今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

熟カレーの日

2007-05-19 | 記念日
5月19日「熟カレーの日」(毎月19日)
Glico「こんな記念日しっている?」を見ると、『熟(じゅく)』=19(じゅうく)をかけて、毎月19日をグリコでは『熟カレーの日』と呼んでいるそいうだ。
実際に、毎月19日前後なると、カレーが食卓に登場する機会が増えるそうで、家族みんなが大好きなカレーは、材料費も安く、調理も簡単で、給料日を前にした主婦の強い味方になっていると言われているそうだ。ひと晩寝かせたカレーは、具材からエキス(うまみ物質、甘み物質、無機質等)がカレーソースに移行し、コクが増すという。
1月22日が「カレーの日」なので、その日のブログで「カレーの日」のことを書いたので、重複するようだが、少し、違った点から書いてみよう。(以下参考の1月22日「カレーの日 」も参照ください。)
カレー (Curry) は、複数の香辛料からなるカレー粉で野菜や肉を煮込んだ料理。原型となった料理はインド及び周辺のアジア諸国を中心に作られていた味付けだが、現在は世界中で見られる調理法であるが、日本にはカレー味の煮込んだスープ(カレーソース)を白米の飯にかける料理、カレーライスがある。日本語でカレーといえばこのカレーライスを意味する場合が多い。
私の地元・兵庫県篠山市郷土料理に「牡丹鍋」がある。しかし、の肉を用いた鍋料理を「猪鍋」また「シシ鍋」などといわずに、「牡丹鍋」と呼ぶが、それは、日本では仏教の影響で長く、獣肉食が禁忌とされた時代も、山間部などでは「山鯨(やまくじら)」(肉の食感が鯨肉に似ているため)と称して細々と食べられていたが、この地方では、白い脂肪に縁どられた赤いイノシシの肉は、切り分けて皿に盛った状態が牡丹の花のようであることから「牡丹」鍋と言って食べていたようだ。明治になってそのような、長年の肉食禁忌を打破する機会となったのが、「Boys be ambitious!」の明言で有名なクラーク博士が、生徒たちの体格の貧弱さを憂えて米飯偏重の食事から、パン食・肉食への転換を提案し「生徒は米飯を食すべからず。但し、ライスカレーはその限りに非ず」として、奨励したことによるともいわれているそうだ。
インド生まれのカレー粉が18世紀末、イギリスのクロス・アンド・ブラックウエル社(C&B)で作られ、イギリスで発展し、明治の文明開化の頃、日本へ西洋料理として紹介された。西洋料理でありながら、ごはんと一緒に組み合わせて食べられることから米を主食とする日本人には馴染みやすかっただろう。牛肉食は文明開化の象徴になり、肉は滋養の素という日本人の概念に変化。簡便な肉食法としてカレーライスの基盤が出来た。以下参考の「国立国会図書館:ギャラリー:常設展示」では、暮らしを変えた新製品展をしており、その中の「製品番号:1カレーライス」で展示されている書物の中からカレーについての記載をを見ると、1860(万延元)年に、福沢諭吉が渡米した際、『華英通語』という、英語と中国語の辞書を購入し、帰国後、これに訳語と英語の発音を付して出版したが、この中に"Curry"が紹介されているという。(以下参考の国立国会図書館ホームページ「近代デジタルライブラリー」で、華英通語で検索すると全訳が見れる)。また、記録に残る限り、日本人で最初にカレーライスを食べたのは、明治期の物理学者、山川健次郎だと考えられており、1871(明治4)年、国費留学生としてアメリカへ渡る途中、船酔いと慣れない洋食による極度の体調不良の中で、飢えをしのぐために迷った挙句注文したのがカレーライスであったが、上にかかっているカレーを食べる気になれず、添えてあった杏の砂糖漬けと一緒に米飯を食べたと『川老先生六十年前外遊の思出 』で語っているそうだ。また、現存する資料の中でカレーの作り方に触れている最も古いものの一つ『西洋料理指南(下巻)』敬学堂主人著、雁金書屋(明治5年)では"西洋料理"として紹介されており、玉ネギではなく長ネギを用いるほか、「鶏、海老、鯛、蠣赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮」とあるそうだ。同じく、『西洋料理通(下巻)』、仮名垣魯文編、万笈閣 (明治5 年)もカレーの作り方に触れており、こちらには"「カリド、ウイル、ヲル、フアウル」カリーの粉にて肉或は鳥を料理するを云"と紹介されているそうで、『西洋料理指南』のカレーと比べると、現代の私たちが食べているカレーに近いものだそうである。そして、『日本料理法大全』 石井治兵衛著/石井泰次郎校/清水桂一訳補、第一出版(1965年)の原本は1898(明治31)年刊で、石井家は代々江戸幕府の料理番を務めており、石井治兵衛自身も宮内省の大膳職という日本料理の専門家で、その彼が"日本料理"としてカレーの調理法を記載しているという。
日本人初の西洋料理店は1877(明治10)年、風月堂で洋食を始め、カレーライス、カツレツ、オムレツ、ビフテキなどを8銭均一で売ったのが最初だと一般に言われており、私もそうだと思って、以前に1月22日「カレーの日 」に書いたのだが、どうも、それより、早く有ったらしい。『日本・西洋・支那三風料理滋味之饗奏』 伴源平編 赤志忠雅堂 (明治20.年)では、日本人による初の西洋料理店は、1863(文久3)年、に草野丈吉(1840-86)が長崎で開業した「自由亭」だそうで、いつ頃からかは不明だが、カレーも提供されていたという。店は繁盛し、1881(明治14)年には、大阪中之島にも新店を開業しており、本書には「難波鉄橋上ヨリ中之島公園ヲ望ム図」があり、その一角に自由亭の建物が描かれているそうだ。以下参考に記載の「長崎開港物語・第4回 西洋料理編(二)」にそのことが、かなり詳しく書かれている。
「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」学生はハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったものは自分ばかりではないんだなと悟った。(青空文庫「図書カード:三四郎著者名: 夏目 漱石
