今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

新聞をヨム日

2006-04-06 | 記念日
今日(4月6日)は、「新聞をヨム日」。日本新聞協会販売委員会が2003(平成15)年に制定。
「よ(4)む(6)」の語呂合せ。4月は転勤や入学等で住いを移す人が多いことから、「これを機会に新聞を読み始めませんか」というキャンペーンが行われる。
4月1日~4月30日を「 春の新聞週間 」、4月1日~4月30日 を「新聞閲読月間 」、10月15日~10月21日 を「新聞週間 」としている由。
昭和21(1946)年の日本新聞協会の創立に当たって制定された「新聞倫理綱領」は、社会・メディアの状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいものとして、2000(平成12)年に、現在の「新聞倫理綱領に制定された。
同綱領には、”国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。”・・・とある。全くその通りであり、この綱領を遵守していってもらいたいものである。しかし、日本の新聞が、日中戦争以降の戦争において、「言論弾圧」の名の元に、少なくとも大新聞においては、戦争批判の記事は少なく、抵抗もしなかった。むしろ、政府にとって都合の良いことを報道し、大衆を誘導してきた苦い過去を忘れないで貰いたい。また、報道陣としての主張よりも、万人の好みに合わせた商品新聞になってしまっているように思われる。
新聞は、いうまでもなく、国民一人ひとりに正確な情報を迅速かつ確実に提供することがその基本的役割である。日本の新聞の総発行部数は約5319万部。普及度は1世帯あたり1.09部、1部あたり2.38人が読んでおり、(日本新聞協会経営業務部調べ(2002年10月現在)、1世帯あたりの普及率は世界の最高水準に達しているという。
このような高い新聞の普及率は、世界に類を見ない戸別配達により、「毎日欠かさず」、「定時に」、「迅速に」、「正確に」、「全国どこでも同一紙は同一価格で」新聞が届けられていることが大きな要因になっているだろう。
しかし、最近、日本の各地で新聞販売店の統合が進んでいるようである。私の家の販売店も最近統合された。その背景には、やはり、インターネットの影響を受けて、新聞の読者数の増加に翳りが見えはじめているからだろう。すでに海外では、紙主体でニュースを届ける態勢から脱却し、インターネットでニュースを配信するスタイルへ力を入れることを余儀なくされたメディアも少なくないようである。日本でも最近は、多くの新聞社が、ニュースをインターネットで配信するサービスを提供している。そして、たとえば、朝日新聞社が提供している「アサヒ・コム」http://www.asahi.com/などでは、速報ニュースだけでなく、「今日の朝刊」というコーナーでは、新聞紙面と全く同じ情報が読めるようになっている。特集や家庭面、ラジオ・テレビ欄や連載小説は載せられていないものの、総合面、社会面、経済面、スポーツ面はカラー写真と共に見れるようになっており、社説や天声人語もそのまま読める。しかも、購読料金がかかる新聞とは異なり、すべて無料で閲覧可能。しかも、他の新聞社も同様であり、特定の新聞だけでなく、見ようと思えば、複数の記事を見ることが出来る。又、ニュースなど、新聞よりテレビでの報道の方が早い。しかも、内容によっては、いろいろコメンテーターの解説も入り、お茶の間の主婦達にとっては新聞を見るより判りやすい面もある。だから、特に、ニュースなどを新聞紙面で読む人の数がどんどん減っていくことは間違いないだろう。今までのように、単に情報を集めて伝達する、というだけでは、新聞の使命は果たせなくなってきたのではないか。
