今日(2月10日)は、「海の安全祈念日」。全国水産高校長協会が2003(平成15)年に制定。
2001(平成13)年、ハワイ・オアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、突然浮上してきた米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没し、教官や生徒ら乗っていた35人のうち、9人が死亡した。
えひめ丸は、突如、米原潜グリーンビルに水面から飛びあがるようにして衝突され、船上にいた者は海になげだされた。船内にいた者は脱出するまもなく船が沈み9名が死亡したが、この原潜は訓練ではなく、民間人を乗せてのデモンストレーションをしていたのであった。しかも、緊急浮上の操舵を、素人の民間人に握らせていたという。その上、原潜が救命ボートを二艘保持していながら、沿岸警備艇が到着するまで、漂う者を救助もせず、たた眺めていただけと言うのである。この事故の責任が、100%米軍側にあることは、衝突直後から明らかでであった。
2月9日の事故発生の約2時間後、米政府高官が日本の駐米大使に、ブッシュ大統領は森喜朗首相(当時)に電話で謝罪するなど素早く対応した。トーマス・フォーリー駐日米国大使は森首相および被害者家族を訪ねて直接謝罪。その後、米海軍のウィリアム・ファロン作戦部長が特使として日本に派遣され、家族、学校、および日本政府関係者らに謝罪した。そして、「グリーンビル」のスコット・ワドル艦長は20年勤務した海軍を退職もした。さらに日本側の強い求めに応じて「えひめ丸」の引き揚げに同意し、困難な作業も開始したのだった。
しかし、この事件では、事故に対して、米軍や米国政府側は、単なる米国内の事故と同様にとらえ、事故自身もさることながら、日米間での死生観の相違、日米間の安全保障上の思惑など、さまざまな問題を提起した事件ではあった。
えひめ丸は、ホノルル沖620メートルの海底に沈んでいた。日本側は船体と遺体を確認するまで捜索し、犠牲者を引き揚げ、荼毘(だび)に付し霊を慰めるところまでするのが、生者の死者に対する務めだと考える。かって、これほどの深海から、単に、遺体回収のために、「えひめ丸」クラスの船体が引き揚げられた例は皆無である。船体の引揚げと不明者捜索についても、日米間に齟齬がみられた。それでも、作業は難航したが、遺体回収の日を迎えることができたのは、米海軍の熱意があったからだろう。作業に要した費用は約6千万ドル(約72億円)にのぼったという。
この事件で、結局、事故が起きた本当の理由は何か、その事実関係は・・・?といった問題は、分らないまま、又、米海軍の責任の問題など問われないまま、うやむやに終わってしまったことは、残念である。しかし、海は死者の墓所との考え方もある異なる価値観のなかで、米海軍としては、事故に対しては、損害賠償と慰謝料で事務的に解決したかったのであろうが、あえて複雑な手間と経費をかけたのは、日米関係を重視し、日本の国民感情の高まりなり、情緒的な世論をも考慮してのものでもあっただろう。米国側は、補償の一端として5年間にわたるPTSD(心的外傷後ストレス障害)対策費の負担を決定、被害者33人への賠償金支払いもしたと聞いている。ただ、何をしてもらっても被害者の心の傷は消えないであろうが・・・。遺族等の要望を受け、愛媛県はホノルル及び宇和島で慰霊碑を建立。
(画像は事故から一年後の2002年2月9日、ワイキキの海岸からほど近いカカアコ公園で、えひめ丸慰霊碑の除幕式が行われた。外務省HPより)
参考:
「えひめ丸」衝突事故の概要(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hawaii01/ugoki.html
北米総領事便り・えひめ丸事故慰霊碑除幕式(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/hokubei/h_49.html
えひめ丸事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%B2%E3%82%81%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
原潜「グリーンビル」と漁業実習船「えひめ丸」衝突・沈没事故
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ehimemarujikenn.htm
草野研究会-えひめ丸衝突沈没事故と日米関係-
http://fdr.sfc.keio.ac.jp/klab/2002/2001_spring/greeneville.html
参考:愛媛県立宇和島水産高校
