日本記念日協会の今日・4月15日の記念日に、「象供養の日』があった。
記念日の由来は“象牙を扱う業界の団体・東京象牙美術工芸協同組合が制定。1926(大正15)年4月15日、はじめて象供養が行なわれた。”そうだ。
広辞苑によると「象」の古称は「きさ」で、『日本書記』の天智紀には「象牙(きさきの)」とあり、古くは、木目模様のようなものを「きさ」と言ったようで、象牙にある木目模様から、象のことも「きさ」と言ったようである。『和名抄』には、「象、岐佐、獣名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。」とある(以下参考の※:「大和の地名(3)喜佐谷」参照)。因みに、象牙製品を判別する方法も、表面に象牙特有の「縞目」があるかどうかで判断するのが一番有効な判別方法だという。人口の模造品ではこれがない。
象牙とは、アフリカ象やインド象の上顎にある一対の切歯(門歯)のことである。外見上、牙の様に見えるので通常は”象牙”と呼ばれているが、多くの哺乳類の「牙」と称される長く尖った歯は犬歯が発達したものであり、食物を捕らえ、切り裂くための歯であるが、ゾウの牙は上顎切歯が変化したものである点が異なる。外に出ていて目で見える部分は全体の3分の2程で、残り3分の1は頭蓋骨の中に入っている。
象牙は、材質が美しく加工も容易であるため、世界各国で古来より工芸品の素材として珍重されてきた。
日本の場合、古くは、奈良時代(8世紀)に、正倉院の御物(ぎょぶつ)となっている工芸品の素材として用いられており、当時より珊瑚(サンゴ)や鼈甲(ベツコウ)に並んで珍重されてきたことがうかがえる。
日本でも、その技法を学び、安土桃山時代には、茶道具などに多く用いられるようになるが、江戸時代には象牙工芸は高度な発展を見せ、根付・印寵・櫛・簪などが日常の生活用品として一般化し、武家や豊かな庶民にも愛用されるようになり、特に根付や印寵などにその優品が見られる。又、朱肉の馴染みもきわめてよく、高級感もあるために印鑑が契約や公式書類では欠かせない日本においては、戦後の高度成長期にはサラリーマンが増え、高額商品の分割払い(ローン)購入が普及することで、象牙製の印鑑を実印とするための需要が飛躍的に伸びて輸入された象牙消費の9割が印鑑に加工される時代があったが、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約。CITES)締結までは一番の輸入大国であった。
東京象牙美術工芸協同組合のHPによると、象牙の最高品質のものは、アフリカ象のもので、インド象の方は白が濃く、軟らかいといわれているようだ。
したがって、象牙産業にかかわって現代を生きる同協同組合の者にとっては、「こうした過去からの財産を将来の世代に受け渡していく責務をもっており、象牙を使った生業を続けていくには、象牙を作り出すゾウが将来にわたり絶滅することなく、生き長らえていくことが不可欠であり、同協同組合(象牙業界)は、1985(昭和60)年にいち早くワシントン条約のもとでの象牙輸出割当て制度を支持し、この制度に協力してきたが、その協力も空しく、1989(平成元)年のワシントン条約会議で象牙の国際取引が禁止された。その後、1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された。同協同組合は、ゾウの絶滅には断固、反対する。ゾウが絶滅すれば、伝統工芸も消滅する。同協同組合は、原産国のアフリカ諸国と協力しながら、ゾウを守り、日本の伝統工芸を守っていきたいと思う。」・・・とあった。これは、立派な心がけである。
しかし、今年・2010(平成22)年3月にカタールの首都・ドーハで開催されたワシントン条約締約国会議の第1委員会は22日、アフリカゾウの象牙の在庫を一回限り輸出を認めるよう求めたタンザニアとザンビアの提案を否決した。提案が可決されれば、国内の違法取引監視体制が整っていると認められている日本と中国向けに限って輸出される見通しだったが、かなわなかったようだ(詳しくは、以下参考の「※:象牙:輸出案否決 規制強化取り下げ ワシントン条約会議」参照)。
