今日(4月12日)は「世界宇宙飛行の日」。
1961(昭和36)年4月12日、世界初の有人の宇宙衛星船・ソ連のボストーク1号が打ち上げに成功した。
中央アジアにあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたボストーク1号に搭乗したユーリー・ガガーリン空軍少佐を乗せた世界最初の有人衛星宇宙船ボストーク1号は、約1時間半で地球を1周しソ連領内に着陸した。14日、ガガーリンはブヌコボ空港の到着。空港に出迎えた当時のフルシチョフ首相、そして、モスクワ市民の熱烈な歓迎を受けた。
ガガーリンは、帰還後、「暗黒の空を背景に地球は美しい青色のかさ(「ハロ」と言うらしい)をかぶっていた。それは、地平線を見るとよく分かった」と語った。この俗に言われる「地球は青かった」は当時流行語にもなった。
このときのガガーリンが感動して、「青い」といったのは、弧を描く地球を薄く覆っている大気のことであったが、ガガーリンはそれを、人類として初めて大気圏の外から見たことになる。
「ボストーク」は、「A1」といわれる大陸間弾道ミサイルであるSS-6を改良したものであり、"ボストーク" ("Восток") は「東」を意味するロシア語だそうである。
ボストークの打ち上げ計画は、1960(昭和35)年9月18日に犬ライカはじめ様々な生物を積んで無事帰還したスプートニク5号の成功を受け、同年9月に「今年12月までに人間を宇宙へ送り込む」という命令が下されたことから始まった。同年の10月には有人ロケット試験機が燃料系統のミスによって地上で爆発を起こし、作業員と技術者・研究者91人が死亡する大惨事となったという。かなり日程的には無理な計画であったようだが、12月には、間に合わなかったものの、ボストーク1号の準備は極秘裏に進められこの打ち上げ成功となった。
ガガーリンが乗ったボストーク1号は、モスクワ市郊外のロケット工場「エネルゲイア」資料室に当時のまま保存されており、ボストーク1号の耐熱シールは焼け焦げてボロボロだったという。1990年代に入って、旧ソ連の情報公開が進む中、ボストーク1号は、大気圏への再突入時、トラブルを起こし大惨事になる寸前だったことが明らかにされている。そのため、着陸の際、ガガーリンは、高度7000メートルで船外に脱出、パラシュートで降下していた。1号に続いてボストーク2号は同年8月6日、ゲルマン・チトフを乗せて打ち上げられ、宇宙空間に25時間滞在した。
このようなソ連の成功に対して、一方の米国は、宇宙j開発競争で、ソ連に負け続けであった。1957(昭和32)年、10月4日、最初の人工衛星スプートニク1号が飛んで、スプートニク・ショックをもたらした。その翌月にはライカ犬がスプートニク2号で宇宙に飛んだ。1959(昭和34)年になると、ルナー1号が地球の引力を振り切って最初の人工惑星となり、ルナ2号が月に命中、ルナ3号は地球からは見ることが出来ない月の裏側を初めて写真撮影した。すべて後手に回った米国は1959(昭和34)年に第1期の宇宙飛行士7人を選び、1961(昭和36)年には、チンパンジーを乗せたロケットを大気圏外に打ち上げ、16分の弾道飛行後に洋上回収することに成功したばかりで、次に、人間の同じ様な飛行を予定していた矢先であった。しかし、有人宇宙飛行が実現したのは、ボストーク1号より1月遅れの1961昭和36)年5月5日のことで、この日、アラン・シェパードの搭乗する宇宙船「フリーダム7」は弾道飛行を行った。飛行時間はわずかに約15分間であった。その年の5月25日ケネディ大統領は、「緊急の国家的必要」と題する特別教書を議会に送り「1960年代中に人間を月に着陸させる」と宣言した。そして、やっと、有人のマーキュリー宇宙船フレンドシップ7号で地球を3周したのが翌1962(昭和37)年2月20日のことであった。ケネディの宣言は、1969(昭和44)年7月20日、アポロ11号で実現した。その後アメリカは機体の再利用が可能な「スペースシャトル」の開発をすすめたが、一方のソ連は安価な量産型のロケットを開発しているが、結果的には現在でもロシアの使い捨てロケットの方がスペースシャトルより安価に打ち上げることができる状況のようである。
今日の「世界宇宙飛行の日」以外に、1957(昭和32)年、ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した 10月4日 を、「宇宙開発記念日」。1969(昭和44)年、アメリカが打ち上げたアポロ11号が月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った7月20日 を「月面着陸の日 」。1992(平成4)年、毛利衛さんがアメリカのスペースシャトル・エンデバーで宇宙へ飛びたった9月12日を「 宇宙の日 」として記念日にしている。
(画像は発射台に向かうガガーリン。アサヒクロニクル・週間20世紀より)
参考:
Wikipedia - 世界宇宙飛行の日
http://ja.wikipedia.org/wiki/世界宇宙飛行の日
有人宇宙飛行-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%A3%9B%E8%A1%8C