http://uwajimasuisan-h.esnet.ed.jp/
2001(平成13)年、ハワイ・オアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、突然浮上してきた米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没し、教官や生徒ら乗っていた35人のうち、9人が死亡した。
えひめ丸は、突如、米原潜グリーンビルに水面から飛びあがるようにして衝突され、船上にいた者は海になげだされた。船内にいた者は脱出するまもなく船が沈み9名が死亡したが、この原潜は訓練ではなく、民間人を乗せてのデモンストレーションをしていたのであった。しかも、緊急浮上の操舵を、素人の民間人に握らせていたという。その上、原潜が救命ボートを二艘保持していながら、沿岸警備艇が到着するまで、漂う者を救助もせず、たた眺めていただけと言うのである。この事故の責任が、100%米軍側にあることは、衝突直後から明らかでであった。
2月9日の事故発生の約2時間後、米政府高官が日本の駐米大使に、ブッシュ大統領は森喜朗首相(当時)に電話で謝罪するなど素早く対応した。トーマス・フォーリー駐日米国大使は森首相および被害者家族を訪ねて直接謝罪。その後、米海軍のウィリアム・ファロン作戦部長が特使として日本に派遣され、家族、学校、および日本政府関係者らに謝罪した。そして、「グリーンビル」のスコット・ワドル艦長は20年勤務した海軍を退職もした。さらに日本側の強い求めに応じて「えひめ丸」の引き揚げに同意し、困難な作業も開始したのだった。
しかし、この事件では、事故に対して、米軍や米国政府側は、単なる米国内の事故と同様にとらえ、事故自身もさることながら、日米間での死生観の相違、日米間の安全保障上の思惑など、さまざまな問題を提起した事件ではあった。
えひめ丸は、ホノルル沖620メートルの海底に沈んでいた。日本側は船体と遺体を確認するまで捜索し、犠牲者を引き揚げ、荼毘(だび)に付し霊を慰めるところまでするのが、生者の死者に対する務めだと考える。かって、これほどの深海から、単に、遺体回収のために、「えひめ丸」クラスの船体が引き揚げられた例は皆無である。船体の引揚げと不明者捜索についても、日米間に齟齬がみられた。それでも、作業は難航したが、遺体回収の日を迎えることができたのは、米海軍の熱意があったからだろう。作業に要した費用は約6千万ドル(約72億円)にのぼったという。
この事件で、結局、事故が起きた本当の理由は何か、その事実関係は・・・?といった問題は、分らないまま、又、米海軍の責任の問題など問われないまま、うやむやに終わってしまったことは、残念である。しかし、海は死者の墓所との考え方もある異なる価値観のなかで、米海軍としては、事故に対しては、損害賠償と慰謝料で事務的に解決したかったのであろうが、あえて複雑な手間と経費をかけたのは、日米関係を重視し、日本の国民感情の高まりなり、情緒的な世論をも考慮してのものでもあっただろう。米国側は、補償の一端として5年間にわたるPTSD(心的外傷後ストレス障害)対策費の負担を決定、被害者33人への賠償金支払いもしたと聞いている。ただ、何をしてもらっても被害者の心の傷は消えないであろうが・・・。遺族等の要望を受け、愛媛県はホノルル及び宇和島で慰霊碑を建立。
(画像は事故から一年後の2002年2月9日、ワイキキの海岸からほど近いカカアコ公園で、えひめ丸慰霊碑の除幕式が行われた。外務省HPより)
参考:
「えひめ丸」衝突事故の概要(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hawaii01/ugoki.html
北米総領事便り・えひめ丸事故慰霊碑除幕式(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/hokubei/h_49.html
えひめ丸事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%B2%E3%82%81%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
原潜「グリーンビル」と漁業実習船「えひめ丸」衝突・沈没事故
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ehimemarujikenn.htm
草野研究会-えひめ丸衝突沈没事故と日米関係-
http://fdr.sfc.keio.ac.jp/klab/2002/2001_spring/greeneville.html
参考:愛媛県立宇和島水産高校
http://uwajimasuisan-h.esnet.ed.jp/