どの程度かは知らないが、アフリカゾウが密猟などにより激減しているらしいことは噂で聞いている。この会議で、タンザニアとザンビアは自国に生息するゾウについて、ワシントン条約の規制を緩和するよう提言しており、一方でボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエは、一回限りで象牙を売却したいと考えているらしい。しかし、これらの国々は、共にアフリカゾウ連合(African Elephant Coalition)を組む他の23のアフリカ諸国から激しく反発を受けているようだ。そんな中で、アフリカゾウ連合は、EU(欧州連合)に対して象牙取引の停止を支持するよう強く求めているが、「もしヨーロッパ側がゾウへの支援に力を貸してくれるならば、アフリカゾウ連合に加盟する全23カ国がクロマグロに関して“ヨーロッパの目的を支持する」構えであるとスーダン政府の役人の1人が述べており、アフリカゾウ問題への支援の見返りに、クロマグロ取引禁止についてのEUの支援として27の加盟国の内23カ国が味方につくことになることにもなるのだという。このようなワシントン条約(CITES)などの科学的に、どう、動物を保護しようかといった会議においても、それぞれの国が、それぞれの国の利益や歴史感、思惑を考えながら、交渉を続けているようであり、何処までが、真に、動物そのもののことや、その動物と共存している人達のことを考えて発言や行動をしているのかは、疑わしい。・・ようなのだが、それが、哀しい現実なのかも知れない。(以下参考の※:「野生生物保全論研究会【JWCS】」の”ワイルドライフ ニュース・アフリカゾウ“を参照)。
ただ、1989(平成元)年、象牙の国際取引が禁止された後、ジンバブウエ、ボツワナ・ナミビアの国々によって自国の象の群れが増えたので、輸出できるとの主張があり日本もこれを支持。南部アの3国(日本も)の国内の規制制度を強化することなどを条件に、象牙取引再会の実験が行われ、一部に取引を再開する活動が許可され、少量の象牙が日本へ実験的に輸出されたようだが、それが、東京象牙美術工芸協同組合のHPに書かれている「1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された」と言うことなのだろう。
この実験的輸出再開の結果どうなったか?・・について、以下参考の※:「環境と国際関係・アフリカ象の象牙取引とワシントン条約」では、以下のようなことが書かれている。
◆再会の結果
○モニタリング・システムは充分ではなかった。○アフリカ全体の象が生息する国々では密猟率が高くなった。 ○世界中の税関で押収された密輸品の象牙の量は増えていった。 ○外国の外交官が象の密輸にかかわった(北朝鮮)○ジンバブエの政府はCITESをだました。
◆日本での再会実験の結果
○日本では象牙の市場が刺激された。 政府は印章業を規制する制度を発行したが印章を作るため以外の象牙は規制されていなかった。○印章業の店を規制する制度は充分ではなかった。○日本では印章の店は45,000以上。毎週通産省の監督官は5、6店を観察した。 ○通産省は印章業界への援助金を配った。○環境庁と通産省は密輸された象牙を見分けるために象牙認定シールを作ったが、この象マークの混乱があった。
◆混乱の理由には、
○ 印章業者に充分に通達されなかった。あるいは通達されても無視された。 ○全日本印章業組合連合会は加盟店のために「象牙マーク」シールを発行した。○連合会のシールは政府認定シールに酷似していた。○連合会のシールは合法的象牙の使用を認定するはずだが、実は全然意味を持っていなかった。
