、「錦絵新聞展」を見たが、非常に楽しい。今や、新聞によるニュースの報道は、テレビ、インターネットの速報性には太刀打ちできない。まさか、今頃、錦絵新聞でもないが、もう少し、工夫をしないと、在来の新聞のままだと、もう、大衆を満足させられなくなるのではないか・・・。
以下参考の「條 野 採 菊のぺーじ」 は、゛『東京日日新聞』創刊の條野伝平(條 野 採 菊)について詳しく書かれており、錦絵新聞も掲載されている。又、「転変地異と世紀末『安政見聞誌」も瓦版や錦絵新聞があり見て楽しいよ。
(画像は、1972年の『東京日日新聞』の創刊号の中の記事をもとに1974年に作られた落合芳幾画の新聞錦絵。朝日クロニクル・週刊20世紀より)

参考:
新聞の歴史
http://www.lian.com/TANAKA/comhosei/newspaper.htm
毎日新聞社
http://www.mainichi.co.jp/
毎日新聞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
横浜毎日新聞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
早稲田大学図書館所蔵貴重資料/東京日日新聞
http://www.wul.waseda.ac.jp/collect/b10/7017-7125.html
條 野 採 菊のぺーじ 
http://www.geocities.com/waifu_seijyu/index.html
転変地異と世紀末『安政見聞誌
http://www.city.koga.ibaraki.jp/rekihaku/kikaku99-11/4.htm
新聞錦絵
http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/www1/kanbara/tenji4/nishiki.html