国民に広く情報を伝達する媒体としての活字メディアである新聞の特性 としては、①電波のように消えてなくならない。何度でも読めるといった「記録性」とともに、編集者は、必要に応じて紙面を割り振りして長い記事や資料も掲載できる。それをもとに、読者はよく考え、点検し、総合的で冷静な判断をすることができる。 ②どこにでも持って行けるといった「可搬性 」とともに、必要な部分だけ切り抜き、分類、整理、保存できる。私的な利用ならコピーもできる。 そして、③新聞には、「一覧性 」がある。すべての記事は編集という工程を経て、配置される。その結果、掲載される紙面(1面から最終面まで)や配置(トップか中段か、下の方の位置か)、見出しの大小、写真のあるなし、などによって、編集者の価値判断が現れる。読者は紙面を見渡して編集者の意図を知り、知りたいニュースを自分で探し出し、知りたい順に読める。 ・・・・これに、気付いていない人もいるかもしれないが、新聞を読む上では、意外に、重要なことである。人には、好みや興味のある記事があるであろう。しかし、自分の好みや興味のある記事ばかり読んでいたのでは、非常に重要な要素である大局的な判断に誤りをきたす恐れがある。社会全体としては、何が重要なことであるか、それは、紙面構成で判断する必要がある。ただ、新聞社によって、何が重要かの取り上げ方や全体的な紙面での構成の仕方に特徴がある。そこには新聞社・編集者の思想が反映されているので、そのことを知って読む必要があるであろう。私が、現役時代、ある大手流通業に銀行から派遣されている重役に聞いた話であるが、その会社で従業員が、何の新聞を読んでいるかの調査の結果、夕刊紙やスポーツ新聞などは別として、多くの人が、日経新聞を読み、その補完的に日経流通新聞を読んでいたのに驚いたといっていた。日経新聞は経済だけでなく全般の記事を掲載しているが、あくまで、経済紙であり、経済に関する記事が大きく採りあげられている。日経流通新聞はその中でも、記事は流通に関することに集中している。世の中、流通業だけで成り立っているわけではない。又、同様に経済だけで成り立っているわけでもない。しかし、そのような偏った新聞の読み方をしていると、その人の考え方も偏ってしまう。やはり、新聞も読む以上は専門紙だけでなく総合紙も読んでおかなくてはならないだろう。そして、その人は、言っていた。先にも述べた、どんなものでも人が関与する時、そこには扱う人の思想が入る。正確で公正を旨とする、新聞というメディアであろうとも必ず、そこには、少なからず、左より、右よりといった思想的なことが内在していることは承知しておくべきである。だから、特に、現役でバリバリ仕事をする人たちの場合の本当に正しい読み方は、どちらをどうと決め付けるのではなく、そのことを承知の上で、できれば、意見の違う双方の記事を読み、自分で判断するようにしなければならないだろう。
それと、前に述べた①②に関して言えば、今の新聞の紙面の大きさがそれでよいのか(欧米ではタブロイド版化している)?や、今の新聞の構成には、必要な部分だけ切り抜き、分類、整理、保存をしたい人などの利便性は考慮されているのか?といった面は本当に読者の要望にあったもとなっているかなど検討すべき課題は多いように思う。
日本新聞協会は、春の新聞週間に合わせて、シンポジウム「活字文化があぶない!-メディアの役割と責任」を、4月6日午後2時から東京・内幸町のプレスセンターホールで開催するらしい。本気で、考えないと、本当に危なくなるよ・・・。
(画像は、新聞販売店イラストより)
参考:
第8章 新聞というメディア
http://www.yomiuri.co.jp/nie/partner/20030522/step1/chapter_8/media.htm
新聞、書籍・雑誌における著作物再販制度の役割と意義
http://www.jbpa.or.jp/bunkakon-apl.htm
珈琲ブレイク
http://blog.zaq.ne.jp/rootakashi/article/50/
新聞倫理綱領
http://www.pressnet.or.jp/info/rinri/rinri.htm
新聞を読むということ
http://www.readme-press.com/interview/index.html
新聞を読む
http://www.baika.ac.jp/~lib/newspaper.html
ネットは新聞を殺すのか―変貌するマスメディア - 電子書店パピレス
http://www.papy.co.jp/act/books/1-20873/