このようなことから、 COP11(第11回生物多様性条約締約国会議の略称)は、2000(平成12)年、象牙取引を全体的に禁じる状態になっていたのだという。その実態が真実どうなのかなど私などが知る由もないが、今回のドーハでの会議では、ゾウだけでなく、サメ、クロマグロ、ホッキョクグマなどが重要議題として取り上げられたようだが、ここに書かれているようなことがもし、実際に先の実験的取引であったのだとしたなら、なかなか、取引再開を申請してもEUなど認めようとしない国が多く出てもやむを得ない気もするが・・・。
しかし、今では、保護により増え始めたゾウとその地域の住人達との間で、いろいろ困った問題もではじめているようだ。冒頭に掲載の画像は、向かって左は、ケニア南部ツァボ国立公園で、木の葉をむしり取るように食べるアフリカゾウ、右は、牙で穴を掘るアフリカゾウである。(アバデア国立公園。朝日新聞2010年3月23日夕刊より)朝日新聞紙面によると、同地を抜けるとすり鉢状にひび割れた赤茶色の大地が広がっているが所々にマンホール大の穴が掘られており、深さは1メートルを超え、それは、ゾウが掘ったものだそうだ。右画像を見ても分るようにこの写真は、乾季あたる今年2月のものであるが、雨季には4メートルの高さまで水が溜まり、干上がった乾季でも地下水は残り、アフリカゾウや水牛のほか人にも貴重な水場だそうだが、これらの水場に井戸を作って木で囲っていても、ゾウに見つかり、井戸や水道管が破壊されてしまうそうだ。ゾウは匂いで水道管を探し当て、牙で地面を堀り、金属製の管を突き水道の水を飲んでしまうようだ。野生動物を保護し、地元住民と共存してゆく難しさは、日本でも、猿や鹿の保護地区で住民と動物の間でいろいろとトラブルが発生しているのを見ても理解できるが、それが、アフリカゾウのような巨大な生物だと、なおさら大変だろう。
「ゾウ」は漢字「象」の音読みであるが、他に「しょう」があり、訓読みは「かたち、かたどる」である。「象」の字は、古代中国にも棲息していたゾウの姿をそのままかたどった象形文字であり、今の象の漢字を見ると一見「ゾウ」を正面から見たような字形に見えるが、実際には、ほぼ真上に頭が、真下にしっぽがくる姿を横から見た形が、古代文字である甲骨文字にあり、それが起源となっているようある。以下参考の※:>「甲骨文」参照。これを見ると「馬」と「象」は見ただけでそれと判るかなりわかりやすい象形文字であり、「象」は最も目立つ大きい形をしているところから、〈形、姿〉という意味にもなったが、その辺の事情は「像」を考えるとわかりやすい。「像」は「人」+「象」で出来た会意文字であると共に「像」は「様」と通じる音を持つ形声文字であり、この漢字では、動物の象を離れて広く〈姿、形、有様〉を意味するようになっている。又、この「象」を含んでいる文字に、日ごろ気付かずに使っている漢字に「為(い)」がある。「為」は、「爪(=手)」+「象」の会意文字で、象を手なずけることを表している。現在使っている「象」と「為」の漢字を見ていると、余り似ているとはいえないが、以下参考の※:「漢字物語 (45)「象」長江北岸に生息していた」を見れば分るように、「為」の古代文字の象の鼻の先に少し曲がった「十」みたいな字形(人間の手)を加え、使役している姿を文字にしたのが「為」であり、このような漢字の型からも、3千年以上前の殷の時代には、既に人間が象を使役していたことが分る。
ところで、ワシントン条約(CITES)で、はじめて、“許可書・証明書の標準化、象牙の取引決議 “などがされたのは、1981(昭和56)年、インドでの第3回の時のようであるが、今日の記念日を制定した東京象牙美術工芸協同組合は、それよりも50年以上早い、1926(大正15)年の4月15日に、はじめて象供養を行なったというのだが、何々供養と言うのは日本では古くある行事であるものの、何故この年、そして、この日に象供養を始めたのかなどについては、よく分らないので、いろいろ調べていると、今日の象供養とは直接関係ないが、1926(大正15)年という年に象に関わるものが1つあった。
