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グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) の忌日

2010-04-03 | 人物
04月03日グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) の忌日
今日・4月3日は、グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) の1991年の忌日である。
イギリス映画は、第二次大戦後に黄金期を迎えた。その中心的存在が2人の監督キャロル・リードデビッド・リーンである。特に光と影を巧みに用いたリードの「第三の男」(白黒映画)は一世を風靡した。また、リーンはメロドラマの秀作「逢引き」を発表、以後、「旅情」「アラビアのロレンス」などのヒット作を制作した。イギリス映画のことはイギリスの映画-Wikipediaを、両監督の映画は、以下参考の※: 「[ ONTV MOVIE ]キャロル・リード - 監督作品リスト」「デビッド・リーン- 監督作品リスト」を見られると良い。
イギリス映画界の名匠キャロル・リード監督による映画「第三の男」の原作・脚本を書いたのが、戦後イギリス文壇で代表的な位置に立つカソリック作家グレアム・グリーンである。この映画「第三の男」は、オーストリアの民俗楽器、チターが奏でるテーマ音楽と相まって20世紀屈指の古典的名作として現在でもよく知られている作品であり、私も非常に印象に残っている映画なので書いてみる気になったが、グレアム・グリーン個人のことは、良く知らないので経歴のことなどは、Wikipediaのここや以下参考の※:「グレアム・グリーン(Graham Greene)」など参考にしてください。
映画「第三の男」がロンドンで封切られたのは、1949(昭和24)年9月のこと。日本公開は3年後の1952(昭和27)年のことである。
映画の主人公ホリー・マーチンスを演じるのは、ジョゼフ・コットンであるが、この映画では、やはり第二次世界大戦直後のウイーンの光と闇に出没する謎の男「第三の男」を演じたオーソン・ウェルズの名演技、存在感がなければ作品の魅力は半減していたといっても過言ではない。
映画は、世間知らずで陽気な米国人小説家、ホリー・マーチンスが旧友のハリー・ライム(オーソン・ウエルズ)の家を訪ねてくる。この男は、戦勝国アメリカの陽性を象徴する人物だろう。しかし彼は到着早々に門衛からホリーが交通事故で死んだことを知らされ、たちまちにウィーンという根っから陰性の支配する街に巻き込まれていくことになるハリーの葬儀に出席したホリーは、イギリス占領軍の少佐(トレバー・ハワード)から“ハリーは水で薄めたペニシリンを横流しする闇取引の黒幕だった。”と意外な情報がもたらされる。しかも多数の犠牲者を出していた。親友のハリーが悪人であるなど信じられないホリーは、ハリーの生前の恋人アンナへの関心も手伝ってアンナをはじめハリーの奇妙な死についての真相究明を決意するが・・・。関係者の話を聞くうちに事故にあったハリーを運んだのは二人だったという証言と、その他にもうひとり、死体を運んだ“第三の男”がいたという証言を門衛から得た。ホリーは、どこかおかしいと感じ始める…。第三の男とは誰なのか?二人は判明するがどうしても“第三の男”が判明しないまま、ホリーは何者かに脅かされはじめ、“第三の男”の証言者である門衛も殺されてしまった。一方、アンナは偽の旅券を所持する嫌疑でソ連MPに粒致されることになり、それとも知らずにアンナのアパートからの帰り道、街の物蔭に不審な人影を発見する・・・闇から浮かび上がった顔はなんとハリーであった。このときの不気味に、ニヤリとした表情は、オーソン・ウェルズならではの演技である。光と影の使い方の最たるものが、このオーソン・ウェルズの登場場面といえるかもしれない。ホリーは追った。しかしハリーは忽然と消えてしまう。いったいハリーはどこへ消えたのか?圧巻は、地下下水道での追跡劇、また、ラストの枯れ木の並木道での別れなど映画史に残る名シーンが続く。アントン・カラスのチター演奏によるテーマー曲「第三の男テーマ曲(ハリーライムのテーマ)」大ヒットした。
映画の舞台となったのはオーストリアの首都ウィーンである。
オーストリアは、ドイツの南方、中部ヨーロッパの内陸に位置し、650年間現在のスイス領内に発祥したドイツ系貴族の家系ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアとならぶ欧州五大国(列強)の一角を占めていた。ハプスブルク家のもとで帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えて、17世紀末からは旧市街の王宮ホーフブルクに加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外(現在は市内)に造営され、これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となった。1918年、第一次世界大戦は、ドイツ帝国・オーストリア帝国の敗北をもって終了。1867年より続いたハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ポーランドなどが次々と独立、この時点で多民族国家だった旧帝国のうち、支配民族のドイツ人地域に版図(国の領土)が絞られ、新しい共和国の首都となったウィーンは経済的困窮に追い込まれ、社会主義系の市政が発足し、保守的な地方の農村部からは「赤いウィーン」と呼ばれて、両派の政治的確執は国政全体の不安定へとつながった。このような時代をウィーンで過ごしたアドルフ・ヒトラーが、やがてドイツの独裁者となり、1938(昭和13)年には、ドイツ系民族統合を主張して、母国オーストリアを、ナチス・ドイツ併合したことからウィーンは約700年ぶりに首都でなくなってしまう。ヒトラー体制の下、オーストリアはその後第二次世界大戦に駆り立てられたが、1945(昭和20)年ドイツの敗北により戦争は終結するが、1945年から1955年の間、オーストリアはドイツ同様に、連合国の列強4ヶ国(米英仏ソ)によって分割占領下に置かれ、独立国家としての地位を取り戻すことができなかった。
大戦末期、歴史あるウィーンも連合軍の空爆により国立オペラ劇場も炎上するなど大きな被害を受け、かつてのウィーンの面影はすっかりなくなっていた。そして、そんな夜陰の都市の治安を4カ国の兵士が交代で警戒していた。1948(昭和23)年2月、グレアム・グリーンは映画の脚本を描くため、又、同年6月にキャロル・リード監督と共にウイーンを再訪した時には、そんなウイーンの姿を目の当たりにしていたことだろう。この映画は、そのような時代のウイーンを舞台に製作された。