『三四郎』夏目漱石著、春陽堂(明治42年)の中にも、ある風変わりな学生が見知らぬ学生を洋食屋へ連れていき、ライスカレーを食べさせる場面があり、この頃にはすでに、ライスカレーは気安く人におごることができるほど大衆化していたことが窺える。このころ使われていたカレー粉はイギリスから輸入されていたクロス&ブラックウェル社(C&B社)のものであった。大正時代に入りたまねぎ、ジャガイモ、玉葱、人参などの具を煮込んだものにカレー粉を入れ、小麦粉を加えてとろみを出した日本式のカレーソースが誕生。この日本式カレーの処方は、軍隊食メニューに採用されるが、栄養上からも、調理の簡便性の点でも集団給食として適していることが大いに評価されたからであり、カレー普及の一布石として特筆されるという。国産のカレー粉は、山崎峯次郎が1923(大正12)年日本で初めて製造に成功、同時に「日賀志屋」を旗あげし、自ら作り上げたカレー粉の普及に乗り出したという。これが、現在のエスビー食品の前身であり、山崎峯次郎は創業者その人である。 (以下参考のS・B資料室より)
カレーの歴史を見ても、学校給食との関係は深い。日本人は平均して月3回は食べている、という統計もあるようで、今や日本人の食生活になくてはならないカレーとなっている。スパイスの効いたカレーライスは、食欲もそそるし、ある程度の栄養も備えていて、食欲をそそる食べ物であり、子供にも好き嫌いの少ない食べ物であろう。
今は両親の共働きも多く、父親が仕事で帰りが遅い上、母親にも仕事があり残業で夕食時に間に合わないことだってある。よしんば間にあっても、食事の支度に十分時間をかけられない。その上、子どもたちには塾通いがある。それで普通なら比較的みんな揃いやすい筈の夕食もそれぞれ勝手となってしまうことが多いようである。そんな時に、カレーは前もって作り置きも出来るし、ひと晩寝かせたカレーは、具材からエキスがカレーソースに移行し、コクが増すといわれているそうで、塾通いの子供たちに食べさすのには便利な食べ物かも知れない。中には、家で食べずに、夕食は塾で家から持ってきたお弁当やコンビニで買ってきたものを、室で黒板に向って一人で食べているこも多いという。そんな、「家族で揃って楽しく夕食を食べる経験が少ない」子供たちが多くなっているようである。以下参考に記載の「腸科学ブログ | 食事のとり方のポイント 3」をみると、”今子供たちの間に、過敏性腸症候群が増えてきている”という。 ”胃腸は、精神面の影響を受けやすい臓器であり、例えば悩みがあると食欲が落ちたり、ものをおいしいと感じなかったりする。それは消化液の出が悪くなっている証拠、医学的な裏付けがあってのこと。楽しい食卓でおいしくものを食べるということが、身体にもいいこと。”だというが、そのとおりであろう。塾通いの子供に、何を食べさせるかなどではなく、『食事を楽しい雰囲気でとる』にはどうしたらよいかを真剣に考える時代に来ているのだろうと私は思うが・・・この「楽しい食卓作り」が、現代社会では、難しいようだね~。いくら、子供がカレーが好きだからと言っても、一人ぽっちで喰べるカレーは余り美味しく感じないだろうからね~。それも、月に3回程度なら良いが、しょっちゅう、カレーばかりではね~。
(画像は1月22日「カレーの日 」のものを使う。)
Glico「こんな記念日しっている?」
http://www.glico.co.jp/info/kinenbi/index.htm
カレー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC
1月22日「カレーの日」カレーの日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/6ba91f6617eb091258617f813e9f641c
篠山市 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%B1%B1%E5%B8%82
S・B資料室
http://www.sbsoken.com/siryo/index.html
カレー資料館(ハウス食品)
http://housefoods.jp/data/curry/index.html
かれえ~伯爵
http://contest2004.thinkquest.jp/tqj2004/70145/top4.html
goo カレー特集
http://special.goo.ne.jp/curry/about/index.html
国立国会図書館:ギャラリー:常設展示/暮らしを変えた新製品/製品番号:1カレーライス
http://warp.ndl.go.jp/cgi-bin/netwp/BNWPLinkChk2.cgi?fl=www.ndl.go.jp%2Fjp%2Fgallery%2Fpermanent&mt=000000000280&cl=00000000000017750&ln=jousetsu129.html
長崎開港物語・第4回 西洋料理編(二)
http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/bunka4.html
図書カード:三四郎著者名: 夏目 漱石 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card794.html
山川健次郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%81%A5%E6%AC%A1%E9%83%8E
福澤諭吉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89
腸科学ブログ | 食事のとり方のポイント 3
http://blog.yakult.co.jp/cho/archives/2007/04/post_44.html
Nakanoshima-Style.com <中之島今昔物語 -明治の中之島->
http://www.nakanoshima-style.com/story/story3.htm
洋食欧米食と和食との融合 館内展示パネル キッコーマン国際食文化研究
http://kiifc.kikkoman.co.jp/tenji/tenji10/youshoku02.html