それは、宮沢賢治の短編童話である『オツベルと象』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照)が、詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(1926年1月号)に掲載されたことである。この童話は、賢治の数少ない生前発表童話の一つであり、小学校や中学校の教科書にも広く収録されている。
物語は、ぶらつと森を出て、ただなにとはなくオツベルの工場へ行き、騙されているとも知らずに、最初は嫌な顔一つせず楽しそうに働いていた白い象。しかし、飼い主のオツベルはそれをいいことに彼を日に日に過酷な労働をさせてこき使うようになるが、その労働とは反対に食事の方はどんどん減らされて行く。さすがに象も疲れきって、苦しんでいる際助けを神に求め、最終的には、仲間の象たちが総出で駆けつけ彼を救出するという単純なものであるが、救出に来た仲間の象が一斉に小屋に押しかけたため飼い主のオツベルは象に踏み潰されてしまう。救出にきた仲間の象たちが「よかったねやせたねえ。」と言ってしずかにそばにより、つながれていた白象の鎖と銅をはずしてやった。「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。・・・これで物語は終わる。
この物語には、白象や沙羅双樹(別名娑羅の樹。ツバキ科ナツツバキ。)が登場することから、インド~東南アジアを舞台とした物語ということがわかる。白象は神聖視されており、仏教では、文殊菩薩とともに釈迦の脇士である普賢菩薩の乗る象として仏画などに描かれている。又、沙羅双樹は、菩提樹などとともに仏教上の聖木の一つとされている。そういえば、同じ宮沢賢治の童話『学者アラムハラドの見た着物』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照) がある、この中で、アラムハラドが“ヴェーッサンタラ大王は檀波羅蜜(だんばらみつ)の行をしていてほしいと云われるものは何でもやった。そしておしまいにはとうとう国の宝の白い象をもお与えなされたのだ。けらいや人民ははじめは堪えていたけれどもついには国も亡びそうになったので大王を山へ追い申したのだ”と言う話が出てくる。檀波羅蜜とは仏教の六波羅蜜の行の第一の行で、布施行のことをいう。余談だが、英語での白い象は「White elephant 」であるが、英語で、“a white elephant”と言えば 「無用の長物。維持費がかかって持て余すもの」の意味につかわれているようだ。白い象はタイやラオスでは崇拝の対象であり、両国の国旗にはかつて白象が描かれていた。贈られた側は粗末に扱うこともできず維持費が嵩んでやがて破綻してしまうことにもなりかねなかったのだ(以下参考の※:「今日の 気まぐれ英語慣用句」参照 )。
『オツベルと象』の物語は、資本家と労働者の立場と反乱を風刺しているとか、勧善懲悪を意識した子供向け童話だとか言われてもいるが、ただそれだけではなく、最後の白象の非常に印象的な言葉には、この言葉には、救われてほっとした気持ちと同時に、強欲で狡猾で言葉巧みにこき使ったとはいえ、白象の何気ない言動に度々驚き、少なからぬ恐れも感じているところの見えた飼い主のオツベルへの哀れみ又、そんな彼を改心させてやることができなかったことの悲しみの言葉のように感じら、何か仏教的な意味合いも含まれているようだ。
オツベルの言うがままに働かされ疲れきっていた白象が笑わなくなったとき、第五日曜の章では、そんな白象が毎晩藁をたべながら話しかけていた月が「時には赤い竜の眼をして、じつとこんなにオツベル見おろすやうになつてきた。」と言っているように、それまで純粋な気持ちをもっていた白象は、自分が助を呼んだ仲間の象によって踏み殺されたオツベルを見て、自分の心の中にも「赤い竜の眼」があることを知った。つまり実際に、オツベルを殺したのは仲間の象ではあったが、それまでの純粋さを失った自身の中にも十分に人を殺しうる一面があるということを悟り、さびしく笑ったのではないだろうか。