カメラは爆撃による廃墟が至る所に残る街並みを、特徴のある光と影を効果的に用いた映像で映し出す。又、しばしば登場させる斜めのアングルは、独得のドイツ表現主義の影響を窺わせ、戦争の影を背負った人々の姿を巧みに描いている。(“ドイツ表現主義”については、以下参考の※:「「第三の男」が映し出したウィーン【PDF】」や※:「ドイツ表現主義を楽しもう」を参照)
この映画の見せ場の一つに、戦火で廃墟となった遊園地(プラーター公園)の中に奇跡的にポツンと残った大観覧車のゴンドラの中で、かつての親友同士・・・アメリカから会いに来たホリーと、戦後の生活苦のためか、悪の世界に入り警察の目を避けて会わねばならなくなった親友ハリー・・・の再会場面がある。観覧車の中で、ハリーが親友のホリーに水で薄めたペニシリンの闇販売を責められたあと、観覧車を降りながら言った次の台詞が有名である。
「イタリアではボルジア家の統治下にあった30年間に、戦争やテロや殺人や殺し合いが起こっていたがミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチルネッサンスを生んだが、スイスの500年の同胞愛、そして、デモクラシー(民主主義)と平和はいったい何をもたらした? 鳩時計だけさ」。
この映画の脚本は、グリーンが執筆し、同名の小説も書いているが、小説の方は映画の公開後に出版されたものだそうであるが、グリーンが執筆した脚本の草稿にはこの名台詞は、存在せず、ハリー・ライム役を演じたオーソン・ウェルズの提案によるものだそうだ。
圧制のあったイタリアでさえもルネッサンスを生んでいるのに、国境を接している隣国で永世中立国を主張するスイスは友愛や、民主主義。平和を唱えていても戦後困っているオーストリアに何をしてくれたのだとの強烈な皮肉を込めた台詞であるが、鳩時計はスイスが原産であるとされているが、実はドイツのシュバルツバルトで発明されたものであり、これは、誤認であろう。
第一次世界大戦後スイスと同じ共和国としてあったオーストリアはドイツに併合され、否応なく第二次世界大戦に組み込まれてしまった。ウィーンが、如何に長い歴史の中で育まれた伝統ある街であったとしても、第二次世界大戦でドイツが敗戦後、ドイツと同じように、列強4ヶ国に分割された、首都ウィーンは、瓦礫とギャングであふれていた。そのような混沌とした状況の中で生きていかざるを得ない人間にとって、きれい事など言っていられない。犯した犯罪もただ生きるためのギリギリの手段なのだと彼は言いたいのだ。敗戦後の闇市を蔭のように生きるハリーの姿は、そのまま廃墟と化し地下下水道のほかはなにもなくなってしまった当時の暗黒街ウィーンとだぶらしている。そのような闇の中の蔭の男をアメリカの名優オーソン・ウェルズに演じさせたことがこの映画の成功の一因でもあったといえる。
見せ場である下水道地下での銃撃戦、追いつめられたハリーはついに、親友・ホリーの一弾に倒れる。ハリーの埋葬が行われた日、ホリーは墓地でアンナを待つ。
アントン・カラスのチターの音色が響くなか、並木道をこちらに向かってまっすぐに歩いてくるアンナ。彼女の目は正面を見据えたまま、彼の前を無言で歩み去って行った。
カットなしで撮影されたというこのラストシーンは映画史に残る名場面として有名であるが、このシーンは当初の予定にはなかったもので、グリーンが最初に書いた脚本では通俗的なハッピーエンドとなるはずであったそうだが、グリーンの原案に反対し、このような形に変更させたのはプロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックであったという。
グリーンが執筆した台本と実際に劇場公開された映画では登場人物の名前や国籍などの設定が異なる点があるという。例えば主人公の大衆作家ホリーはイギリス人から、アメリカ人へ、ハリーの恋人であったアンナ・シュミットもハンガリー人からチェコ人に変更されたという。
ハリーの死はイギリス管理地区で起きたことから、陽気なアメリカ人のホリーと行動をともにすることになるイギリスのMPキャロウェー少佐(トレヴァー・ハワード)。一方で、同じ建物に本拠を構えるソ連の陣営はハリーの死には興味なく、もっぱらアンナの旅券偽造を暴き(実際の偽造はハリー)、彼女を本国であるチェコスロバキアに強制送還させることに躍起なる様子を描き、東西冷戦下にあって、同じ占領軍であっても、その思惑が複雑に錯綜していたことを窺わせている。
当時の東欧における共産化を決定付けるとともに、西側諸国に冷戦の冷徹な現実を突きつけたのが、1948年2月のチェコスロバキア政変であった。
1949年4月、アメリカ・イギリスなど西側12カ国はソ連の脅威に対して、北大西洋条約機構(NATO)を結成。枢軸の中心であったドイツとオーストリアは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連が4分割して占領統治していたが占領行政の方式や賠償問題などでソ連と米英仏の対立が深まり、同年、西側占領地域はドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連占領地域にはドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立する。その後、NATOの結成に対抗し東側も軍事面での結束を強め、1955年5月にソ連・ポーランド・東ドイツ・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアの8カ国は、東欧8カ国友好協力相互援助条約(ワルシャワ条約)に調印し、軍事同盟を結成した。この年、オーストリアは、東西陣営の不緩衝地帯として永世中立の連邦共和制国家として独立を果たしている。
以下では「第三の男」の観光コースが入っており下水道も見られる。
YouTube-オーストリア旅行記Part3 (Part1, Part2もあり)
http://www.youtube.com/watch?v=rNYvH3BnCDM&feature=related
又、以下では、映画以上にヒットした名曲「第三の男テーマ曲(ハリーライムのテーマ)」が聞ける。
YouTube-第三の男
http://www.youtube.com/watch?v=1BzKdQqLfWo
(画像は、1904年英国映画「第三の男」ポスター。アサヒクロニクル週間20世紀「映画の100年」より)

 グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) の忌日:参考

グレアム・グリーン (英:小説家『第三の男』) の忌日:参考

2010-04-03 | 人物
参考:
※:グレアム・グリーン(Graham Greene)
http://www.aga-search.com/488grahamgreene.html
※:「第三の男」が映し出したウィーン【PDF】
http://www8.ocn.ne.jp/~lilie/lekture.pdf#search='ドイツ表現主義 第三の男'
※:ドイツ表現主義を楽しもう
http://angeleyes.dee.cc/german_expressionism/german_expressionism.html
ボルジア家の毒薬
http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4_f.html
松岡正剛の千夜千冊『第三の男』グレアム・グリーン
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0844.html
20世紀映画劇場
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/20th-film.htm
スイス盟約者団から現在のスイス軍までの歩み
http://www.justmystage.com/home/underswiss/chronological1.html
YouTube-オーストリア旅行記Part3 (ここに第三の男の観光コースが入っており下水道も見られる。Part1, Part2もあり)
http://www.youtube.com/watch?v=rNYvH3BnCDM&feature=related
第三の男-MIDI
http://www.asahi-net.or.jp/~UD3T-KRYM/902-jasrac/dai3nootoko.htm
第三の男 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%81%AE%E7%94%B7
※: [ ONTV MOVIE ]キャロル・リード - 監督作品リスト
http://movie.ontvjapan.com/MovieSearch/person.php?person_nid=8612&target=director
※:[ ONTV MOVIE ]デビッド・リーン- 監督作品リスト
http://movie.ontvjapan.com/MovieSearch/person.php?person_nid=1076&target=director

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