1961(昭和36)年4月12日、世界初の有人の宇宙衛星船・ソ連のボストーク1号が打ち上げに成功した。
中央アジアにあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたボストーク1号に搭乗したユーリー・ガガーリン空軍少佐を乗せた世界最初の有人衛星宇宙船ボストーク1号は、約1時間半で地球を1周しソ連領内に着陸した。14日、ガガーリンはブヌコボ空港の到着。空港に出迎えた当時のフルシチョフ首相、そして、モスクワ市民の熱烈な歓迎を受けた。
ガガーリンは、帰還後、「暗黒の空を背景に地球は美しい青色のかさ(「ハロ」と言うらしい)をかぶっていた。それは、地平線を見るとよく分かった」と語った。この俗に言われる「地球は青かった」は当時流行語にもなった。
このときのガガーリンが感動して、「青い」といったのは、弧を描く地球を薄く覆っている大気のことであったが、ガガーリンはそれを、人類として初めて大気圏の外から見たことになる。
「ボストーク」は、「A1」といわれる大陸間弾道ミサイルであるSS-6を改良したものであり、"ボストーク" ("Восток") は「東」を意味するロシア語だそうである。
ボストークの打ち上げ計画は、1960(昭和35)年9月18日に犬ライカはじめ様々な生物を積んで無事帰還したスプートニク5号の成功を受け、同年9月に「今年12月までに人間を宇宙へ送り込む」という命令が下されたことから始まった。同年の10月には有人ロケット試験機が燃料系統のミスによって地上で爆発を起こし、作業員と技術者・研究者91人が死亡する大惨事となったという。かなり日程的には無理な計画であったようだが、12月には、間に合わなかったものの、ボストーク1号の準備は極秘裏に進められこの打ち上げ成功となった。
ガガーリンが乗ったボストーク1号は、モスクワ市郊外のロケット工場「エネルゲイア」資料室に当時のまま保存されており、ボストーク1号の耐熱シールは焼け焦げてボロボロだったという。1990年代に入って、旧ソ連の情報公開が進む中、ボストーク1号は、大気圏への再突入時、トラブルを起こし大惨事になる寸前だったことが明らかにされている。そのため、着陸の際、ガガーリンは、高度7000メートルで船外に脱出、パラシュートで降下していた。1号に続いてボストーク2号は同年8月6日、ゲルマン・チトフを乗せて打ち上げられ、宇宙空間に25時間滞在した。
このようなソ連の成功に対して、一方の米国は、宇宙j開発競争で、ソ連に負け続けであった。1957(昭和32)年、10月4日、最初の人工衛星スプートニク1号が飛んで、スプートニク・ショックをもたらした。その翌月にはライカ犬がスプートニク2号で宇宙に飛んだ。1959(昭和34)年になると、ルナー1号が地球の引力を振り切って最初の人工惑星となり、ルナ2号が月に命中、ルナ3号は地球からは見ることが出来ない月の裏側を初めて写真撮影した。すべて後手に回った米国は1959(昭和34)年に第1期の宇宙飛行士7人を選び、1961(昭和36)年には、チンパンジーを乗せたロケットを大気圏外に打ち上げ、16分の弾道飛行後に洋上回収することに成功したばかりで、次に、人間の同じ様な飛行を予定していた矢先であった。しかし、有人宇宙飛行が実現したのは、ボストーク1号より1月遅れの1961昭和36)年5月5日のことで、この日、アラン・シェパードの搭乗する宇宙船「フリーダム7」は弾道飛行を行った。飛行時間はわずかに約15分間であった。その年の5月25日ケネディ大統領は、「緊急の国家的必要」と題する特別教書を議会に送り「1960年代中に人間を月に着陸させる」と宣言した。そして、やっと、有人のマーキュリー宇宙船フレンドシップ7号で地球を3周したのが翌1962(昭和37)年2月20日のことであった。ケネディの宣言は、1969(昭和44)年7月20日、アポロ11号で実現した。その後アメリカは機体の再利用が可能な「スペースシャトル」の開発をすすめたが、一方のソ連は安価な量産型のロケットを開発しているが、結果的には現在でもロシアの使い捨てロケットの方がスペースシャトルより安価に打ち上げることができる状況のようである。
今日の「世界宇宙飛行の日」以外に、1957(昭和32)年、ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した 10月4日 を、「宇宙開発記念日」。1969(昭和44)年、アメリカが打ち上げたアポロ11号が月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った7月20日 を「月面着陸の日 」。1992(平成4)年、毛利衛さんがアメリカのスペースシャトル・エンデバーで宇宙へ飛びたった9月12日を「 宇宙の日 」として記念日にしている。
(画像は発射台に向かうガガーリン。アサヒクロニクル・週間20世紀より)
参考:
Wikipedia - 世界宇宙飛行の日
http://ja.wikipedia.org/wiki/世界宇宙飛行の日
有人宇宙飛行-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%A3%9B%E8%A1%8C