象供養の日 (Ⅱ)へ続く
記念日の由来は“象牙を扱う業界の団体・東京象牙美術工芸協同組合が制定。1926(大正15)年4月15日、はじめて象供養が行なわれた。”そうだ。
広辞苑によると「象」の古称は「きさ」で、『日本書記』の天智紀には「象牙(きさきの)」とあり、古くは、木目模様のようなものを「きさ」と言ったようで、象牙にある木目模様から、象のことも「きさ」と言ったようである。『和名抄』には、「象、岐佐、獣名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。」とある(以下参考の※:「大和の地名(3)喜佐谷」参照)。因みに、象牙製品を判別する方法も、表面に象牙特有の「縞目」があるかどうかで判断するのが一番有効な判別方法だという。人口の模造品ではこれがない。
象牙とは、アフリカ象やインド象の上顎にある一対の切歯(門歯)のことである。外見上、牙の様に見えるので通常は”象牙”と呼ばれているが、多くの哺乳類の「牙」と称される長く尖った歯は犬歯が発達したものであり、食物を捕らえ、切り裂くための歯であるが、ゾウの牙は上顎切歯が変化したものである点が異なる。外に出ていて目で見える部分は全体の3分の2程で、残り3分の1は頭蓋骨の中に入っている。
象牙は、材質が美しく加工も容易であるため、世界各国で古来より工芸品の素材として珍重されてきた。
日本の場合、古くは、奈良時代(8世紀)に、正倉院の御物(ぎょぶつ)となっている工芸品の素材として用いられており、当時より珊瑚(サンゴ)や鼈甲(ベツコウ)に並んで珍重されてきたことがうかがえる。
日本でも、その技法を学び、安土桃山時代には、茶道具などに多く用いられるようになるが、江戸時代には象牙工芸は高度な発展を見せ、根付・印寵・櫛・簪などが日常の生活用品として一般化し、武家や豊かな庶民にも愛用されるようになり、特に根付や印寵などにその優品が見られる。又、朱肉の馴染みもきわめてよく、高級感もあるために印鑑が契約や公式書類では欠かせない日本においては、戦後の高度成長期にはサラリーマンが増え、高額商品の分割払い(ローン)購入が普及することで、象牙製の印鑑を実印とするための需要が飛躍的に伸びて輸入された象牙消費の9割が印鑑に加工される時代があったが、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約。CITES)締結までは一番の輸入大国であった。
東京象牙美術工芸協同組合のHPによると、象牙の最高品質のものは、アフリカ象のもので、インド象の方は白が濃く、軟らかいといわれているようだ。
したがって、象牙産業にかかわって現代を生きる同協同組合の者にとっては、「こうした過去からの財産を将来の世代に受け渡していく責務をもっており、象牙を使った生業を続けていくには、象牙を作り出すゾウが将来にわたり絶滅することなく、生き長らえていくことが不可欠であり、同協同組合(象牙業界)は、1985(昭和60)年にいち早くワシントン条約のもとでの象牙輸出割当て制度を支持し、この制度に協力してきたが、その協力も空しく、1989(平成元)年のワシントン条約会議で象牙の国際取引が禁止された。その後、1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された。同協同組合は、ゾウの絶滅には断固、反対する。ゾウが絶滅すれば、伝統工芸も消滅する。同協同組合は、原産国のアフリカ諸国と協力しながら、ゾウを守り、日本の伝統工芸を守っていきたいと思う。」・・・とあった。これは、立派な心がけである。
しかし、今年・2010(平成22)年3月にカタールの首都・ドーハで開催されたワシントン条約締約国会議の第1委員会は22日、アフリカゾウの象牙の在庫を一回限り輸出を認めるよう求めたタンザニアとザンビアの提案を否決した。提案が可決されれば、国内の違法取引監視体制が整っていると認められている日本と中国向けに限って輸出される見通しだったが、かなわなかったようだ(詳しくは、以下参考の「※:象牙:輸出案否決 規制強化取り下げ ワシントン条約会議」参照)。
どの程度かは知らないが、アフリカゾウが密猟などにより激減しているらしいことは噂で聞いている。この会議で、タンザニアとザンビアは自国に生息するゾウについて、ワシントン条約の規制を緩和するよう提言しており、一方でボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエは、一回限りで象牙を売却したいと考えているらしい。しかし、これらの国々は、共にアフリカゾウ連合(African Elephant Coalition)を組む他の23のアフリカ諸国から激しく反発を受けているようだ。そんな中で、アフリカゾウ連合は、EU(欧州連合)に対して象牙取引の停止を支持するよう強く求めているが、「もしヨーロッパ側がゾウへの支援に力を貸してくれるならば、アフリカゾウ連合に加盟する全23カ国がクロマグロに関して“ヨーロッパの目的を支持する」構えであるとスーダン政府の役人の1人が述べており、アフリカゾウ問題への支援の見返りに、クロマグロ取引禁止についてのEUの支援として27の加盟国の内23カ国が味方につくことになることにもなるのだという。このようなワシントン条約(CITES)などの科学的に、どう、動物を保護しようかといった会議においても、それぞれの国が、それぞれの国の利益や歴史感、思惑を考えながら、交渉を続けているようであり、何処までが、真に、動物そのもののことや、その動物と共存している人達のことを考えて発言や行動をしているのかは、疑わしい。・・ようなのだが、それが、哀しい現実なのかも知れない。(以下参考の※:「野生生物保全論研究会【JWCS】」の”ワイルドライフ ニュース・アフリカゾウ“を参照)。
ただ、1989(平成元)年、象牙の国際取引が禁止された後、ジンバブウエ、ボツワナ・ナミビアの国々によって自国の象の群れが増えたので、輸出できるとの主張があり日本もこれを支持。南部アの3国(日本も)の国内の規制制度を強化することなどを条件に、象牙取引再会の実験が行われ、一部に取引を再開する活動が許可され、少量の象牙が日本へ実験的に輸出されたようだが、それが、東京象牙美術工芸協同組合のHPに書かれている「1999(平成11)年、正規に50トンの象牙が南部アフリカから輸入された」と言うことなのだろう。
この実験的輸出再開の結果どうなったか?・・について、以下参考の※:「環境と国際関係・アフリカ象の象牙取引とワシントン条約」では、以下のようなことが書かれている。
◆再会の結果
○モニタリング・システムは充分ではなかった。○アフリカ全体の象が生息する国々では密猟率が高くなった。 ○世界中の税関で押収された密輸品の象牙の量は増えていった。 ○外国の外交官が象の密輸にかかわった(北朝鮮)○ジンバブエの政府はCITESをだました。
◆日本での再会実験の結果
○日本では象牙の市場が刺激された。 政府は印章業を規制する制度を発行したが印章を作るため以外の象牙は規制されていなかった。○印章業の店を規制する制度は充分ではなかった。○日本では印章の店は45,000以上。毎週通産省の監督官は5、6店を観察した。 ○通産省は印章業界への援助金を配った。○環境庁と通産省は密輸された象牙を見分けるために象牙認定シールを作ったが、この象マークの混乱があった。
◆混乱の理由には、
○ 印章業者に充分に通達されなかった。あるいは通達されても無視された。 ○全日本印章業組合連合会は加盟店のために「象牙マーク」シールを発行した。○連合会のシールは政府認定シールに酷似していた。○連合会のシールは合法的象牙の使用を認定するはずだが、実は全然意味を持っていなかった。
このようなことから、 COP11(第11回生物多様性条約締約国会議の略称)は、2000(平成12)年、象牙取引を全体的に禁じる状態になっていたのだという。その実態が真実どうなのかなど私などが知る由もないが、今回のドーハでの会議では、ゾウだけでなく、サメ、クロマグロ、ホッキョクグマなどが重要議題として取り上げられたようだが、ここに書かれているようなことがもし、実際に先の実験的取引であったのだとしたなら、なかなか、取引再開を申請してもEUなど認めようとしない国が多く出てもやむを得ない気もするが・・・。
しかし、今では、保護により増え始めたゾウとその地域の住人達との間で、いろいろ困った問題もではじめているようだ。冒頭に掲載の画像は、向かって左は、ケニア南部ツァボ国立公園で、木の葉をむしり取るように食べるアフリカゾウ、右は、牙で穴を掘るアフリカゾウである。(アバデア国立公園。朝日新聞2010年3月23日夕刊より)朝日新聞紙面によると、同地を抜けるとすり鉢状にひび割れた赤茶色の大地が広がっているが所々にマンホール大の穴が掘られており、深さは1メートルを超え、それは、ゾウが掘ったものだそうだ。右画像を見ても分るようにこの写真は、乾季あたる今年2月のものであるが、雨季には4メートルの高さまで水が溜まり、干上がった乾季でも地下水は残り、アフリカゾウや水牛のほか人にも貴重な水場だそうだが、これらの水場に井戸を作って木で囲っていても、ゾウに見つかり、井戸や水道管が破壊されてしまうそうだ。ゾウは匂いで水道管を探し当て、牙で地面を堀り、金属製の管を突き水道の水を飲んでしまうようだ。野生動物を保護し、地元住民と共存してゆく難しさは、日本でも、猿や鹿の保護地区で住民と動物の間でいろいろとトラブルが発生しているのを見ても理解できるが、それが、アフリカゾウのような巨大な生物だと、なおさら大変だろう。
「ゾウ」は漢字「象」の音読みであるが、他に「しょう」があり、訓読みは「かたち、かたどる」である。「象」の字は、古代中国にも棲息していたゾウの姿をそのままかたどった象形文字であり、今の象の漢字を見ると一見「ゾウ」を正面から見たような字形に見えるが、実際には、ほぼ真上に頭が、真下にしっぽがくる姿を横から見た形が、古代文字である甲骨文字にあり、それが起源となっているようある。以下参考の※:>「甲骨文」参照。これを見ると「馬」と「象」は見ただけでそれと判るかなりわかりやすい象形文字であり、「象」は最も目立つ大きい形をしているところから、〈形、姿〉という意味にもなったが、その辺の事情は「像」を考えるとわかりやすい。「像」は「人」+「象」で出来た会意文字であると共に「像」は「様」と通じる音を持つ形声文字であり、この漢字では、動物の象を離れて広く〈姿、形、有様〉を意味するようになっている。又、この「象」を含んでいる文字に、日ごろ気付かずに使っている漢字に「為(い)」がある。「為」は、「爪(=手)」+「象」の会意文字で、象を手なずけることを表している。現在使っている「象」と「為」の漢字を見ていると、余り似ているとはいえないが、以下参考の※:「漢字物語 (45)「象」長江北岸に生息していた」を見れば分るように、「為」の古代文字の象の鼻の先に少し曲がった「十」みたいな字形(人間の手)を加え、使役している姿を文字にしたのが「為」であり、このような漢字の型からも、3千年以上前の殷の時代には、既に人間が象を使役していたことが分る。
ところで、ワシントン条約(CITES)で、はじめて、“許可書・証明書の標準化、象牙の取引決議 “などがされたのは、1981(昭和56)年、インドでの第3回の時のようであるが、今日の記念日を制定した東京象牙美術工芸協同組合は、それよりも50年以上早い、1926(大正15)年の4月15日に、はじめて象供養を行なったというのだが、何々供養と言うのは日本では古くある行事であるものの、何故この年、そして、この日に象供養を始めたのかなどについては、よく分らないので、いろいろ調べていると、今日の象供養とは直接関係ないが、1926(大正15)年という年に象に関わるものが1つあった。
それは、宮沢賢治の短編童話である『オツベルと象』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照)が、詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(1926年1月号)に掲載されたことである。この童話は、賢治の数少ない生前発表童話の一つであり、小学校や中学校の教科書にも広く収録されている。
物語は、ぶらつと森を出て、ただなにとはなくオツベルの工場へ行き、騙されているとも知らずに、最初は嫌な顔一つせず楽しそうに働いていた白い象。しかし、飼い主のオツベルはそれをいいことに彼を日に日に過酷な労働をさせてこき使うようになるが、その労働とは反対に食事の方はどんどん減らされて行く。さすがに象も疲れきって、苦しんでいる際助けを神に求め、最終的には、仲間の象たちが総出で駆けつけ彼を救出するという単純なものであるが、救出に来た仲間の象が一斉に小屋に押しかけたため飼い主のオツベルは象に踏み潰されてしまう。救出にきた仲間の象たちが「よかったねやせたねえ。」と言ってしずかにそばにより、つながれていた白象の鎖と銅をはずしてやった。「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。・・・これで物語は終わる。
この物語には、白象や沙羅双樹(別名娑羅の樹。ツバキ科ナツツバキ。)が登場することから、インド~東南アジアを舞台とした物語ということがわかる。白象は神聖視されており、仏教では、文殊菩薩とともに釈迦の脇士である普賢菩薩の乗る象として仏画などに描かれている。又、沙羅双樹は、菩提樹などとともに仏教上の聖木の一つとされている。そういえば、同じ宮沢賢治の童話『学者アラムハラドの見た着物』(以下参考の※:「青空文庫:作家別作品リスト:No.81宮沢 賢治」参照) がある、この中で、アラムハラドが“ヴェーッサンタラ大王は檀波羅蜜(だんばらみつ)の行をしていてほしいと云われるものは何でもやった。そしておしまいにはとうとう国の宝の白い象をもお与えなされたのだ。けらいや人民ははじめは堪えていたけれどもついには国も亡びそうになったので大王を山へ追い申したのだ”と言う話が出てくる。檀波羅蜜とは仏教の六波羅蜜の行の第一の行で、布施行のことをいう。余談だが、英語での白い象は「White elephant 」であるが、英語で、“a white elephant”と言えば 「無用の長物。維持費がかかって持て余すもの」の意味につかわれているようだ。白い象はタイやラオスでは崇拝の対象であり、両国の国旗にはかつて白象が描かれていた。贈られた側は粗末に扱うこともできず維持費が嵩んでやがて破綻してしまうことにもなりかねなかったのだ(以下参考の※:「今日の 気まぐれ英語慣用句」参照 )。
『オツベルと象』の物語は、資本家と労働者の立場と反乱を風刺しているとか、勧善懲悪を意識した子供向け童話だとか言われてもいるが、ただそれだけではなく、最後の白象の非常に印象的な言葉には、この言葉には、救われてほっとした気持ちと同時に、強欲で狡猾で言葉巧みにこき使ったとはいえ、白象の何気ない言動に度々驚き、少なからぬ恐れも感じているところの見えた飼い主のオツベルへの哀れみ又、そんな彼を改心させてやることができなかったことの悲しみの言葉のように感じら、何か仏教的な意味合いも含まれているようだ。
オツベルの言うがままに働かされ疲れきっていた白象が笑わなくなったとき、第五日曜の章では、そんな白象が毎晩藁をたべながら話しかけていた月が「時には赤い竜の眼をして、じつとこんなにオツベル見おろすやうになつてきた。」と言っているように、それまで純粋な気持ちをもっていた白象は、自分が助を呼んだ仲間の象によって踏み殺されたオツベルを見て、自分の心の中にも「赤い竜の眼」があることを知った。つまり実際に、オツベルを殺したのは仲間の象ではあったが、それまでの純粋さを失った自身の中にも十分に人を殺しうる一面があるということを悟り、さびしく笑ったのではないだろうか。
象供養の日 (Ⅱ)へ続く